コロナを克服!梨田昌孝元監督「唯一のガッツポーズ秘話」

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01年。近鉄が4度目のリーグ優勝を果たした直後、大阪・通天閣で決めポーズ。現役時代はバファローズの主力捕手として活躍した

3月31日に、新型コロナウイルス感染で入院してから約50日ーー。一時は集中治療室入りしていた梨田昌孝氏(66、近鉄や日本ハムなどで監督)が、奇跡の復活を遂げた。5月20日に大阪府内の病院を退院したのだ。

「言葉もありません。ボクが若手選手の時に、野球の技術的なことから社会人としての生き方まで厳しく指導していただいた方ですから。本当に良かった……」

こう語るのは梨田氏の後輩として近鉄で活躍した、野球評論家の金村義明氏だ。金村氏が続ける。

「ボクは’82年に兵庫県の報徳学園から近鉄に入団したんですが(ドラフト1位)、当時キャンオプなどで若手は大部屋で寝ていました。まだまだ礼儀も知らない、遊びたい盛りのガキですよ。そんなボクを指導してくれたのが梨田さんです。

2年目のキャンプで部屋子(同部屋の先輩の世話をする人)として、選手会長をしていた梨田さんと同じ部屋で寝泊まりすることになったんです。温厚そうな外見と違って、厳しかったですね。トイレのスリッパが乱れているだけで、怒られましたからね。『先輩が使ったスリッパを、キレイに並べておくのが若手の仕事だろ!』と。毎日、緊張しまくりでした。ただ、常識に欠けるヤンチャをボクが、まがいなりにもプロ野球選手としてやっていけたのは梨田さんのおかげです」

当時の近鉄には、豪放な選手や指導者が揃っていた。後に監督になる仰木彰氏は、朝まで大阪の繁華街・北新地で飲み明かし、そのままグラウンドへ。近鉄の本拠地・藤井寺球場での試合前のランニングは、汗をかいて酒を抜くためだったと言われている。

新幹線車内の酒を飲み干し床はビール缶だらけ

また外野手の栗橋茂氏は、キャンプ地の居酒屋で絡んできた地元の漁師をボコボコに。翌日仕返しに現れた漁師仲間を、返り討ちにしたという伝説がある。さらに近鉄が東京に遠征する際は、新幹線車内の酒が飲み尽くされ、床はビール缶だらけ。新幹線の掃除スタッフは「近鉄の選手が乗った電車だけは担当したくない」と、不満を漏らしていたというのだ。

「梨田さんだけは違いましたね。飲みに行っても乱れることがない。近鉄で唯一のスマートな方でした」(金村氏)

そんな梨田氏が、一度だけ派手なガッツポーツを見せたことがあるという。’88年10月19日に川崎球場(神奈川県)で行われた、ロッテとのダブルヘッターでのことだ。近鉄は連勝すれば優勝。1試合でも負け、もしくは引き分ければライバル西武のVが決まるという重要な試合だった。

「普段は閑古鳥の泣く川崎球場が、試合開始前から満員でした。異様な雰囲気でしたね。当時ボクはケガで戦列を離れていましたが、仰木監督の特別の配慮でベンチ横から試合の行方を見ていました。近鉄の選手は緊張からか、いつものような伸び伸びしたプレーができない。1試合目の9回表2死の時点で3対3の同点。2試合目が控えているので延長はありません。正直『もうダメか』と諦めかけていました。

打席に入ったのは、この年で引退を決めていた梨田さんです。現役最後のバッターボックスですよ。そこで梨田さんが、センター前にヒットを打つんです。2塁ランナーが生還して、近鉄は4対3と勝ち越し! ファンも選手も大興奮で抱き合っています。ふと塁上を見ると普段クールな梨田さんが、2回3回と手を叩きガッツポーズをしている。その姿を見て、涙が止まらなくなりました。

普段スマートな梨田さんが、大きな仕事を現役最後に成し遂げ喜びを全面に出している。男の生き様を感じました」(金村氏)

結局、近鉄は2試合目を引き分け優勝を逃す。だが梨田氏が見せた唯一のガッツポーズは、金村氏に強烈な印象を残した。

「ボクは中日、西武と所属チームを変え、’99年に引退します。当時、近鉄の二軍監督をしていた梨田さんのとこへ挨拶に行くと、普段の厳しい態度が一変。優しい言葉をかけていただきました。『ご苦労さん。オレは高卒(島根県・浜田高)で17年現役を続けたけど、オマエは同じ高卒で18年がんばった。大したもんだ』と」

監督としても近鉄、日本ハムをリーグ優勝に導いた梨田氏。多くの“教え子”が、奇跡の復活を祝している。

  • 写真時事通信社

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