チェッカーズの「問題作」を聞き直して思い出す、あの時代の空気 | FRIDAYデジタル

チェッカーズの「問題作」を聞き直して思い出す、あの時代の空気

スージー鈴木の「ちょうど30年前のヒット曲」。今回取り上げるのはチェッカーズの『運命(SADAME)』!

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1985年6月3日、首相官邸で開かれた中曽根康弘首相(当時)主催の「文化・芸能人の集い」にて
1985年6月3日、首相官邸で開かれた中曽根康弘首相(当時)主催の「文化・芸能人の集い」にて

ちょうど30年前のヒット曲を振り返っていきます。今回は90年3月21日リリース、チェッカーズの『運命(SADAME)』を選びました。

でもその前に、この写真をご覧ください。これだけでご飯3杯行けそう、いやハイボール5杯くらい飲めそうな強烈な写真です。これが撮影されたのは、30年前のさらに5年前=85年6月3日。

右から、由美かおる(当時34歳)、当時の首相・中曽根康弘(67歳)、美空ひばり(48歳)、ジュディ・オング(35歳)、そしてチェッカーズの武内享(22歳)と藤井フミヤ(当時「郁弥」、22歳)。武内享の後ろに五木ひろし(37歳)の顔も見えますね。

このとき美空ひばりは、たったの4年後、まさか89年に52歳の若さで亡くなるなんて、思っていなかったことでしょう。また中曽根康弘も、まさか昨年・101歳まで生き延びるとも思っていなかったのではないでしょうか(いや彼のことだから、少しは思っていたかも)。

それにしても、このようなお歴々に囲まれた久留米出身・22歳のロックンロール・ボーイズは、どのような気分だったのでしょう。そして、チェックの衣装を脱ぎ捨て、職業作家ではなく自作曲で勝負するバンドとなり、5年後の90年3月に『運命(SADAME)』をリリースします。

昨年私は『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)という本を上梓。その中で、この『運命(SADAME)』という曲について、「チェッカーズらしさがすぽっと抜けている」と、少しばかり突き放した書き方をしました。

その書き方に対して、読者の方々から、賛否両方の意見をいただきました。つまりは、ファンの間でも意見が分かれる問題作だったということでしょう。

当時のクラブミュージック・シーンにかなり寄せた音だったのです。この曲のクラブDJ用アナログ・リミックス盤のプロデュースに、当時藤原ヒロシと並んで、それ系シーンの顔役だった高木完が参加したという事実が、この曲の方向性を端的に示しています。

――「藤原ヒロシとか、高木完ちゃんとかをはじめ、みんな友達でしたよ。当時の環境は、東京アンダーグラウンドでしたね。ツバキハウスや玉椿といったディスコ、大貫憲章さんのロンドンナイトにはよくいきました。昔は携帯がなかったから、いきなりお店に遊びにいく。『いってみるか』とかいって。するとみんなやっぱりそこにいて。『いると思った(笑)』とかいってね」
出典:「携帯ない青春時代から送るリアルな歌世界 藤井フミヤ」(SankeiBiz)

バスドラムのドンドン!という音とハードリカーの匂いで充満した「東京アンダーグラウンド」の中で出来上がった曲ということでしょう。メンバーの自作曲でも『I Love you, SAYONARA』や『Cherie』を愛すべき「チェッカーズらしさ」とするならば、やはり、そこからは外れている音だと思うのですが。

さて、この曲から1年後の91年から92年にかけて放送されたNHK『メガロックショー』という音楽番組がありました。司会はBARBEE BOYSの杏子と、新進気鋭の漫才師・爆笑問題。この番組で、チェッカーズが電気グルーヴと共演するという珍しい企画がありました。曲はベン・E・キングのスタンダード『スタンド・バイ・ミー』。

いかにも当時のクラブでかかりそうな、ゆったりとスウィングするビートをチェッカーズのリズム隊が叩き出し(あまり語られませんが、ドラムス・徳永善也とベース・大土井裕二によるチェッカーズのリズム隊はとても上手かった)、それに合わせて、藤井フミヤが朗々と歌うのですが。

途中から、電気グルーヴの石野卓球とピエール瀧が突然、ラップを始めるのです。そのラップが新時代的と言うか、攻撃的と言うか、とにかく、池の中に放された外来種の魚のような違和感が発生しました。

その瞬間、チェッカーズが前時代的に映ったのです。電気グルーヴやスチャダラパーや90年代中盤に出てくる「渋谷系」など、「東京アンダーグラウンド」の申し子のような若者を前にして、すっと後ずさりするチェッカーズが見えたのです。

余談ですが、爆笑問題の太田光が「自分が司会の番組で、電気グルーヴが、チェッカーズに楽屋に呼び出されて、ボコボコにされた」というエピソードを、昨年ラジオで披露したのですが、それは、この共演のときと推測されます(本記事掲載後の3/21、電気グルーヴの石野卓球、元チェッカーズの武内享両氏がツイッターにて本件を否定されました)。

チェッカーズのクレバーなところは、『運命(SADAME)』のように新しい音楽に目配りしながらも、『夜明けのブレス』や『ミセスマーメイド』などのヒット曲を並行して出し続け、92年大晦日のNHK『紅白歌合戦』での解散まで、人気を持続させたところてす。

その『紅白歌合戦』では、チェッカーズの最後の晴れ姿を見るべく、チェッカーズ・ファンが大集結。X(のち「X JAPAN」)やSMAPのファンが「私たちはまだ見る機会があるから」と、チェッカーズ・ファンに観覧チケットを譲ったといいます。チェッカーズに関する極上のエピソードの1つです。

  • スージー鈴木

    音楽評論家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12トゥエルビ『ザ・カセットテープ・ミュージック』出演中。主な著書に『80年代音楽解体新書』(彩流社)、『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)、『イントロの法則80's』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)など。東洋経済オンライン、東京スポーツ、週刊ベースボールなどで連載中。

  • 写真時事通信社

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