大谷翔平 岩手の高校生がメジャーをねじ伏せるまで
投打に規格外の活躍を見せる「SHOHEI OTANI」。 花巻東の高校生時代から23歳にして全米の注目を集める現在まで 本誌は二刀流選手の生活を追い続けてきた。
秘蔵写真で振り返るスーパースターの進化の軌跡。
「翔平の原点は、高校3年にあります。あの時、飛躍的に成長したからこそメジャーで大活躍できる今がある。このまま進化し続け、メジャーの常識をどんどん覆してほしいです」
こう語るのは、独立リーグ福島ホープスの外野手・髙橋恒(ひさし)氏だ。エンゼルス・大谷翔平(23)の、花巻東高(岩手県)時代の同級生である。
大谷の快進撃が止まらない。投げてはメジャーリーガーを力でねじ伏せ4勝。打っては3割近い打率を残し、ホームラン6本を放っている(5月29日現在)。大谷が”二刀流”としてフィーバーを起こしたのは、高校3年時の’12年。それから本誌は大谷の成長を追い続けてきた。
前出の髙橋氏は、「飛躍のきっかけはケガだった」と振り返る。
「高校2年の夏に左股関節を痛めたんです。それから翌年の春までは、まったく投球練習をしていません。ひたすら体力増強に努めていました。朝は丼飯3杯、夜は7杯食べていたかな。おかげで細かった身体は85kgまで増量。球速は150km以上出るようになり、制球力が格段にアップ。打撃練習では、インパクトの時に『バキーン!』とエゲツない音を出して柵越えを連発するようになったんです」
高校日本代表として大谷とプレーした元大阪桐蔭の4番、田端良基氏が話す。
「普段はおっとりしているんですが、将来の話になると『メジャーに行きたい』と目を輝かせていました。有言実行で活躍する元戦友に誇りを感じます」
岩手県のイチ高校生だった大谷が、米国でさらなる進化をとげる。
2012
2013
2018
日本人メジャーの先駆者 マック鈴木からの激励
「大谷はありえないことを実現させている。ボクが米国に渡った25~26年前には、メジャーの大舞台で打者と投手の両方で活躍する夢のような二刀流選手が現れるなど、とても考えられませんでした。23歳の若い日本人が、世界を変えたんです」
マリナーズやロイヤルズなど、メジャー4球団で投手として活躍したマック鈴木氏(43)が絶賛する。マック氏は、大谷の進化には「フットダウン」というキーワードがあるという。
「メジャーでは指導した選手が結果を出せなければ、コーチが責任を取らされるので細かく指導することはなく、質問されれば答えるスタンスです。選手に積極的に言うのは『フットダウン』という言葉だけ。投手でも打者でも、振り上げた足をなるべく早く地面に下ろし身体全体を起動させれば、相手への対応も早くなるという意味です。大谷は打席で上げていた足をすり足にするなど、フォームを変えました。『フットダウン』という言葉を聞いただけで、自分なりに咀嚼(そしゃく)し適応したのでしょう」
大谷の二刀流での活躍で、スカウティングや育成方法も大きく変わるかもしれない。
「二刀流選手を育てる球団が、多く出てくるかもしれません。過去にはマイク・ハンプトンやリック・アンキールなど、打撃能力の高さから野手の代打として登場する投手はいました。でも、あくまで例外です」(同前)
大谷が活躍を続ければ、新たな歴史を創ることになるだろう。
写真:荒川祐史 霜越春樹 アフロ Getty Images