「東京五輪は終わりの始まり」五輪を知りすぎた国旗研究者の結論 | FRIDAYデジタル

「東京五輪は終わりの始まり」五輪を知りすぎた国旗研究者の結論

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日本で開催された全オリンピックに参画。「知りすぎた男」吹浦忠正さんは今、何を思うのか

コロナ禍でのリセットは仕方がないにしても、エンブレム盗用騒ぎ、新国立競技場のデザイン変更、聖火台の置き場がない新競技場、ボランティアのユニフォームがダサすぎて変更、マラソンは急きょ札幌に、そしてとどめが森前組織委会長の引責辞任。とまあ、グダグダとしか言いようのない「TOKYO 2020」。 

「今回の東京大会は、オリンピックの終わりの始まり」と心配するのは国旗研究者の吹浦忠正さんだ。1964年の東京大会をはじめ、札幌、長野と日本で開催された全てのオリンピックで国旗や儀典に関わり、今回は組織委国際局アドバイザーを務める。オリンピックを大切に思うあまりに出た言葉「終わりの始まり」とは、一体何を意味するのか。 

2020年版“ジェンダーギャップ指数”で、日本はG7最下位だった。五輪招致委員会のトップ4は安倍晋三前首相、竹田恆和JOC元会長、猪瀬直樹元東京都知事、森喜朗前組織委会長。ひとり去り、ふたり去り、そして誰もいなくなった…(写真:アフロ)
2020年版“ジェンダーギャップ指数”で、日本はG7最下位だった。五輪招致委員会のトップ4は安倍晋三前首相、竹田恆和JOC元会長、猪瀬直樹元東京都知事、森喜朗前組織委会長。ひとり去り、ふたり去り、そして誰もいなくなった…(写真:アフロ)

森さんの辞任がいろいろなことを考えるきっかけに

とにもかくにも問題山積みの東京2020オリンピック。まずは日本が抱える問題から見ていこう。

「いちばん問題なのは日本社会の昭和的体質。森さんの失言に対して “会長、言葉が過ぎますよ”“お控えください”と言える人が、副会長をはじめ周りにいないことです。森会長の辞任で、東京にオリンピックを招致したトップ4人は全員いなくなってしまった。そういう国は信用を失います。この空気全体を一挙に変えなきゃダメですよ。それくらい、覚悟して取り組まないといけません。 

今回の森さんの辞任はいろいろなことを考えるきっかけになった。昭和的思考というとヘンですが、それは世界に通用しないということを見せてくれた。逆説的に言えば、森さんは最後に大きな社会貢献をしてくれた反面教師なんですよ」(吹浦忠正さん 以下同) 

会長以下、組織の体質改善はもう間に合わないと吹浦さんは言う。川淵氏の件があったにもかかわらず、会長選考委員会のメンバーは公表されず、後任は永田町では自他ともにゆるす森氏直系の門下生である橋本聖子氏に決まった。大切な決議が密室で行われる日本。「そんな馬鹿なことをなぜ何度も繰り返すのか」と吹浦さんは嘆く。

組織委員会に必要なのは国の代表であるという使命感、なのだが…

2019年、先の東京オリンピックまでの道程を描いて話題となったNHKの大河ドラマ『いだてん』では、吹浦忠正役を須藤蓮が好演。吹浦さんは歴代の大河ドラマに登場した唯一の存命人物なのだ。

今回のオリンピックでは無償で組織委へのアドバイスをされているが、そんな彼は現在の組織委がひとつにまとまっていないといわれることも心配している。

「例えば課長級が保険会社から、その下には旅行代理店、不動産会社、広告代理店、圧倒的多数は都の職員という具合に、いろいろなところから出向してきている。おまけにテレワークで、どうしても結束力が弱い課もあるようです。これでは、まとまりに欠けるのは仕方ないですね。

給料は自分の会社から出ていて、報告も自社が優先という人もいると全国紙のデスクから聴きました。それでは組織として難しくないですか。たまたま気持ちの合う人やチームもあるだろうけど、やはり立派なリーダーがいて、一貫したヒエラルキーがないと、上司と部下の関係は難しいですよね。テレワークが多いのも、チームワークづくりはやりにくくなりますよね」 

1964年の東京大会では企業からの出向は少なく、部長級はメディア各社を中心に、総務部門は大蔵省や東京都をはじめとする官庁で、資金はいったん組織委に集められ、そこから給料が配られていた。プロパーの人も多かった。本部事務局は開会直前まで赤坂離宮に置かれ、人数は今の1割程度。何よりも一体感が強くチームワークに優れていたという。

ゼロからの出発なので前例にとらわれる必要はなく、一流の人が集まり総合的に力を高めて、密度の濃い準備が進められた。

「メンバーは、いろんなスポーツ団体からも来ていました。“あの人は走り幅跳びなんだよな”とか“あいつはレスリングの銀メダリストだったんだ”とか、そんな感じでしたね。しかもみなさん、あの時代によくもというくらい語学もおできになった。 

それから教員出身もいました。開会式や表彰式などの式典の中心だった松戸節三さんは千葉県立松戸高校の教頭先生で、“俺が式典本部長なんだって。運動会しかやったことがないのに”なんて言ってましたよ(笑)。五輪後は松戸高校に校長として戻られました。そしてその上の競技部長は毎日新聞の運動部長だった人。さらにその上が東京都教育長だった松沢一鶴さん、そして総理府の事務次官だった人が事務次長、トップは安川第五郎会長(安川電機社長)というヒエラルキーでした。 

財務や経理は大蔵省と銀行。各新聞社が広報、通信社が海外報道、渉外部長は外務省。最終段階ではアルバイトみたいな人はいっぱいいましたが、それは競技場に白線を引いたりする役割で、本当に手づくりのオリンピックでした」

’64年の東京五輪、’72年の札幌冬季五輪では、オリンピックを機に街が生まれ変わる、日本が発展するという、明るい希望に満ちていた。長野でも30年分のインフラ整備が行われた。

「’64年当時はたくさんの人から“頑張ってください、あなたたちは我々の代表だという気持ちでやってくれ”と言われましたよ。そうするとこっちだって使命感が違ってくるじゃないですか。残念ですが、今は誰もそんなふうに励ましてはくれません。昔はオリンピックしかなかったけれど、今は他に楽しみがいっぱいあります。それもあって興味や関心も低いんでしょうね」

先の東京大会で組織委員会本部が置かれた赤坂離宮。村野藤吾による“昭和の大改修”前で、黒い門扉が印象的だ。本部は活気に満ち、まるで合宿所のような雰囲気だったという(写真:共同通信)
先の東京大会で組織委員会本部が置かれた赤坂離宮。村野藤吾による“昭和の大改修”前で、黒い門扉が印象的だ。本部は活気に満ち、まるで合宿所のような雰囲気だったという(写真:共同通信)
吹浦さんは当時、早稲田に通う大学生だった。だが入学してすぐに国旗の本を2冊出しており、国旗を熟知する者は彼をおいて他にいないと白羽の矢が立った。役職名は“競技部式典課国旗担当専門職員”
吹浦さんは当時、早稲田に通う大学生だった。だが入学してすぐに国旗の本を2冊出しており、国旗を熟知する者は彼をおいて他にいないと白羽の矢が立った。役職名は“競技部式典課国旗担当専門職員”

いかにポピュリズムであろうとも世論には耳を傾けるべき

世論調査では8割が中止か再度延期を希望している。はたして東京オリンピック・パラリンピックは本当に開催されるのだろうか。

「限りなく従来通りがよいとは簡単には言えません。繰り下げるべきという話も出ていますが、それでは選手も準備も困る。アスリ-トはその日に合わせ完璧な体作りをしてますから、我々が“今日会えなかったから明日会おう”というのとはわけが違うんです。準備だって膨大な予算と人員を集中しているし、来年は北京での冬季五輪、3年後はパリでと決まっているわけですから、簡単な話ではありません。 

総論と各論があると思いますが、総論的にはオリンピックは必ずやるでしょう。いちばんの理由は、やらなければスポンサーが退き、IOCやIF(国際競技連盟)がもたない。第2の理由は、やめると言い出せる人がいない。それを言ったらそこが違約金や費用負担を多く出すことになるので。でも本当はね、民主主義国家というなら、8割もの人がやめるか延期した方がいいと言うなら従わざるをえません。

こういう数字が出るということは、いかにオリンピックへの理解が進まないまま今日に至ったのかを表している気がします。ポピュリズムに流されたことからくる発言であろうとも言われますが」

「日本と東京都はIOCが言い出すのを待っているが、やめればスポンサーが降りてしまうのでIOCは言い出さない。そういう状態がずるずると続いているということだ」とは、あるテレビ局の五輪担当ベテラン・ディレクターの話。国民も、気づき始めているということだろう。

「今のオリンピックは商業主義で動いているという専門家や関係者は多いです。なかでもNBCは超大スポンサー。“IOCはNBCの中につくればいいと思うくらいだ”と言う全国紙のベテラン運動部記者もいます」 

1964年10月10日、東京オリンピック開会式。秋晴れの空にブルーインパルスが見事な五輪を描き、日本中が感動に包まれた(写真:アフロ)
1964年10月10日、東京オリンピック開会式。秋晴れの空にブルーインパルスが見事な五輪を描き、日本中が感動に包まれた(写真:アフロ)

大きくなりすぎたオリンピックにオリンピズムはあるのか

前回の東京五輪、そして札幌冬季五輪でも、IOCの会長はアベリー・ブランデージ氏。クーベルタンが唱えたオリンピックをそのまま継承した、オリンピズムの権化のような人だった。

「宣伝につながるものは一切認めない。電光掲示板の下に“HITACHI”とあった、それも取れというんです。製造責任を明確にするために書いてあるのに、それさえ彼は嫌がった。札幌では、スキーの裏に会社名があったというだけで金メダルの有力候補だった選手が出場停止になった。それがなぜかわからないけれど、今やオリンピックは世界最大のショーになってしまってね…」

なぜこれほどまでにショービズ化してしまったのか。ブランデージが会長職を退いたのは1972年。イギリスのキラニン卿が後任に就くと『アマチュア』の文字がオリンピック憲章から消えた。その後1980年から21年間にわたり、スペインのファン・アントニオ・サマランチがIOCトップに君臨することになる。

「商業主義になったのはサマランチになってからです。けれどそうしなければやっていけないくらい、オリンピックは巨大化してしまった。決定的だったのは’76年のモントリオールオリンピック。これが大赤字で、モントリオール市民がその借金を払い終わるのに四半世紀近くかかったんですよ。 

プロの参加は’84年のロサンゼルスからですが、あれも金がかかりすぎるので、ロサンゼルス市が助成金を払わないと宣言したのがきっかけでした。ちなみにプロデュースは電通で、あれから電通はオリンピック最大の代理店になりました」

競技に参加すると億を超えるギャラや報奨金が手に入る選手が出てきて、オリンピックは様変わりしていく。そういう選手は文化交流どころか開閉会式にも出てこないのだ。

「選手村といっても、一流選手の多くは高級ホテルのスイートに泊まりそうだといわれています。“選手村で文化交流? 小学生じゃあるまいし、It’s none of my business”といなくなってしまう。今回はIOCのバッハ会長も選手は競技4日前に入り、競技が終わって2日目には帰れと言っている。それではオリンピズムというものはどこにいったのかと言いたくなります」

いっぺんチャラにして、ギリシャに恒久的な施設を

オリンピックって一体何のためにやるのだろう。「参加することに意義がある」? 今の五輪にそんな精神はどこにもないじゃないか! まさしく「参加することはカネになる」だ。 

「医療関係者だって、今はもういっぱいいっぱいです。1億2千万人に予防接種をしながらコロナの患者を診なければならない中、とてもじゃないけどオリンピックをやろうという気分にはなれない。医療崩壊に輪をかけるようなことはしたくないですよ。 

そんなことを考えていると、私でさえだんだん消極的になってきちゃった。これも一種の“コロナ鬱”ですかね。今回の東京大会は“オリンピックの終わりの始まり”という声もよく耳にします。“この際、いっぺんチャラでいいんじゃないですか?〝 休み〟というのも長い目で見ればいいかもしれません”という人も多いじゃないですか。休んで、いろんな点を検討する。こんなに競技を増やさなければいけないのか、とかね。eスポーツまで入れるならパチンコもpスポーツにして五輪種目にすればいい(笑)。 

それにこれだけ大きくなると、政治的な別の目的でもなくては、もう開催できる都市がなくなります。次のパリは前回の1924年大会から100年目だからということで、無理してでもやるでしょう。その次のロスは既存の施設がほとんどそのまま使えるからなんとかなるでしょう。でもそのあとは難しいですよ。

そうなると“みんなでお金を出して、ギリシャに恒久的な施設を造るのがいい”という意見に私は賛成です。ギリシャなら中東やアフリカというオリンピック未開催の地からも集まりやすい」

クルクルと意見が変わるIOCの体質や利権問題も含め、オリンピックが大きな転換期を迎えていることは確かだ。ホスト国である日本も、オリンピックに関わる一連の動きを振り返ると、ポスト五輪に向けて、あらためて世界に恥じない国にならなければと思う。

吹浦忠正(ふきうら・ただまさ) 国旗研究の第一人者。日本で行われたすべてのオリンピックで国旗や儀典に関わる。元埼玉県立大学教授。NPO法人「世界の国旗・国歌研究会」代表。国旗に関する著書は50冊以上に及び、近著(監修書)に『そんなわけで国旗つくっちゃいました!図鑑』(主婦の友社)などがある。NHK大河ドラマ『いだてん』に次ぎ『青天を衝け』でも国旗考証を担当。

  • 取材・文井出千昌写真アフロ、共同通信

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