甲子園772球の熱投から7年 楽天・安樂智大の「復活への道」
取材・文:氏原英明 「投げすぎて壊れた」の声を封印するために右ひじの手術も受けて「今年こそ」
プロ入り6年目のシーズン。かつて甲子園を沸かせた豪腕は、遅まきながらの一軍合流に気持ちを昂(たかぶ)らせていた。
「オフに右肘の手術をしてキャンプは二軍からというのは決まっていたので、静岡でのオープン戦(3月3日~11日)で合流することを目標にしてきました。毎年、毎年が勝負だと思っていますけど、今年こそはという気持ちが強いです」
安樂智大(あんらくともひろ)。23歳。愛媛県・済美高校のエースとして’13年の春のセンバツ大会2回戦において、一試合232球の熱投を演じた。その後、チームが決勝戦まで進んだこともあって、大会通算の投球数は772球にまで及んだ。これが物議をかもし、日米のメディアを巻き込んでの大論争となった。
「当時の報道は耳に入っていましたよ。アメリカからも取材に来ましたし、『投げすぎ』と言われることがほとんど。それで壊れたって言われると、自分が弱かったせいだと感じるので嫌でした」
しかし実際、安樂は右肘を壊した。’13年の夏も甲子園に出場したものの、新チームとなった後の秋季大会中に痛みを覚え、トップパフォーマンスを見せることはなかった。
それまでの実績とポテンシャルが評価されて、’14年にドラフト1位で楽天に指名されたが、プロ5年のうち3年は怪我との戦いに終始。現在プロ通算37試合に登板し、5勝14敗、防御率4.01、この2年は未勝利という不本意なシーズンが続いている。「高校時代の登板過多」がたたって壊れたプロ人生に見えてしまう。
「こうやって怪我が続いて、あの時、投げすぎたからだと言われるのはすごく悔しい。実力不足で怪我をしているのが、事実なので。それを見返すには、僕が活躍して高校時代の投球数は関係なかったというピッチングを見せるしかない」
安樂自身、そこへの手応えを感じている。昨シーズン、久しぶりにストレートの球速が150キロを計測し、今季に向けてのプラス要素になっている。さらに、オフには右肘のクリーニング手術に踏み切り、状態が極めて良いのだ。
「手術してよかったなと思います。注射を打ちながら投げていた時の不安がなくなりましたから。オフは身体作りをメインにしてやってきて、今はしっかり腕が振れています」
春季キャンプでは身体的に問題がないとわかるとチームで一番の投げ込みを行った。手術明けのため、5月くらいからの復帰というプランもあったが、「そんな余裕は僕にはない」と語る。
「一軍に合流するまでに実戦登板する予定が3試合しかなかった。でも、その3試合を0に抑えることができれば、首脳陣から(一軍で)見てみたいと思われるんじゃないかと思って必死でした」
高校時代からの真骨頂だった力投するスタイルは健在だ。一軍の練習でも誰よりも球数を多く投げるなど取り組み方は今も変わらない。これは自分のやり方だと安樂は豪語する。
「時代が変わってきているのは感じています。練習であまり投げない人もいる。でも、僕は不器用なんで、投げないと覚えないんです。投げることで作ってきた選手なので、そのやり方は変えないです。甲子園では(球数制限の)新しいルール(一週間で500球まで)ができるんですよね。そこで止められたら仕方ないですけど、高校野球はエースが完投するものだと思ってあの時も投げていました。僕は最後まで投げたいかな」
これから見返してやる
開催されるはずだった第92回選抜高校野球大会は新型コロナウイルスの影響を考慮して中止になった。「僕にとって初めての甲子園がセンバツだったんで、個人的な意見ですけど、何らかの形でやってほしかった」と球児たちを思いやる。高校時代、チームのために腕を振り続けた純朴な野球少年は、今も純真な心で高校野球を見つめている。
「ライバルはいますよ。僕、自分と同じか、下の世代の活躍は見たくないって思うタイプなんです。負けたくない。昨年、同い年の高橋光成(西武)が2桁勝ったのは悔しかった。ただ、今の成績ではなく、ユニフォームを脱いだ時にどちらが活躍したか。そこで勝負できればと思う」
安樂が入団時から纏(まと)っている背番号「20」。シーズンの目標勝利数であることと、もう一つは実働年数を意識してのことだ。
「これから先も高校時代に怪我をして、プロに入ってくる投手もいると思う。そういう選手たちに、『安樂は故障しても20年間現役を続けた』と思わせてやりたい。高校時代で終わったと言われるのが悔しい。見返してやるという気持ち、反骨心があります」
投げすぎ論争から7年。かつて甲子園を沸かせた豪腕が大暴れする時を静かに待っている。
『FRIDAY』2020年4月10日号より
- 撮影:小松寛之