カラオケ店が生んだ人気ラーメン「パ郎」…その意外な誕生秘話 | FRIDAYデジタル

カラオケ店が生んだ人気ラーメン「パ郎」…その意外な誕生秘話

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カラオケ+ラーメン

「二郎系ラーメン」の勢いが止まらない。

東京・三田に本店を置く「ラーメン二郎」は、豚骨醤油のスープをベースに、ごわごわした食感の平打ち太麺、うず高く積み重なった茹で野菜と刻みニンニク、そして太いチャーシューが大きな特徴である。「二郎系ラーメン」とは、そこから着想を得たラーメン全般に使われる総称だ。

これまでも各ラーメン店で提供されることは珍しくなかったが、昨年1月にセブンイレブンが「二郎系ラーメン」を全国発売したところ、現在も売り上げ好調を維持。コンビニ他社も追って「二郎系ラーメン」を開発するだけでなく、食品メーカー各社も「二郎系」カップラーメンを販売し始め、ブームを超えた定番商品の一つになりつつある。コロナ禍による在宅需要も、人気に拍車をかけた一因だろう。

そんな「二郎系ラーメン」に先鞭を付けていた企業が、首都圏を中心にチェーン展開しているカラオケパセラであったことをご存じだろうか。

株式会社ニュートンが経営する「カラオケパセラ」の秋葉原昭和通り館では、「パ郎」と名付けられた「二郎系ラーメン」を提供している。その再現度や、大人数への鍋での提供などのスタイルが話題となり、一部ラーメンファンの間で話題を集めている。

この「パ郎」、実はラーメン好きの店長・小林礼雄さんによって独自に研究・開発された汗と涙の結晶なのだ。小林店長は2019年4月をもって、パセラ系列のダーツバー、スリーモンキーズカフェ上野公園前店へ異動となったものの、今年2月からは同店舗での「パ郎」提供を開始した。

その飽くなきラーメンへの情熱はどこから来たのか?小林店長本人に訊いた。

「パ郎」誕生までのヒストリー

「学生時代に池袋で『環七土佐っ子ラーメン』を食べたことがキッカケで、ラーメンにハマりました。丼を持てないくらいアブラがギトギトで、湯切りの痕が壁に残る、強烈な店でした。『ラーメン二郎』に初めて行ったのも学生の頃、もうどこの店舗か忘れてしまったんですが、その時はそこまで印象に残らなかったんです」

小林店長が「ラーメン二郎」に心を打たれたのは、社会人になってからだった。

「大学卒業後にカラオケパセラを運営する株式会社ニュートンに入社しました。働き始めてからもラーメンにハマっていたので、府中の『ラーメン二郎』に行って、その麺の太さに衝撃を受けたんです。そこから『ラーメン二郎』にハマっていきましたね。その後、パセラ御茶ノ水店(現在は閉店)へ異動になり店長をやっていた頃、自分がここで色を出せるとしたら何だろう? と考えたんです。

ラーメン好きっていうのが自分の特徴だろう、ならそれを活かして『二郎系ラーメン』を店で出したら面白いんじゃないかな?と思ったのが『パ郎』開発のキッカケですね。カラオケパセラは店長が自分の色を出せるのが特徴で、会社からも『やってみれば?』と言ってもらえたので、開発に着手しました」

会社は快く了承してくれたものの、「パ郎」完成までの道程は決して平坦ではなかった。

「それまでもラーメンは出していたんですが、普通のラーメンだったんです。そこに手を加えて、今の味になるまで試行錯誤を続けました。まず、御茶ノ水店の料理長を『ラーメン二郎』神保町店に連れて行って、この味を再現して欲しい、とお願いしたんですけど。最初はスープのアブラ、醤油、化学調味料の量の配合が難しくて中々うまくいきませんでした。今は化学調味料を抑えて、醤油の味で召し上がっていただく配分にしています。段々健康的な味に近づいていきましたね(笑)。

肉の質もちょっとずつ上げていって、現在では今までで一番良いものを使っています。『ラーメン二郎』でキャベツが多いと嬉しいじゃないですか?なので野菜は『もやし7:キャベツ3』の割合を守っています」

「二郎系ラーメン」といえば、その最大の特徴はゴワゴワ食感の太麺である。「パ郎」はそれも見事に踏襲している。

「麺も、最初はパセラが契約している食品会社が扱っている中で一番太いものを使っているだけだったんです。そしたらある日、私が趣味でやっているラーメンブログを通じて、菅野製麺所の方と繋がる事が出来ました。そして提案されたのが、オーション仕様の太麺の『切り刃9番』。試食したらそれまでより断然良くなって、それで麺も落ち着きました」

ラーメンに魂が入らなくなる

小林店長はこれまでに御茶ノ水・上野御徒町・赤坂・秋葉原昭和通り館の店舗に在籍し、全ての店舗で「パ郎」を提供してきたが、秋葉原昭和通り館を除き、小林店長が異動をするとそれまでの店舗では提供がストップしている。やはり味の管理などが難しいのだろうか?

「私が異動した後も、しばらく提供は続けているんですよ。ただ、ラーメンに魂が入らなくなるんです。昭和通り館は反響も凄くあり、ファンの方も多くいたので、私が総監督となり今も提供が続いています。それまでと違って、2016年に異動した秋葉原昭和通り館では2倍・3倍メニューとチャレンジメニューを始めたことで、それを目当てにユーチューバーが店に来るようになって、さらに鍋で提供する『鍋パ郎』も始めたことで人気に拍車がかかった感じですね」

小林店長は2019年4月にスリーモンキーズカフェ上野公園前店に異動し、調理環境が限られる同店の厨房社員を1年かけて説得して周り、今年の2月から同店でも「パ郎」の提供を開始した。だが、その矢先に襲ってきたのが新型コロナウイルスだった。

「4月上旬から営業を見合わせて、5月30日から営業再開したのですが、6月12日から私がパセラ秋葉原昭和通り館に再び異動となってしまいました。スリーモンキーズカフェ上野公園前店でのパ郎再提供は、残念ながら未定のままです」

小林店長が異動するとラーメンに魂がこもらなくなる…またしてもそれを証明してしまった格好だ。しかし小林店長は挫けない。コロナ禍の今こそ「パ郎」の新たなチャンスだと捉えている。

「ラーメン屋って、人気店であれば行列に並ばないといけませんし、どうしても“密”になってしまいますよね?ですが、パ郎なら冷房の効いた個室で、他人の飛沫を気にせず二郎系ラーメンをゆっくり召し上がっていただけます。更に、以前から構想を温めていた“パ餃”も提供を開始しました。

餃子の皮はパ郎と同じ菅野製麺所によるもので、タネも国産豚肉あらびき100%とニラのみを使用しています。実はパセラ秋葉原昭和通り館の料理長は以前某“二郎系”ラーメン店に勤務していました、なので調理面でも、パ郎は他のラーメン店にも遅れをとっていないつもりです。コロナ禍の今こそ、パ郎を皆さんに召し上がっていただくチャンスだと思っています!」

飽くなき情熱でラーメンの探求を続ける小林店長の「魂」を、二郎ファンでなくとも是非一度味わって欲しい。

小林礼雄(こばやし・のりお)1976年生まれ。大学卒業後株式会社ニュートンに入社。学生時代からのラーメン好きが高じて2007年に店長を務めたパセラお茶の水店で「パ郎」を開発。以降、異動に伴い店長を務めた系列店で提供続けてきた。2019年に系列店であるスリーモンキーズカフェ上野公園前店の店長に就任し、満を辞して2020年2月より同店舗でも「パ郎」の提供を開始した。現在もラーメンの食べ歩きを続けており、その模様を随時インスタグラムで更新している。最近の一押し店舗は小田原系ラーメンの「支那そば むら田」。

https://www.instagram.com/norio.kobayashi.piero/

  • 取材・文カルロス矢吹

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