新型コロナで「無観客試合」人気女子レスラー岩谷麻優が見たもの
新型コロナウイルスの影響で、女子プロレス「スターダム」は、3月8日、後楽園ホール大会を無観客で開催した。
無観客試合のメインイベントに出場した「スターダム」のトップレスラー・岩谷麻優選手(いわたに まゆ 27歳)に、“コロナ騒動”が選手たちに与えている影響についてインタビューした。

無観客試合は「絶対、無理!」
――「無観客試合を行う」と聞いたときにどう思いましたか?
岩谷麻優(以下、岩谷):まず、「えっ?」と思いました。「お客さんがいない中、どうやって試合をするの?」と。アピールもどこに向けてやればいいのか分からないし、「絶対、無理!」と思いました。
――無観客試合は、どんな様子だったのでしょう、
岩谷:会場に到着した瞬間に、体温計を渡されました。体温が基準値を満たしていることを証明して会場内に入れました。初めてのことで、不思議な感覚でした。
会場内はシーンとしていました。いつもなら、開場時間を過ぎるとお客様が入って来る様子が分かるので場内が慌ただしくなり、こっちも「コスチュームを着なきゃ」などとバタバタするのですが、そういったことが一切なく、「あと10分で大会が始まるね」と隣の選手と話していました。
いつも大会が終わった後は、すぐに撤収作業が始まり、それが終わると会場内が静まりかえるのですが、後楽園ホールでは、試合前から、まるで撤収後のような静けさがありました。
会場は「異様な光景」だが“思いがけない発見”も
――試合には、“無観客”の影響はあったのですか?
岩谷:いつもは、対戦相手にボコボコにされても、お客さんの声援に勇気づけられて、立ち上がっていたのです。今回は声援がないから、やられてしまったら、心が折れて立ち上がれなくなってしまうのではと不安でした。
ただ、その日は、試合の様子をYouTubeで生配信していました。自分の試合が始まる前に、スマホで生配信の様子を見たのですが、映像には選手の闘っている姿が映されるためか、会場で感じていたような“無観客の違和感”はあまり感じませんでした。
私は喜怒哀楽がすぐ顔に出る人間だし、顔面をボコボコにされてしまったときはひどい顔になることもあり、“顔芸がすごい”と言われています(笑)。
無観客試合でも、「(配信の)映像で観る限りはお客さんがいなくても違和感はないし、“顔芸”も十分に伝わる」と思ったら気持ちが変わって、「いつも通りに試合をしよう」と決意しました。
結果、試合自体は楽しくできました。ただ、リングから見渡した会場は無人の客席が一面に広がっていて異様な光景でした。
生配信の同時視聴は1万人を超え、ものすごい数の方が観てくださりました。スターダムの試合を観たことがない人にもたくさん観てもらえたし、多くの方にスターダムのことを知って頂けたと思います。やっぱり無観客試合だとレスラーは寂しいのですが、結果としては「やってよかった」と感じています。
ただ、“無観客試合がずっと続く”という事態になると、さすがに無理だと思います。やはりレスラーは、自分の姿を生で観てもらいたいので。
――無観客試合の中で発見したことは?
岩谷:プロレスでは、入場の際にスモークをたいたり、音声や照明を使って色々な演出を行います。無観客試合のときにも演出はしましたが、やはり一番の演出効果は、お客さんの声援なのだなと改めて感じました。
自分の最大限の力を引き出してくれるのもファンの方の声援だし、お客さんの顔を見ながら「あの人、いつも最前列で観てくれている!」とか、「いつもサイン会に来てくれる人だ!」と思うこともあります。やはり、お客さんの前で試合をしたいです。
興行中止で“引きこもり”状態 「何をモチベーションにして生きていけば…」
――観客を入れての興行が中止になった1ヵ月間はどう過ごしたのですか?
岩谷:めちゃくちゃモチベーションが下がりました。試合があるのが当たり前だったのですが、その日常が急になくなりました。“肌を合わせることは危険”ということで、練習さえも禁止の期間がありました。
することが何もなくなって、ずっと引きこもっていました。コロナウイルスに関しては先が見えないということなので、「いつまでこの状態が続くのだろう。何をモチベーションにして生きていけばいいのだろう」と不安でした。
――3月24日の後楽園ホール大会は、約1ヵ月ぶりに、
岩谷:みんなの応援を久しぶりに浴びることができて、「

新型コロナウイルスの影響で予断を許さぬ状況が続いているが、選手、ファン、そして社会の皆が安心してプロレスの興行を楽しめるよう、早期終息を願うばかりだ。
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山口県から上京 岩谷麻優の「女子プロレスラーものがたり」
4ヵ月で高校中退、2年間の引きこもり、家出同然でプロレスラーに
――岩谷さん自身のことを教えてください。プロレスラーになったキッカケは?
岩谷:高校を1年生の8月に退学しました。高校には約4ヵ月しか通っていないのですが、やんちゃなグループに入っていて、JKライフはそれなりに楽しみました(笑)。
ただ、学校が厳しくて、不良グループが一気に全員辞めさせられた時期でした。私たちのグループも悪目立ちしすぎていて、「“退学処分”か、“自主退学”か、どちらかを選べ」と言われ、自主退学しました。
中退してからも友達と遊んでいたのですが、ちょっとした事件が起きました。私は被害者の側だったのですが、それが新聞に載ってしまって。山口県に住んでいて、家の周りは田んぼだらけで、コンビニまで40分かかるという場所でした。
そんなところで新聞に載ってしまったので、それから誰とも目を合わせられなくなり、周りの目が怖くなって、対人恐怖症やパニック障害にもなりました。家出をするまでの2年間で3回しか外出できませんでした。
プロレスに出会ったのは高校を中退した2年後の夏。高校の同級生たちが進路を考えている時期だったのですが、自分には明るい未来なんて想像することもできませんし、「やりたいことは?」と聞かれても何も思い浮かばず、“お先、真っ暗”という状況でした。
3人兄弟で、すぐ上のお兄ちゃんがプロレスが好きでした。山口には2ヵ月に1回、プロレスの興行が来ていて、お兄ちゃんと一緒に観に行きました。「プロレス、すごいな」と思って、すぐにどっぷりはまりました。
現在は引退してしまったのですが、プロレスラーで元スターダムGMの風香(ふうか)さんのコラムを読んで、新人選手の募集を知りました。
お母さんに「プロレスラーになりたい」と言ったのですが反対されて、「もう、自分で行動するしかない」と思い、風香さんに「6千円で東京に行けますか?」と連絡をしました。当時、6千円しか持っていなくて、山口県から出たことがなかったので、東京までいくらで行けるのかも分かりませんでした。
風香さんからは「6千円だと無理だね」と返事が来ました。どうしてもプロレスラーになりたいんです、と熱意を伝えたら、新人を募集する主催者が新幹線のチケットを送ってくれました。お母さんには反対されていたので、家出同然の状態で東京に行ったんです。

――運動神経はよかった?
岩谷:よかったと思います。小学校の6年間、柔道をやっていて、中学の3年間は陸上部で高跳びや幅跳びをやっていました。高校入学後の身体測定では、身長163センチ。
ただ、引きこもりの時期があったので、上京したばかりのころは、腕立て伏せが1回もできない状態でした。トレーニングを始めてもすぐに唇が真っ青になって、全然ついていけませんでした。
18歳の8月に家出をして、翌年2011年の1月には、スターダムの旗揚げ戦にプロレスラーとして出場しました。
といっても、スタミナはすぐに付くものではないし、体重も40キロ台でひょろひょろでした。旗揚げ戦からずっと負け続けて、3分でスタミナがなくなるので「ウルトラマン」と言われてしまいました。
ファンの方からも、関係者の方からも、「一番最初に辞めるだろうな」と思われていました。
――辞めようと思ったことは?
岩谷:何度もあるのですが、デビューしてから数ヵ月という時に、本気でプロレスラーを辞めようと思いました。体力がないのでついていけないし、自信もなくすばかりだったので練習が嫌いでした。
それで練習をズル休みすることもあったのですが、ある日、みんなが練習に行っている間に、寮の部屋にあった自分の荷物を全部、段ボール箱に入れて、お金がないので着払いで山口のお母さんのところに送りました。静岡にお父さんがいるのですが、それで自分は静岡に逃亡しました。
そうしたら、お母さんが静岡まで迎えに来てくれて、お母さんに連れられて、山口に帰りました。
ただ、山口に戻っても、何もすることがありませんでした。山口にいたら引きこもりの自分に戻ってしまいますし、一度、プロレスラーとしてリングという華やかな舞台に立ってしまうと、辞めることができませんでした。
何の取柄もない自分ですが、リングに上がればお客さんが声援を送ってくれます。自分にはプロレスしかないと思って、自分の意志で東京に戻りました。
気がつくと、「一番最初にやめるだろうな」と言われていたのが、1期生の中で10年間、スターダムのリングに上がり続けているのは私だけになりました。

令和時代の女子プロレスの進化は?
――スターダムの会場は今、どんな様子なのでしょう。
岩谷:お客さんの9割は男性ですが、最近、女性ファンが増えてきました。女性に人気がある選手も、男性に人気がある選手もいるのですが、私は女性ファンが多くて、小さな子どもが私のファンでファミリーで観に来てくれる人もいます。
もっと女性に私の試合を観てほしいです。“人生真っ暗”という時期を経験していますし、いまだに「ポンコツ」と言われるのですが、「こんなポンコツでも、こんなに変わることができるのだ」と思ってもらいたいし、誰かの人生を少しでも明るくすることができたらいいなと思っています。
一歩進むキッカケを与えられるような存在になりたいです。「岩谷麻優に憧れてプロレスラーになりました」という選手も何人もいますし、サイン会には「私も対人恐怖症なのですが……」と話してくれる女の子も来てくれます。「勇気づけられました」とファンレターに書いてくれる子も多いです。
自分にはプロレスしか取り柄がないのですが、そんな自分の姿を観てくれて、「頑張ろう!」と思ってくれる人がいることを知ったとき、プロレスを続けていてよかったと思いました。
――今後、女子プロレス界にどう進化してほしい?
岩谷:女子プロレスをもっとメジャーにしたいです。今、私は道を歩いていても、誰にも気づかれないのですが、私のことを知らないし、スターダム自体も知らない人は多いと思います。
スターダムは観てもらえれば好きになってもらえる自信はあるので、その機会をどう増やすかを考えていきたいです。そういう中で私自身も世間の方々みんなから知られる存在になりたいです。「女子プロレスといえば岩谷麻優」と言われるくらい。
――女子プロレスの魅力をひとつ、教えてください。
岩谷:“選手の成長を見守ることができる”です。選手の中には、伸び悩んでいたり、試合で結果を出せなかったりする子がいます。そういう子でも、ファンの方は見続けることで、成長を見守ることができます。
“今が完璧な状態ではない”ということは、“上がって行く可能性しかない”とも言えます。ぜひ、選手を応援して、選手を成長させてほしいです。
――最後に、女性としての夢や目標を教えてください。
岩谷:やはり、結婚して幸せに暮らすことかな(笑)。
ただ、まだまだ、レスラーとして世間一般の方からも認知されるところまで行っていないので、自分自身で「やりきった」と思えるまで、プロレス人生を突き進んでいきたいです。
気さくにインタビューに応じてくれた岩谷選手。「女子プロレスをメジャーにして、私自身も、変装して歩くくらい有名になりたいです」と笑顔を見せてくれた。さらなる活躍に期待したい。

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文・撮影:竹内みちまろ
1973年、神奈川県横須賀市生まれ。法政大学文学部史学科卒業。印刷会社勤務後、エンタメ・芸能分野でフリーランスのライターに。編集プロダクション「株式会社ミニシアター通信」代表取締役。第12回長塚節文学賞優秀賞受賞。