【追悼】元『フォークダンスDE成子坂』桶田敬太郎氏が遺したもの | FRIDAYデジタル

【追悼】元『フォークダンスDE成子坂』桶田敬太郎氏が遺したもの

親交が深かったTBS元アナウンサー・浦口直樹氏が語る桶田敬太郎氏の素顔とは?

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プライベートでは好きだった釣りに興じていた桶田敬太郎氏(ご家族提供)
プライベートでは好きだった釣りに興じていた桶田敬太郎氏(ご家族提供)

下北沢に小さな劇場がある。元フォークダンスDE成子坂の、故・桶田敬太郎氏のつくった劇場だ。劇場名を“しもきたDAWN(ドーン)”という。

フォークダンスDE成子坂は90年代に活躍したお笑いコンビだ。「タモリのボキャブラ天国」等で人気を博し、1999年に突如解散した。それ以来、桶田敬太郎氏は表舞台から遠ざかっていたのだが──今年2月、彼が昨年11月23日に逝去していたことが発表された。

しもきたDAWNでは月に一度、お笑いライブが開催されている。ライブ名は『浦口直樹プロデュース ショーゲキしもきたドォ〜ン!』。

プロデューサー兼司会者は、TBSの元アナウンサー(現・営業局CM部)の浦口直樹氏だ。興味深いのは、ホームーページに「制作・主催:オケダケイタロー」とクレジットされていることだ。

『ショーゲキしもきたドォ〜ン!』のフライヤー(チラシ)にも登場している浦口直樹氏(しもきたDAWN提供)
『ショーゲキしもきたドォ〜ン!』のフライヤー(チラシ)にも登場している浦口直樹氏(しもきたDAWN提供)

フォークダンスDE成子坂時代から、彼と親交の深かった浦口直樹氏に、ライブ開催の経緯を聞いた。

「浦口直樹プロデュースとなっているけど、本当は桶田敬太郎プロデュースです。彼が頑なに名前を出したがらなかった。ここは桶田くんの手作りの劇場で、照明のトラスを組んだり、壁に吸音パッドを貼ったり、全部自分でやりました」

浦口氏はアナウンサーのかたわら、ラジオ制作部にも籍を置いていた。また、業界ではお笑い通として有名で、赤坂お笑いDOJO(TBSラジオ)というネタ番組をプロデュースしている。フォークダンスDE成子坂は、この番組の中心メンバーの一組だった。

「フォークのネタは凄かった。常に新しいことを考えていて、発想もぶっ飛んでいた。桶田くんは間違いなく天才だった。彼は世に出なくてはならない存在でした。……ところがフォークダンスDE成子坂が解散すると、桶田くんは表舞台から消えてしまった」

コンビ解散後、桶田氏とは疎遠だったと浦口氏は語る。コンビ解散が1999年、再会を果たしたのは2016年のことだ。爆笑問題がメインで出演している「タイタンライブ」の終演後のロビーであった。

「『浦口さん久しぶりです!』って桶田くんに声をかけられたんですよ。『桶田くんじゃない! いま何やってんの?』って聞いたら、『映像の仕事しているんですけど、やっぱりお笑いはいいですね。最近、若手のお笑いの子の面倒を見てるんですけど、タイタンライブみたいに緊張感のあるお笑いライブだったらやりたいなって思いました。僕も色々考えているんで、もしよかったら一緒に手伝ってください』って」

「しもきたDAWN」で生前の桶田氏の思い出を語る浦口氏。「しもきたDAWN」という劇場名は、浦口氏がピックアップした幾つかの候補の中から桶田氏が選んで命名したという
「しもきたDAWN」で生前の桶田氏の思い出を語る浦口氏。「しもきたDAWN」という劇場名は、浦口氏がピックアップした幾つかの候補の中から桶田氏が選んで命名したという

敬太郎くんからの申し出は嬉しかったと語り始めた浦口氏であったが、その会話はもう一つの悲しい出来事を思い出させることになった。

「赤坂お笑いDOJOのメンバーには、他にも爆笑問題、ネプチューン、くりぃむしちゅー(当時・海砂利水魚)といった面々がいたんです。で、彼らは才能を認められて、みんな世に出ていった。だから、フォークダンスDE成子坂に関しては心残りだったんですよ……、それに相方の村田渚くんは亡くなってしまって」

そうなのだ、フォークダンスDE成子坂の村田渚氏は、2006年にくも膜下出血で急逝している。

有楽町線千川駅の近くに、「Beach V(びーちぶ)」という小劇場がある。ソニー・ミュージックアーティスツのお笑い専用の舞台だ。劇場名の由来は村田渚だ。村(Village)のVと渚のBeachだ。

フォークダンスDE成子坂の二人はこの世を去ってしまったが、くしくも彼らの志を引き継ぐように、この世界には二つの劇場が残された。

「渚くんの訃報を聞いたとき、もうフォークの再結成は望めなくなった。だから、せめて桶田くんだけには世に出て欲しいと思っていたんです。ところが本人にMCをお願いしても首をたてにふらないし、主催ライブに名前を出すのも嫌がった。なんどもラジオに出てよと誘ったんですが、“まだ”という。“やだ”じゃなくて、“まだ”なんです」

渚くんにたいする贖罪(しょくざい)があったのかもしれないと浦口氏は推測をする。彼の死にたいするショックが相当あって、自分ひとりだけ平気な顔をして、ステージには戻れないと。自分としての禊(みそぎ)がすむまでの、“まだ”だったのではないかと。しかし、桶田敬太郎氏の急逝により、それは永遠の“まだ”になってしまった。

「実は、フォークダンスのトリビュートライブを計画していたんです。彼らのネタをいまの若手芸人に演じてもらうお笑いライブです。彼も乗り気だったので、そこで密かに、桶田敬太郎を舞台に張り出そうと画策していたんですが……」

桶田氏は10年前に大腸ガンを患っていたそうだ。しかし、これは治療により完治している。ところがガンが再発してしまった。

「11月23日に亡くなる前、10月のネタ見せには桶田くんは来てるんです。そのとき、ずっと咳をしていた。『調子悪いの?』って聞いたら、「アレルギーが」って、調子が悪いのを隠していたんです。どうやら、“ショーゲキしもきたドォ〜ン!”が始まった2017年頃には再発していたみたいです」

桶田氏が亡くなられたと伝えられたのは、彼の死の2週間後だったという。他のスタッフから彼の体調が悪いことを耳打ちされていた浦口氏ではあったが、その唐突な訃報に耳を疑った。

「この人、何を言ってるんだろうと──茫然自失ですよ。それも2週間前に亡くなっているという。本人が誰にも言うなって言ったらしい。何年か経って、『そういえば桶田どうしてる?』『ああ、あいつ死んだらしいよ』くらいがちょうどいいと。でも、そういうわけにもいかないと、これは相当に悩みました……」

こうして、桶田氏の親族によって家族会議に行われ、親しかったボキャブラ仲間やお世話になった方々だけにはお伝えすることになった。変なところから彼の死が漏れて、おかしな誤解が生まれるのを避けるためでもある。

2月某日、桶田敬太郎氏がつくった“しもきたDAWN”では、桶田敬太郎メモリアルミーティングが開催された。

「しもきたDAWN」の内部。桶田氏は照明のトラスを組んだり小道具を手作りしたりした
「しもきたDAWN」の内部。桶田氏は照明のトラスを組んだり小道具を手作りしたりした

「彼のつくった劇場で、芸人仲間のみんなで思い出話をする会を開催しました。実は、この会にはもう一つテーマがあって、桶田くんの奥さんと子供に、お父さんがどれだけお笑いの人に愛されていたかをお伝えする場所にしたかったのです。奥さんは彼がコンビを解散してから出会っているし、芸人時代を知りません。桶田くんは、子供にも芸人時代のことを隠していましたから」

爆笑問題は来るわ、ピコ太郎が現れるわで、小学6年生の息子さんは相当驚いていたそうだ。

「ただ、ここで問題になったのは、芸人であれば、その性として桶田敬太郎について語りたくなっちゃうよねってことです。そこでまた家族会議をひらいて、オフィシャルで発表することにしました」

生前、桶田氏はダイエットをしていた時期があるという。だとすれば、演者に戻る準備だったはずだ。彼が語っていた“まだ”は、あるいはすぐ目の前だったのかも知れない。彼がつくった劇場“しもきたDAWN”の「DAWN」とは、英語で「夜明け」の意味なのだから。

海釣りで誇らしげに釣果を掲げる桶田氏(ご家族提供)
海釣りで誇らしげに釣果を掲げる桶田氏(ご家族提供)
海釣りだけでなくバス釣りも(ご家族提供)
海釣りだけでなくバス釣りも(ご家族提供)
  • 取材・文・撮影(特記以外)ハギワラマサヒト

    1967年生まれの臓器移植芸人兼ライター。人生で二度の臓器移植を体験し、移植医療普及の活動をしている。2000年に日本人初の肝腎同時移植をアメリカで、2015年に国内で妻より生体腎臓移植。

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