“奇跡の40代”河田純子が語る「いまを支える志村けんの教え」 | FRIDAYデジタル

“奇跡の40代”河田純子が語る「いまを支える志村けんの教え」

13歳で秋田から上京した美少女はアイドル、OLを経て美容サロン経営者に! 夫は元PRIDEファイターの大山峻護

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アイドル黄金時代と挫折

「本当に定番ポーズなんですか? 現役のときもやったことないですよ(笑)」

まさに奇跡の美貌。現在は銀座にある『サロン・ド・エンジェル・エンジェル』で脳腸セラピストとして施術、カウンセリングも行う
まさに奇跡の美貌。現在は銀座にある『サロン・ド・エンジェル・エンジェル』で脳腸セラピストとして施術、カウンセリングも行う

アイドル黄金時代と言われた’89年に歌手デビューしてから幾星霜――不惑も半ばを過ぎた河田純子(46)はしかし、”頬づえポーズ”が驚くほど似合った(上写真)。

透き通る白い肌、人目を引く美貌、控えめな笑顔も往時のままだ。

ソニー、フジテレビ、集英社が合同で主催したオーディションに合格して、13歳で秋田から上京。デビュー曲は作詞・森雪之丞、作曲・後藤次利という大御所コンビが手掛けるなど、華々しくデビューしたが――彼女は人知れず表舞台から姿を消した。本誌も、元PRIDEファイター、大山峻護(しゅんご)氏(47)の妻として彼女と”再会”した。「消えたアイドル」が静かに半生を振り返った。

「わたし、実は『だいじょうぶだぁギャルズ』だったんですよ」

件(くだん)のオーディションの優勝特典の一つが人気バラエティ『志村けんのだいじょうぶだぁ』の出演権だった。

「約1年間、志村さんの下で修業させていただきました。コントもやりましたし、番組名物の『ウンジャラゲ体操』にも参加しました。一番後ろ、5列目の左から二人目が私です。ただ、石野陽子さん、松本典子さんがキラキラした顔で踊っていたのに、私は恥ずかしくて隠れていました……。志村さんは妥協しない人。納得できるまで何テイクも撮るから週1回の収録は必ず朝方までかかっていました。現場はピリピリしていて、本番以外、笑いが起きることはなかったですね」

海外でグラビア撮影し、アイドル誌に毎月登場。中学生の彼女でもわかるほど、河田純子には巨額のプロモーション費が投じられたが結果は芳(かんば)しくなかった。

「真っ黒だったスケジュール帳に空白が目立つようになり、学校に行く日が増えて……ボイトレなどのレッスンは一生懸命やっていましたし、毎回『ここで死んでもいい』くらいの覚悟でステージに立っていましたけど、正直、ステップアップする余裕はなかった。お仕事をこなすので精一杯。ソニーの幹部に『秋田に帰りなよ』と言われても、悔し泣きするどころか『当然だな』と思っていました。

社会の何の役にも立ってないと自分を責め、『スターになって夢や勇気、癒(い)やしを与えたい』という当初の目的が見えなくなっていた。いま思えば、志村さんや石野さんのようなプロ意識が足りなかった」

’95年、所属事務所が吸収合併されるタイミングで芸能活動を休止。20歳の若さだった。以後、中古車販売の会社でOLとして働き、’09年に女性専用の美容サロンを開業。新たなキャリアを築くなかでふいに師匠との”再会”が訪れた。

「母が認知症になり、昨年から介護しているのですが……志村さんの追悼映像を見ていたら”ひとみばあさん”のコントが流れてきて、涙が出るほど感動しました。認知症の患者さんって”ひとみばあさん”そのまま。5秒前に言ったことを全部忘れちゃう。介護に疲れて殺人事件に発展するケースもあるのですが――志村さんがギャグにしてくださったことで救われた人がどれだけいるか。

人生はユーモアで輝くことを、あらためて師匠に教えられました。いまなら『ウンジャラゲ』も弾ける笑顔で踊れます(笑)。アイドル時代、ダイエットで悩んだ経験がサロンで活きていますし、芸能界にいなければ主人とも出会えなかった。挫折も肥(こ)やしとなっていまに繋がっています」

紆余曲折を経て、夢や勇気や癒やしを与える存在に彼女はなったのだ。

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本誌未掲載カット 河田純子が語る「アイドル黄金時代と挫折、いまを支える志村けんの教え」
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  • 撮影小松寛之(現在の写真)

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