川内優輝ママチャリで走る!「東京五輪 メダルのためにプロ転向」
「日の丸が揚がる光景を見ていると、言葉にならないくらいの、涙が出るくらいの感動がありました。『この瞬間というのは本当に偉大なんだな』と。そのときに、『やるしかない』と思いました」
4月16日のボストンマラソンで優勝を果たし、帰国した空港で突然の「プロ転向」宣言をした川内優輝(31)は、そう思いを打ち明けた。
川内は学習院大学卒業後の’09年に埼玉県庁に就職。高校の職員を務めながら、国内外のレースに出場してきた。「市民ランナー」という肩書に誇りを持っていた男は、なぜプロという道を選んだのか。
「実は、しばらく気持ちは冷めていたんです。(’14年末に)足首を捻挫してから記録が思うように出せなくて……」
それでも、’16年の福岡国際に強行出場。周囲の予想を裏切り、日本人トップの記録を叩き出した。川内がしんみりと振り返る。
「あのレースで、何か……心に熱いものが戻ってきました」
だが、期待された’17年8月のロンドン世界陸上では、最低限の目標としていた8位入賞すら叶わなかった。このまま公務員との二足のわらじでいいのか――。川内は徐々にそう思うようになる。
「できうる限りの準備をしたつもりでしたが、『今の環境』でできる準備でしかなかったのでは、という思いを抱くようになりました」
一方、葛藤する川内を尻目に、’16年に一足先にプロ転向した弟の鮮輝(よしき)(27)は、着実に実力をつけていった。
「私が仕事の時間にあわせて練習を切り上げるとき、弟は自分でベストだと思うメニューを完璧にこなす。その姿を見て、『自分も思い描いている方法をすべて実行できたら』と、可能性を追求してみたくなりました」
高校時代に亡くした父に代わり、家計を支えていくという責任感はあった。だが、次男の鮮輝だけでなく、三男の鴻輝(こうき)(25)もすでに自立しており、母も「好きにやればいい」と背中を押してくれた。
プロ転向とは言っても、律儀な川内らしく、迷惑がかからぬよう今年度が終わるまでは高校に勤務する。スポンサーも自らは募らず、レースの賞金で活動していくことも視野に入れている。
川内は「暑さに弱い」という理由から’17年に代表を引退したが、プロ転向となれば、東京五輪への期待もかかる。
「夏場に涼しい場所で練習してみて、自分の身体がどう変化するか次第です。ただ本当に、誰が出てもいいと思うんです。選手としてやるのであれば選手として、そうでなければ、練習パートナーでもいい。とにかく、メダル獲得という日本人の悲願のために、最善のことをしたい」
以前から笑顔が似合う男だった。だが、自転車で走り去っていった川内の顔は、前よりもさらに輝いて見えた。
写真:濱﨑慎治