「五輪は延期」電通グループで働くラグビー女子代表の揺れる胸中 | FRIDAYデジタル

「五輪は延期」電通グループで働くラグビー女子代表の揺れる胸中

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新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、7月24日に開会式を予定していた東京五輪の延期が決まった。これまで7月下旬にピークに持っていく調整を続けていたアスリートは、突然ゴールの再設定を余儀なくされる。前回のリオデジャネイロ大会でラグビー女子7人制代表主将を務め、2大会連続でオリンピック出場の可能性が高い中村知春が複雑な胸中を明かした。

モチベーションの維持が難しい

本来なら、今頃はそろそろ秋を迎えつつある、地球の反対側にいるはずだった。

ラグビーの国際統治機関である「ワールドラグビー」は新型コロナウイルスの蔓延を危惧して、3月28、29日に南アフリカで開催予定だった「女子セブンズ・チャレンジャー・シリーズ」の延期を発表。同シリーズへの出場が決まっていた女子7人制日本代表メンバーには、3月中旬、南アフリカに向けて出発する直前の国内合宿時にその一報は届けられた。

「正直言うと、モチベーションの部分で難しくなった面はありました」

計26人がリストアップされているラグビー女子の五輪候補選手で最年長の中村は、南アフリカ行きが消滅した時点でのチームの雰囲気をそう代弁する。同シリーズは、「サクラセブンズ」の愛称を持つ同代表にとって、今季、五輪に次いで重要度が高い大会だった。その後も4月以降に国内外で予定されていた他の大会も次々に中止か延期が決まり、7月の東京五輪前に参加予定だった大会がすべてなくなってしまう一種の非常事態に陥っていた。

「スポーツが社会を活性化する存在でいられるのは、人々が健康で、かつ平和という条件の下でなんだということを改めて認識する機会になりました。いまは、こんなふうに厳しい状況でもラグビーに集中させてもらえることに感謝しつつ、『むしろ(大会に向けての)準備期間が長くとれる』とポジティブに捉えるようにしています」

前回のリオデジャネイロ五輪から正式種目となっている7人制ラグビー。15人制と同じ大きさのグラウンドを半分以下の人数でプレーするだけに、スペースはたくさんあり、7分ハーフと試合時間は長くはないものの、とにかくグラウンド上で走り続けるフィットネス(体力)こそが7人制の選手に絶対的に求められる条件となる。前回は出場12か国中10位に終わり、今回はメダル獲得を目指している。

中村がラグビーをプレーし始めたのは20代になってから、と遅い。大学4年時にそれまで12年間プレーしてきたバスケットボールを引退。就職までの短期間楽しむために新しいスポーツをやってみようという軽い気持ちで楕円球との戯れを始めた。

「正直、最初はラグビーとアメリカンフットボールの違いさえちゃんとはわかっていなかった。バスケをしているときもファウルが多いタイプだったんですけどね(笑)ただ、最初からものすごく楽しかった」

コンタクトが許されるラグビーというスポーツが性分に合っていたのだろう。そして、何よりも生きたのがバスケットボール時代にも自信があった圧倒的に豊富な運動量。日本代表スタッフの目にとまり、クラブチームでラグビーを始めてからわずか5ヶ月後には代表候補として声がかかり、一気にシンデレラストーリーの主人公へと上り詰めていった。

メダルを目指す本当の理由

「会社に入ったばかりで、仕事の方も精一杯やっていきたいと思っていたので、ラグビーをプレーしていることも伝えていなかったんです。でも、チャンスは逃したくなかったので『代表チームから声がかかったので、お休みをいただいて行ってきたい』という話をしたら、会社から快く受け入れてもらえて。それがいまにつながっています」

会社=電通東日本には現在も所属。入社当時とは違い、ラグビー活動を業務として認められるようになる一方、広告関連企業という利点も生かし、仕事としてラグビー関連のプロジェクトにも数多く関わっている。最近では、女子ラグビー選手プロデュースによるオリジナルタピオカメニューの考案・販売に携わったり、五輪出場経験を話すセミナーなどに呼ばれることも少なくない。

一方で、現役選手ながら新しい女子ラグビーチーム「ナナイロ プリズム福岡」の発足にも奔走。昨年12月に誕生した同チームでは強化責任者であるGM(選手兼任)の立場でまだまだマイナーと言わざるを得ない女子ラグビーの裾野を広げる活動にも携わり始めた。

「前回のリオ五輪では『とにかくメダルを取りたい』ということだけを考えていました。でも実際に負けてしまった後、自分の中には何も残らなかったような感覚があった。そもそもなぜメダルが取りたかったのかというと女子ラグビーの文化を残したかったから。

歴史的にみて、日本の女子ラグビーはいろんな障壁を乗り越えてきた。『女子がラグビーなんてやっていいの?』『怪我は?』『すぐに日本代表になれるんでしょ?』。いろいろと心無い言葉を浴びながら、それでも先輩たちがつないでくれたから、いま自分たちがプレーできている。女子ラグビーの価値を上げていきたいという思いは強いんです」

もちろん、30代のアスリートがある種の「時間との戦い」を抱えていることにも自覚はある。五輪が延期となれば、大会後に描いていた電通での仕事、新チームのマネジメントも想定通りには進まない可能性も高い。

「五輪でメダルを獲得することが女子ラグビーを普及させるための一番の近道。その思いはたとえ延期になろうとも変わりません。今後、自分のカラダがどう変化していくのか未知数なところもありますし、いまから50m走で1秒タイムを縮めるようなことは不可能です。

でも、いろんなラグビーも見てきたし、何よりビジネスやマネジメントの経験がプラスになっています。グラウンド上でも次、またはその次に起こり得ることも予想しながら俯瞰的にプレーをできるようになった。ラグビーをプレーする頭脳としてはいまが一番面白いと感じているんです」

女子がプレーすること自体が面白いと思われる競技として楕円球を抱えた中村が30歳をこえてなお、体にあざを作りながらプレーするのは、仲間たちのプレー環境、存在意義を高めるため。五輪が延期になり、ゴールが見えなくても、メダルへの疾走は止めない。

  • 取材・文・写真出村謙知

    1964年、北海道札幌市生まれ。明大卒業後、編集・広告関係企業に勤務。90年代初頭からフランス・パリを拠点にラグビー、サッカー、アイスホッケーなどのスポーツ分野を中心にフォトルポタージュを手掛けてきた。ラグビーマガジンなど国内にとどまらず、海外の通信社にもラグビー写真を配信。ラグビーW杯は1995年南アフリカ大会以降、すべて現場で取材している

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