「羨ましい」福岡堅樹と立場逆転の7人制ラグビー代表・藤田の今 | FRIDAYデジタル

「羨ましい」福岡堅樹と立場逆転の7人制ラグビー代表・藤田の今

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昨年4月の香港セブンズで疾走する藤田慶和
昨年4月の香港セブンズで疾走する藤田慶和

感染拡大が止まらない新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックの開幕が来年7月に延期されることが決まった。その五輪出場に並々ならぬ執念を見せるのがラグビー7人制代表の藤田慶和(パナソニック)だ。15人制代表として2015年ワールドカップ(W杯)にも出場した大型バックスだが、学生時代の注目度は今やスピードスターとして人気上昇中の同僚、福岡堅樹を上回っていた。前回リオデジャネイロ大会を逃した五輪への思い、福岡への思いを明かした。

日本代表の史上最年少出場記録保持者

昨年7月に東京五輪候補選手が発表されて以来、拘束日数が150日に及ぶ厳しい強化合宿をこなしてきたラグビー7人制代表。3月下旬に「東京五輪延期」の一報が届いたのも、埼玉・熊谷で行われていた強化合宿の最中だった。藤田が振り返る。

「聞いた直後はさすがにメンタル的にはかなりダメージがありました。4ヶ月後のオリンピックにすべてをかけるという気持ちで準備してきたので、正直1~2日は引きずっていました。でも悩んでいても時間がもったいないので、いまは『準備できる時間が増えた』とポジティブに捉えて、前を向いて1日1日、自分のできることを積み上げていこうと思っています」

今や7人制代表ではエース格となった26歳の藤田は、間違いなく平成時代の日本ラグビー界でスター街道を駆け上ってきた。身長184㎝とFW並みのサイズを生かしたストライドの大きな走りで花園の常連、東福岡高校時代は1年生からレギュラーとして活躍して、全国高校ラグビーで3連覇。高校3年生の2011年11月には日本代表として世界最高峰の「セブンズシリーズ豪州大会」に出場。当時18歳2カ月と7人制での日本代表出場最年少記録を更新した。

早大進学後も、1年時の2012年5月に18歳7ヶ月で15 人制の史上最年少出場記録も更新。日本代表が南アフリカから大金星を奪った2015年W杯にも22歳の若さで帯同した。当時の日本代表指揮官、エディ・ジョーンズヘッドコーチが1990年代から2000年代にかけて一世を風靡した英・女性ポップグループ「スパイス・ガールズ」にひっかけて、日本ラグビーの“スパイス・ボーイ”と紹介するほど期待されていた。そんな抜群の実績に加え、持ち前の甘いマスクもあり、10代の頃から常に注目を集める存在だった藤田は当時、アイドル的扱いを受けることに対しても、プラスに受け止めていた。

「注目してもらえることは自分の励みにもなりますし、ラグビー人気につながるという意味でも悪いことではない」

その2015年W杯に同じく帯同していたのが、福岡堅樹だ。有数の進学校でもある県立福岡高出身の福岡は、藤田の1学年上。同じ県内ではともに知られた存在だったが、当時の実績という意味では福岡が輝かしい藤田の才能を追う立場だった。2015年W杯も、藤田同様、主力ではなかった。その翌年のリオデジャネイロ五輪から徐々に立場が逆転していく。藤田は最後の最後で五輪の代表から落選したが、福岡は選出された。藤田もブラジルには行くこと自体はできたが、12人の五輪登録メンバーではなく、あくまでも補欠選手としての帯同。ニュージーランドから金星を奪った初戦から計6試合、世界最大のスポーツの祭典で日本のためにプレーする仲間たちの勇姿を観客席から眺めた。

「人生で一番悔しい出来事。オリンピックは観に行くものではない」

藤田が果たせなかったリオ五輪代表メンバー入りを成し遂げ、その後、19年W杯で大活躍。現状、檜舞台で存在感を見せ続けて、注目を集めているのは福岡の方というのは厳然たる事実だろう。

「(福岡がW杯で注目されたことは)めちゃくちゃ羨ましいですよ。僕も夢をつかまないと。自分が高校で(出身地・京都から)福岡県に行った時から、『めっちゃヤバい人がいる』と噂で聞くくらい(福岡は)有名でした。いまはパナソニックで一緒にプレーしているし、もちろん心強いチームメイトですけど、15人制では同じポジションなのでライバルという感じもあります」

「日本ラグビーのスパイスボーイ」になるために

2015年W杯で15人制日本代表として戦った藤田慶和(左から3人目)と隣で歩く福岡堅樹。ともにW杯での先発出場は1試合だった
2015年W杯で15人制日本代表として戦った藤田慶和(左から3人目)と隣で歩く福岡堅樹。ともにW杯での先発出場は1試合だった

藤田も福岡同様、2019年のW杯出場、翌20年の東京五輪の両方で活躍する目標を立てていたが、エディージャパン時代に痛めた肩や膝の故障もあって2015年のW杯後は15人制では思うようなプレーができず。昨年3月に7人制代表に復帰後は、東京五輪の7人制で最高の成績を出すことに集中してきた。

「15人制の時の体重のままでは7人制では使いものにならない。1時間に8〜10㎞ぐらいの距離を実戦で起こりうる動きも取り入れながら走り続ける厳しいトレーニングなども続けて、体重を4㎏ほど落としてから7人制に必要な運動量が戻って、チームのためになるプレーができるようになりました」

前述の熊谷合宿では、15人制W杯で注目を集めた福岡が、1月の東京五輪挑戦宣言以来、はじめて他のメンバーとほぼ同じメニューをこなしたが、完全に7人制にフィットするかは「時間が少し必要」というのが藤田の見解。目標とする東京五輪でのメダル獲得のためには、15人制の檜舞台で結果を残した福岡が完全にフィットして代表に入れれば、頼もしい存在になることは間違いない。一方で、福岡は2020年の東京五輪終了後に医師を目指すために現役引退することを明言していたため、今は去就も注目されている。

「一緒にオリンピックで活躍できたら一番嬉しいんですが……。僕個人のオリンピックでの借りはオリンピックで返すしかない。前回は4位であと1歩で逃したメダルを獲るために、100%自分の力を出し切りたい。その思いは誰よりも強いです。

 7人制ではスクラムハーフやスタンドオフといったチームをコントロールするポジションでプレーすることが多いので『こいつにボールを渡せば大丈夫。藤田がいれば安心』とチームメイトから思ってもらえるような存在にならないと。そのために、代表合宿ではやりきれない細かい部分のトレーニングは続けます」

藤田が冒頭で明かしたように、時間が与えられたということは、藤田がよりいい選手になり、そして日本代表がよりいいチームになる可能性が増えたという捉え方もできる。来年夏、胸にメダルをかけた「日本ラグビーのスパイス・ボーイ」に世界中からの注目が集まる日が来ることを夢見ながら、1日1日、努力の歩は止めない。

  • 取材・文・写真出村謙知

    1964年、北海道札幌市生まれ。明大卒業後、編集・広告関係企業に勤務。90年代初頭からフランス・パリを拠点にラグビー、サッカー、アイスホッケーなどのスポーツ分野を中心にフォトルポタージュを手掛けてきた。ラグビーマガジンなど国内にとどまらず、海外の通信社にもラグビー写真を配信。ラグビーW杯は1995年南アフリカ大会以降、すべて現場で取材している

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