コロナで悪戦苦闘…元サッカー日本代表の”野人”岡野GMの苦悩 | FRIDAYデジタル

コロナで悪戦苦闘…元サッカー日本代表の”野人”岡野GMの苦悩

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鳥取に帰れないジレンマ

新型コロナウイルスの感染拡大は、サッカー界にも大きな打撃を与えている。Jリーグはもちろん、欧州主要リーグも試合を延期し、ファンは試合を見られない。チームを統括する立場の人は、スポンサー企業の近況が気になって仕方がない。元サッカー日本代表で現在、J3ガイナーレ鳥取の代表取締役GMをつとめる岡野雅行氏は2月上旬以降、鳥取に戻れず、東京滞在を余儀なくされている。

「いつ開幕するかわからない状況は、選手が一番、調整が難しい。だからこそ選手のところに行って色々話をしたいのですが、ウイルスなので、他人にうつしてしまう可能性もゼロじゃない。だから開店休業状態です。トップの人が感染してしまったら、選手も練習ができなくなったり、いろんな動きを止めてしまったりするので、今は我慢です」

それでもなぜか、岡野は上を向いていた。サッカー元日本代表FWで、1997年にワールドカップ(W杯)初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」で決勝ゴールを決めた、あの岡野だ。「野人」といえば誰もがその顔を思い浮かべるはずだ。

現役時代は、長髪をなびかせ、「犬より速い」と言われた快足を飛ばし、日本サッカー界の歴史を塗り替えた男は、J1浦和を皮切りに、2013年にJ2鳥取で現役生活を終えるまで計20年間、走り続けた。翌2014年からゼネラルマネージャー(GM)に就任。チームの運営費と強化費を捻出するため、全国を飛び回っている。鳥取には戻れないが、クラブの塚野真樹社長とは常に連絡を取り合い、東京で開拓したスポンサーに会って状況を把握する。岡野の活動範囲はぐっと減り、「仕事をしたくても簡単には動けない」というジレンマに悩むが、何かあれば電話1本で対応できるだけの人脈は築いてきた。ただそれは、「岡野雅行」という知名度だけで培ったわけではなかった。

「まさか自分がJクラブのGMをやるなんて思ってなかった。引退する時にウチの塚野社長から打診されたときは『パソコンも開けない自分には絶対にできません』と返答したぐらい。いざ、仕事をするとなっても何をしていいのかわからない。僕がGMになることに対し、疑問に思うクラブ職員もいたと思います。だから当初は誰よりも早く来てオフィスの掃除をしたりしていましたよ」

笑いながら振り返る岡野は、引退直後に東京でTVタレントになるオファーもきていた。日本サッカー界の功労者として、もっと楽な道もあったはずだが、岡野の思いは違った。

「GMの仕事ができないことは仕方がない。認められようとも思わなかった。ただやるなら中途半端はイヤだったし、やれることからやっていこうと。最初はバンバン営業を決めてくる社長についていくだけの日々でした。車での移動は4、5時間が当たり前。大変だったけど、こうやればいいんだというのがみえてきたんです」

清原和博との意外な接点

社長と現場に同行しながら肌感覚で吸い取っていった。いきなり呼び鈴をならす飛び込み営業も臆せずやり続けた。夜になれば、スーツにネクタイを締め、現役時代の長かった黒髪も短髪にして、正座しながらお酒をついで回った。岡野が続ける。

「相手はみなさん会社の社長さんです。サッカー選手はちゃらちゃらしやがって、というイメージがとてもあったみたいですが、お酒をついで回っていると、『日本代表なのに正座で酒をつぐのか。気に入った!』と言って契約をいただいたこともあります」

ガイナーレ鳥取のクラブスポンサー企業は約300社。岡野がGMとして現場に出て〝足〟で稼いだ結晶だ。「絶対にお金は出さない」と言っていた社長を次々と口説き落としてスポンサーにした功績が認められ、2017年には代表取締役GMに就任した。

「やる前から勝負を決めてはダメなんです。僕がW杯初出場を決めたVゴールを決めたときだって、試合前までメディアを含めて日本中が『負ける』と言っていた。でも勝った途端、手のひら返しでしたよね。だから『絶対にお金を出さない』と言っている方をあえて狙ったところもある。その方が『やっぱり応援する』と気変わりすれば、周りで支持している方も一緒に変わる。鳥取出身の(社長の)塚野では地元のこれまでの人間関係などで身動きがとれないところを、縁もゆかりもない僕がかえって動いて突破口を開くこともできるんです」

人の懐にスッと入っていく術は、プロ選手になる前の大学時代に磨かれた。時は平成バブル景気の真っ最中、港区麻布十番の「プレゴ」という有名なカフェバーで働いていた。当時はプロで活躍を予想できる実績はなく、本気でバーテンダーになろうと思っていた。

そんな岡野が接客担当していた一人に、プロ野球で全盛期を迎えていた清原和博氏がいた。ある日、清原氏から「タバコを買ってきてくれ」と頼まれると、岡野は持ち前の全速力で走った。決して近くはない場所だったが、あまりに早く戻ってきたので清原氏は驚いた。

「おい、マジかよ? お前、早過ぎっ!」

話はここで終わらない。のちに晴れて浦和でプロ選手になった岡野は、清原氏に再会。岡野の方から「初めまして」と挨拶すると、清原氏は「初めましてじゃないよ。麻布十番のバーで会っていただろう?」と覚えていたという。

「うれしかったですねー。ありがたかった、清原さん」

人に喜んでもらうために、何かがしたい。それが岡野の原点なのかもしれない。ただ、1人でも多くの人を集めて楽しませることが仕事なのに、それが「感染につながる」として良しとしない空気がある。このジレンマを前に、岡野は何を思うのか。

「イタリアのセリエAが中断する前に、無観客の試合をニュースで見たのですが、ゴールを決めた選手が喜んでいなかった。あの光景を見て、改めてお客さんが選手にもたらす力ってすごいんだなって感じました。今、お客さんはイベントを見られないことがこんなに寂しいのか、という気持ちを抱いているのではないかと思います。新型コロナウイルスが完全に収束したら、そんなお客さんの気持ちを、いい意味で爆発させたい。それは難しいことではないと思います」

日本サッカー界の窮地を救い、W杯初出場という明るい未来に変えた「野人」は、むしろ動けない苦闘をバネに、お客さんを笑顔にするアイデアをひねり出すため、頭をフル回転させている。

  • 写真アフロ(日本代表)

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