29歳で移住&カジノの経営にも…小澤マリア「私がフィリピンで”一番有名な日本人”になれたワケ」 | FRIDAYデジタル

29歳で移住&カジノの経営にも…小澤マリア「私がフィリピンで”一番有名な日本人”になれたワケ」

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経営する歌舞伎町のバー『DRUNK』にて。近年は、フィリピンと日本を行き来する生活を送っているという
経営する歌舞伎町のバー『DRUNK』にて。近年は、フィリピンと日本を行き来する生活を送っているという

世の男性が悲嘆に暮れた電撃引退から13年……。元セクシー女優の小澤マリア(37)はいま、フィリピンで実業家として大成功している。

高級ラウンジを皮切りに、いまではホテルや飲食店に加え、カジノ運営にも携わっている。プライベートでの恋人との破局がトップニュースになるほどその知名度は抜群で、現地では「フィリピンで一番有名な日本人」とも言われる。

「来日」中の小澤に、激動の人生を聞いた。

「『あれ? 私ってこんなに知られているの?』と最初に思ったのは、インドネシアでしたね」

’05年、18歳でAVデビューし、瞬く間にトップ女優となった小澤のその人気は、中国や東南アジアでも絶大だった。デビュー後に初めて訪れたインドネシアでも、熱烈な歓迎にあったという。

「入管職員が私の顔をジロジロみて、『お前は小澤マリアだろう。パスポートの名前と違う。偽造パスポートか』と言うんです。小澤マリアは芸名だと説明しても全然納得してくれなくて。その数年後に訪れたときもパスポートを取り上げられ、オフィスに連れて行かれ1時間くらい待たされた。ニコニコ顔の男性たちが入ってきて、全員にサインと写真撮影をして、やっと解放されました(笑)」

’10年に引退すると、’16年にフィリピンへ移住した。きっかけは、現地で出演したラジオ番組だった。

「旅行で訪れたときに、友達の紹介でラジオ番組に出演したんです。フィリピンでやりたいことを聞かれ、『飲食かな』と答えた。すると、番組を聞いていたマニラの有名経営者から『じゃあウチでやらないか』と誘われて。ラウンジなどの運営を任されることになったんです」

その後、移住当時に大統領だったベニグノ・アキノ氏との一件によって、小澤の名前は一気に広まった。

「空港にいた現地の芸能リポーターから『アキノ大統領はチックボーイ(女好き)だが、アプローチされたらどうする?』と聞かれ、『それ(アプローチ)は自由だけど私は断る』と答えたんです。そうしたら、大統領のお姉さんが私に激怒しちゃって。すぐ人が殺される国だし、相手は最高権力者。正直めちゃくちゃ怖かったです」

だが、この歯に衣着せぬ発言は、フィリピン国民に大いにウケた。バイアグラやカジノの広告に起用され、国民的英雄であるマニー・パッキャオとの交流も生まれた。

「チームパッキャオのメンバーが、ウチの店のお客さんでした。彼の貧困層への支援事業が素晴らしいと思っていたので、『彼の行動はカッコいい』と伝えたら、サインの入ったレプリカのチャンピオンベルトが空輸されてきました(笑)」

首都マニラにあるラウンジは、年間1億円近くを売り上げるなど成功を収めている。さらに一昨年からは、世界中に展開するカジノグループでの仕事も始めた。

「もともとアジア圏でカジノの広告に出ていたこともあり、小澤マリア=カジノというイメージがあったのかもしれません。それで、あるカジノグループのボスから『一緒にビジネスを大きくしよう』とオファーをいただき、今は宣伝やアプリでの事業に関わっています」

今ではフィリピンに「帰る」と表現するほど、この国のオープンな気質は肌に合った。そして、AV女優の仕事をやり切ったから、今の自分があるとも続ける。

「AVをやっていたからアジアでの知名度が高くなり、ビジネスに繋がっていった面は絶対にあります。アキノさんの件でも感じたのは、名前は広まったもん勝ちだな、ということです(笑)」

この明るさが現地の人々の心をつかんだからこそ、彼女は「一番有名な日本人」になれたのだろう。

フィリピンのリゾートを訪れた際のプライベートショット。抜群のプロポーションは健在だ
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カジノのイベントに出席する小澤(右から2人目)。一昨年からカジノ経営に携わっている
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フィリピンの国民的英雄であるパッキャオとも親交があり、誕生日を祝われたこともある
フィリピンの国民的英雄であるパッキャオとも親交があり、誕生日を祝われたこともある
本誌未掲載カット 小澤マリア「私がフィリピンで”一番有名な日本人”になれたワケ」 18歳でAVデビューし、29歳で移住
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『FRIDAY』2023年2月17日号より

  • PHOTO濱﨑慎治

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