猛暑のゴミ部屋で愛児を餓死させた“ホスト遊び母の素性”

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第43回

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宣伝用に撮影された早苗の写真。名古屋や大阪などの店で働いていた

‘10年に大阪市内で起きた幼児2人の痛ましい餓死事件。原因は母親である美人風俗嬢の、家庭を顧みないホスト遊びだった。現場は、酷暑の中クーラーもつけず飲み物もないゴミの山。彼女はどうして異臭漂うマンションの一室に、愛児を放置したのか。事件を取材したノンフィクションライター小野一光氏が真相をさぐる。

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「猛暑のなか、子供たちはエアコンのないゴミだらけの室内に閉じ込められていて、玄関に通じるドアは外からテープが何重にも貼られ、開けることのできない状態でした。空腹で必死に食料を探したのか、冷蔵庫の扉には手形が残り、暑さのため服を脱いだ姿で、姉弟は寄り添い亡くなっています」

旧知の大阪府警担当記者による説明を聞き、その痛ましい状況に、思わず言葉を失った。‘10年7月、大阪府大阪市西区のマンションで幼児2人の遺体が発見された事件。長女(死亡時3)と長男(同1)の遺体を室内に放置したとして、母親の下村早苗(逮捕時23)が死体遺棄容疑で逮捕された(のちに殺人容疑で再逮捕)。事件発生を知った私は、取材のため現地に駆けつけた。

犯行内容は、当時大阪市内の風俗店に勤務していた早苗が、’09年5月に離婚した夫との間にできた子供2人を、密閉された部屋に約50日間にわたって置き去りにし、脱水をともなう飢餓によって、6月下旬に死亡させたというもの。

‘06年12月に結婚した早苗は、離婚するまで夫婦の実家がある三重県四日市市に住み、傍目には幸せそうな家庭を築いていたことがわかっている。当時の様子を知る住人は言う。

「彼女はごく普通の若い可愛らしい奥さんといった感じで、下の男の子を抱きながら、上のお姉ちゃんを遊ばせている姿を何度か見かけました」

また、早苗が加入していたSNSには、子供に向けた愛情を思わせる彼女の言葉が残されていた。

〈2才の××(本文実名)と1才の××(同)とのんびり暮らしてます ふたりともマイペースやけど すくすく育ってくれて ママはほんとにhappy〉

仕事のストレス解消にホスト通い

中学時代の卒業アルバムに載った早苗の写真。同級生によると、この頃から家出を繰り返していたという

しかし、離婚からわずか1年の間になにがあったのか。前出の記者は話す。

「早苗の浮気が原因で、夫婦は離婚しています。2人の子供を引き取った彼女は、名古屋市内のキャバクラでホステスの仕事を始めました。しかし、部屋に残した子どもが水道の水を出しっぱなしにしてしまったことで転居を余儀なくされ、’10年1月から、大阪・ミナミのマットヘルスで働き始めるようになっていました。その頃から育児疲れと仕事のストレスのはけ口としてホストクラブに通うようになり、家に帰らなくなったことが、今回の事件に繋がったと見られています」

逮捕の4ヵ月前である3月ごろにはすでに、子供たちを部屋に残したまま、何日か家を空けるようになっていたという。また、近所の公園では、子供たちが「ママ」と呼びかけても返事をせずに、携帯電話のモニターを一心不乱に見つめる早苗の姿の目撃証言もある。

マンションの部屋は、彼女が働く風俗店が契約。同時期、子供が長時間泣いているという近隣住民の通報が相次いでいた。そのうち3月30日に『大阪市こども相談センター』に寄せられた通報は、「夜中の2時や3時に部屋のインターホンを使い『ママー、ママー』と子供が泣いている」というものだった。同マンションの住民は語る。

「以前はしきりと子供の泣き声がしていましたが、ここ1ヵ月くらいはまったく泣き声がなかったので、引越しでもしたのかと思っていました」

逮捕後の早苗は、取り調べに対して「ホスト遊びが楽しくなり、育児が面倒になった。もっと遊びたくて家を出た」と口にしている。また、後になってからだが、彼女が家を空けていた間、友人や交際相手の家などを泊まり歩いていたことも判明した。

早苗の出身地である三重県四日市市を取材でまわると、ネグレクト(育児放棄)をした彼女自身が、子どもの頃に親からネグレクトを受けていたとの話が出てきた。当時の早苗を知る女性は言う。

「3姉妹の長女だった早苗が小学校低学年のときに、両親は離婚しています。全国大会に何度も出場している県立高校のラグビー部監督だった父親に引き取られた子供たちは、父親の再婚相手とその連れ子とともに暮らしていました。ただ、父親は仕事にかかりきりで、あまり家のことには構わず、再婚相手の女性も勤めに出ていて、家のことをなにもしない人でした。そのため早苗は、まだ幼い妹たちの面倒をひとりで見ていました」

幼い頃の早苗については、彼女や妹たちが通っていた保育園の関係者も「下の子の面倒を見る、しっかりしたいい子だった」と語る。とはいえ、子供にできることには限界がある。先の女性は次のようにも話している。

「早苗がまだ小学生の頃に自宅を訪ねましたが、玄関や室内に物が散乱し、すごく散らかっていました。事件のニュースを見て、子どもたちが死んだマンションの室内やベランダがゴミだらけだったことを知り、そのときのことを思い出しました」

もちろん、早苗自身がそうだったからといって、彼女の行為が赦免されることはない。その後の裁判で、大阪地裁は懲役30年(求刑無期懲役)という、有期刑としては最も重い判決を言い渡した。この判決は’13年3月に確定。彼女は現在、服役中である。私は’15年に早苗の実父と会い、懲役囚となった彼女の様子について話を聞いた。

「収監されて2年(取材時)になりますが、だいぶ精神的にも落ち着いて、成長したという印象があります。人間的にも徐々に変わっているのだと思いました。最近でこそ話題に出なくなりましたが、最初の頃は『(犯行を)ずっと後悔してる』と口にしていました。あの子なりに、考えることがあったんだと思います」

実父が逮捕後の早苗と初めて面会したのは、逮捕の半年後だったという。彼は続ける。

「拘置所の面会室で会うなり早苗は泣いて、『ごめんなさい』て言うてました。それ以上はあまり喋れなかったと思います。僕もなんと声をかけていいかわからなかった。ただ、別れ際に『時間はもう戻らへんから、こっからもう、自分にできる精一杯のことをやって、償っていくしかないし、お父さんもそうしようと思てるから』て言って……。向こうも頷いてましたね」

間もなく事件から10年となる。塀のなかの彼女は、みずからが犯した罪について、どのように向き合っているのだろうか。

mixiにアップしていた早苗の写真。就職した日本料理店で知り合った男性と’06年12月に結婚した
  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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