野村克也がサッチーにも言えなかった「ありがとう」を言った相手

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ユニフォーム姿が最後となった2009年10月24日、CSシリーズの日本ハムに敗れた後、 楽天・野村監督は両軍から胴上げされた

2月11日に亡くなった稀代の智将・野村克也さんはプロ野球で24年間、監督を務めたが、その最後の戦いの舞台となったのが、東北楽天ゴールデンイーグルスの指揮官として臨んだ2009年のCS(クライマックスシリーズ)だった。決戦直前には普段、見せることのない、自身も驚く涙をこぼす場面もあったという。

ID野球を標榜する智将がなぜ感情をさらけだしたのか。当時、野村監督を参謀役のヘッドコーチとして支えた橋上秀樹氏の言葉で振り返る。

選手の前で初めて見せた涙

野村さんが楽天の監督を引き受けたのは球団創設2年目の2006年。前年に97敗したチームを徐々に立て直し、就任4年目の2009年は4月を首位で終えるなど序盤からAクラス争いを展開。7月に4位に後退したものの、8月以降は投打がかみ合い2位で球団初のCS進出を果たした。

しかし、球団は74歳という高齢を理由にレギュラーシーズン最終戦前に契約を延長しないことを通告。結果を出したにもかかわらずユニフォームを脱がされる悔恨、年齢的に復帰は望めない天職への愛惜。それは涙となってあふれ出た。

「選手もビックリしていましたし、長年、一緒にやらせていただいた僕も初めての光景で、すごくインパクトがありました」

選手、コーチとして通算12年間、野村監督に仕えた橋上氏が続ける。

「福岡ソフトバンクホークスとのCS第1ステージの初戦前のミーティングでした。クラブハウスに選手、コーチを集めて、野村さんが『みんなの力でクライマックスシリーズに出られました。心を1つにして勝ち抜こう』と感謝を伝えた後、『私事で申し訳ないが解雇通告を受けました。監督をやめることになったけど、君たちと1日でも長く同じユニフォームを着ていたい』と言いながら感極まって涙を流されたんです。

選手の前では常に監督として威厳を保っていた野村さんが、そうしたものを取り払って、自分をさらけだして涙ながらに訴えるというのは、僕が知る限りでは、そのときだけでした。あとから野村さんに聞いたら『計算とかはない。自然とああなってしまって、最後はなにも言えなくなってしまった。まさか、俺もあそこであんなふうになるとは思わなかった』とおっしゃっていました」

涙を止めることができない野村さんは、ミーティングを締める言葉も言えないまま、部屋を出て行ってしまったという。残された選手やコーチ陣は唖然としながらも、気持ちが昂っていくのを感じていた。

「ミーティングがまた終わっていない状態だったので、私が『監督の意志をくんで、クライマックス、頑張っていこう!』と伝えて終わりましたが、当時主砲の山﨑武司もあれで改めて『この人を胴上げしようと思った』と言っていましたし、みんなのモチベーションが高まって一致団結したと感じました。

野村さんは食事に一緒に行くことはしないなど、選手とは一定の距離感を保ちますし、データ重視で冷徹と誤解している選手もいたかもしれませんが、野村さんの人間味に触れ、選手たちは花道を飾ってあげたいという気持ちが強くなったと思います」(橋上氏)

果たして、その日の試合は序盤から打線が期待に応えた。高須洋介の先頭打者ホームランなど4本塁打、11得点で大勝。翌日の第2戦も4番・山﨑の2試合連続のホームラン、田中将大の1失点完投で4対1と快勝し、第2ステージ進出を決めた。

参謀・橋上ヘッドと敵将・梨田昌孝監督による”連係プレー”

敵地で両軍による異例の胴上げは楽天・橋上秀樹ヘッドコーチ(左端)の進言と梨田昌孝監督(手前左)の粋な計らいによって実現した

日本シリーズ出場を懸けた第2ステージは北海道日本ハムファイターズの前に屈したが、教え子たちの粋な計らいに、野村さんの心は、また震えた。

1勝のアドバンテージを持つ日本ハムに連敗して徳俵に足がかかると、橋上氏は日本ハムの球団関係者に頼んで、楽天が敗退した際にはグラウンドで野村監督を胴上げする許可を取りつけた。敵地では異例の要望だった。橋上氏は言う。

「野球人・野村克也の最後として、ライトスタンドの楽天ファンへ挨拶するだけでは相応しいとは思えなかったんです。試合後にはヤクルト時代の教え子の稲葉篤紀と一緒に敵将の梨田昌孝さんがこちらのベンチ前に来て『我々も野球界の後輩として、野村さんの最後の場に立ち会わせてほしい。胴上げするなら一緒に参加させてほしい』と言っていただきました。

稲葉だけでなく、日本ハムの中には吉井理人、武田勝ら教え子が数多くいましたしね。両軍による胴上げというのは珍しいですから、野村さんの偉大さをうかがい知れる最後でした」

4万人を越える札幌ドームのスタンドからは「ノムラ」コールが響く。吉井理人に気づいた野村監督の足が止まる。固く握手をし、抱擁を交わすと、吉井氏に続いたのが梨田さんだった。やはり握手をして、抱擁しながら労いの言葉をかけた。ライトのポジション付近で両軍が敵味方関係なく輪を形成して、当時74歳の最高齢監督は5度、宙に舞った。

「本人も喜んでいて、今日でユニフォームが最後なんだという悲しみを一瞬でも忘れさせてもらったんじゃないですかね。あのあと、野村さんから初めて『ありがとう』と声を掛けられました。最初で、最後でしたが、野村さんの辞書には『ありがとう』という言葉はないと思っていたので、やっぱり嬉しかったですね」(橋上氏)

亡くなる前、妻・沙知代さんにも言えずに後悔した「ありがとう」の思いを、ユニフォームを脱ぐ直前、教え子には伝えられた。選手の力を最大限に引き出すために、理論武装を積み重ねてきた智将が、人間・野村克也を解放した瞬間だった。

ヘッドコーチをつとめた3年間はいつも野村監督のそばにいた橋上秀樹氏(右)
  • 写真時事通信

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