筑波大と連携し茨城県が用地提供 早稲田が本気で“医学部新設” | FRIDAYデジタル

筑波大と連携し茨城県が用地提供 早稲田が本気で“医学部新設”

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早稲田大学の象徴・大隈講堂。早大では’00年代以降、国際教養学部や文化構想学部など学部の新設が相次いでいる
早稲田大学の象徴・大隈講堂。早大では’00年代以降、国際教養学部や文化構想学部など学部の新設が相次いでいる

早稲田大学が悲願の医学部新設へ、ついに本腰を入れている。田中愛治総長が’18年11月の就任公約として、次のように明記しているのだ。

〈「世界で輝くWASEDA」を実現するためには、生命医科学の研究・教育を抜本的に拡充する必要があります。新たに医学部を本学が増設することは全国医学部長病院長会議の承認が必要なため、ほぼ不可能と言われています。(中略)単科医科大学を吸収合併する戦略に絞って考えていく必要があります〉

ライバル慶応との差。それは医学部の有無にあると言われる。医学部の設置は、創立者・大隈重信以来の悲願だ。

「チャンスは何度かありましたが、そのたびに頓挫した歴史があるんです。1906年には大隈公が会長を務める同仁会が、早大の敷地内に東京同仁医薬学校を設立。医学部に発展すると考えられていましたが、経営難から廃校になってしまいます。戦後間もない’53年には日本医科大学と提携交渉しましたが、条件が折り合わず解消。’57年の創立75周年式典では、当時の大濱信泉総長が医学部設置を『長年の悲願』と発言しましたが、医師が飽和状態になると予測した厚生省(当時)が消極的で具体的な話には発展しませんでした」(早大関係者)

だが最近、事情が変わってきた。’00年代後半以降、医学部新設への動きが本格化しているのだ。以下に主な事項を紹介しよう。

‘07年 先進理工学部生命医科学科を開設。
‘08年 筑波大と連携協力協定を締結。筑波大医学群と人材育成開始。
‘10年 学術交流している東京女子医科大と大学院共同教育課程を開設。
‘11年 茨城県が県畜産試験場跡地(笠間市)に医学部を新設するよう、早大・鎌田薫総長(当時)に要望書提出。
‘11年 神戸大医学部と連携協定を締結。
‘12年 茨城県議会が畜産試験場跡地への早大医学部誘致を求める決議案を可決。
‘16年 早大卒業後に医師に転じた約130人が稲門医師会(OB会)設立。
‘18年 医学部新設を公約に掲げた田中総長が就任。

なぜ早大は、ここにきて本腰を入れるようになったのだろうか。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏が語る。

「20年ほど前までは財政面の問題から、OBからの反発が強かったんです。確かに当時は年間数億円と寄付金が少なかった。しかし最近はOB会の強化で寄付金は30~40億円にまで上昇し、かなり改善されました。また早慶両大学に合格した際、8割の受験生が慶応を選ぶほど昨今は人気に差が出ています。関係者が危機感を持ち、『医学部を新設し慶応に追いつこう』という声が高まっているんです。短期的には医学部を新設しても苦しい経営を強いられるでしょうが、長期的には三つのメリットがあると思います。一つが医学部を持つことによるステイタスの上昇。二つ目が附属病院でOB、OGが治療を受け入院することによる収入増加。三つめが早大が以前から力を入れているスポーツ科学などとの連携で、格段に研究分野が広がることです」

具体的に、どんな医学部になるのだろうか。石渡氏が続ける。

「厚生労働省の方針で新設は極めて困難なため、経営難から総合大学に救いを求める単科以下大学を吸収合併することになるでしょう。候補になるのは医療事故を起こし20億円以上の赤字があるといわれる東京女子医大や、不正入試の発覚で受験者が3分の1まで減った東京医科大でしょう。慶応との差別化を考えると、誘致に積極的な茨城県などの協力を得て郊外に病院を設け、地域医療に貢献することが考えられます。地方自治体は、深刻な医師不足に悩まされていますから。今回は早大も本気だと、一連の動きから感じます」

浮いては消える早大の医学部構想。総長が先頭に立って音頭をとり、他大学や自治体との連携も強化……。悲願達成が現実味を帯びてきた。

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