大迫傑 東京マラソンで証明した“世界基準のランナー”への成長
信念を貫くアスリートは、試練を乗り越えて栄光を掴んだ
「大迫君の涙は初めて見ました。彼の印象を一言で言えばクール。僕らと話す時も物事を冷静に見ている感じです。ふだんの彼からすると考えられません」
3月1日の東京マラソンで、自身の持つ日本記録を更新する2時間5分29秒をマークした大迫傑(おおさこすぐる)(28)について、バイク解説を担当した金哲彦氏はこう話す。
大迫は、昨年9月のMGCで優勝最有力候補と言われながら3位に甘んじ、五輪代表の座を掴み損ねた。その翌月には所属していたナイキ・オレゴン・プロジェクトが突然チームを解散。それでも日本に戻ることなく、東京マラソン前には家族をアメリカに残してケニアに渡り、2ヵ月半の合宿を敢行した。
「アメリカや日本に比べて練習環境が整っているとは言えないアフリカでの長期合宿は相当大変だったと思います。大迫君はそれを乗り越えてレースに挑んだ。事前記者会見での彼の姿を見ても、ひとまわりもふたまわりも大きくなったような印象でした」
とりわけ金氏の印象に残ったのは、テレビ中継では映らなかった20㎞の給水ハプニング場面だ。今大会のスペシャルドリンクは幅1m程度の小さいテーブルに何十人分も置かれていた。高速で走り抜けるランナー達には取りづらく、大迫のドリンクを他の選手が落としてしまった。
「ところが大迫君は、それをしゃがみ込むようにして拾ったんです。あれには驚きました。1秒でもロスしたくないレースの中ですから、普通ならば諦めます。が、たとえ一瞬遅れても、ここで補給しておかないと後半に響く、と判断したのでしょう。MGCの時には、他の選手に反応してしまって落ち着きがなかった。この日はレースの駆け引きも含め、腹の据わり方が違いました」(金氏)
トップ集団の中には、井上大仁(ひろと)(27)がいた。大迫が東京五輪の最後の一枠を勝ち取るためには彼より先にゴールしておきたい。いったんは引き離されながら32㎞すぎに追いついた大迫は、鮮やかに井上を抜き去り、日本人1位を勝ち取った。
今回、不死鳥のように蘇って疾走する大迫の姿に観客は感動し、マスクをつけていることも忘れて「大迫、行け!」と声を嗄らして応援した。

『FRIDAY』2020年3月20日号より
撮影:中村博之