松坂、イチロー、松井、ダル…プロ野球スターの初フライデー写真 | FRIDAYデジタル

松坂、イチロー、松井、ダル…プロ野球スターの初フライデー写真

球界を代表するスーパースターを初めて撮影した「お宝写真」厳選プレイバック!

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松坂大輔

夏の大会前に横浜高の合宿所で松坂を直撃。怪物は「打たれる気がしない」と豪語した通りの快投を見せて春夏連覇を達成。決勝の京都成章戦はノーヒットノーランという離れ業だった(’98年8月21・28日号)
夏の大会前に横浜高の合宿所で松坂を直撃。怪物は「打たれる気がしない」と豪語した通りの快投を見せて春夏連覇を達成。決勝の京都成章戦はノーヒットノーランという離れ業だった(’98年8月21・28日号)

「反則やで、アイツ!」

192cmの長身から投げ下ろす140kmの快速球が武器。持ち球はほかにカーブとシュートにフォーク。一番の武器は真っ直ぐと同じ腕の振りで投げる高速スライダーだ。プロ野球選手の話ではない。

大阪のボーイズリーグ『全羽曳野(オールはびきの)』のエースとして君臨した15歳(当時)のダルビッシュ有少年の話だ。

ダルビッシュ有

中3にして同級生より頭ひとつもふたつも大きな長身。夏のボーイズリーグ世界大会で2完投勝利をあげ、メジャーのスカウトの注目を集めたダルビッシュ有。大阪の強豪高からの誘いを蹴って東北高へ進学(’01年12月7日号)
中3にして同級生より頭ひとつもふたつも大きな長身。夏のボーイズリーグ世界大会で2完投勝利をあげ、メジャーのスカウトの注目を集めたダルビッシュ有。大阪の強豪高からの誘いを蹴って東北高へ進学(’01年12月7日号)

冒頭の一言は対戦チームから飛ばされた悲鳴にも近いヤジである――。

阪神の藤浪晋太郎投手(26)ら3選手の感染を受けて開幕が再延期され、いまだ自主練習が続くプロ野球界。

全143試合を断念して90試合程度に減らしたり、交流戦やポストシーズンを休止することが検討されるなど、例年通りのシーズン運営はおろか、開幕できるのかどうかすら未定。

そこで今回、野球を愛する読者諸兄に明るく前向きなニュースをお届けすべく、球界を代表するスーパースターの「青春時代」を切り取った写真を集めてみた。

条件は「球場スタンドなどからではなく、本人と直接、接触して撮影した写真で、初めて本誌に掲載されたもの」。

 

私服だったり、部屋の中だったり、シチュエーションはさまざまだが、いずれもブレイク前夜あるいは直後の初々しく、パワーに満ち溢(あふ)れた一枚だ。スターの輝きにパワーをもらいつつ、開幕を待とう。

前田健太

平田良介(中日)や中田翔(日本ハム)を擁する大阪桐蔭などに阻まれてマエケンのPL学園はなかなか甲子園に行けず、甲子園出場は1年夏と3年春のみ。それでも148kmの速球がプロの目に留まり、広島が1位指名(’06年10月6日号)
平田良介(中日)や中田翔(日本ハム)を擁する大阪桐蔭などに阻まれてマエケンのPL学園はなかなか甲子園に行けず、甲子園出場は1年夏と3年春のみ。それでも148kmの速球がプロの目に留まり、広島が1位指名(’06年10月6日号)

菅野智之

ドラフト会議で原辰徳監督の甥っ子を引き当てたのは、巨人ではなく日本ハムだった。写真は「入団拒否」を表明する会見へ臨む菅野智之。母校・東海大の施設などで、1年間の浪人生活を送った(’11年12月9日号)
ドラフト会議で原辰徳監督の甥っ子を引き当てたのは、巨人ではなく日本ハムだった。写真は「入団拒否」を表明する会見へ臨む菅野智之。母校・東海大の施設などで、1年間の浪人生活を送った(’11年12月9日号)

田中将大

1年生まで捕手兼任だったが、投手に専念して高校通算35勝。3年夏に斎藤佑樹の早実に敗れるまで甲子園で8戦無敗だった。彼を見に、練習試合でも12球団とメジャーのスカウトが集結した(’06年7月7日号)
1年生まで捕手兼任だったが、投手に専念して高校通算35勝。3年夏に斎藤佑樹の早実に敗れるまで甲子園で8戦無敗だった。彼を見に、練習試合でも12球団とメジャーのスカウトが集結した(’06年7月7日号)

大谷翔平

160kmの豪速球を投げ、日本代表の4番としてホームランをかっ飛ばしていた花巻東時代の一枚。プロではシーズン10勝&20発&100安打という大記録を樹立。メジャーでも二刀流を貫いている(’12年9月28日号)
160kmの豪速球を投げ、日本代表の4番としてホームランをかっ飛ばしていた花巻東時代の一枚。プロではシーズン10勝&20発&100安打という大記録を樹立。メジャーでも二刀流を貫いている(’12年9月28日号)

藤浪晋太郎

大阪桐蔭のエースとして春夏連覇を達成した翌日、OLにせがまれて記念撮影。197cmの規格外ボディは異様に目立っていた。高卒新人ながら阪神でも1年目から3年連続二ケタ勝利とエース級の活躍(’12年9月14日号)
大阪桐蔭のエースとして春夏連覇を達成した翌日、OLにせがまれて記念撮影。197cmの規格外ボディは異様に目立っていた。高卒新人ながら阪神でも1年目から3年連続二ケタ勝利とエース級の活躍(’12年9月14日号)

中田 翔

生駒山のふもとにある大阪桐蔭のグラウンドで「寒いッス」と震えながらも決めポーズ。現在よりだいぶほっそりしているが、打っては高校通算87本塁打、投げては最速150kmと当時から豪快だった(’07年4月6日号)
生駒山のふもとにある大阪桐蔭のグラウンドで「寒いッス」と震えながらも決めポーズ。現在よりだいぶほっそりしているが、打っては高校通算87本塁打、投げては最速150kmと当時から豪快だった(’07年4月6日号)

城島健司

プロ入り拒否を表明していた別府大附属高(当時)の城島が一転、ホークス入り。翻意の理由を直撃すると「王貞治監督が2回も別府に来て『日本を代表する打者になれ』と言ってくれたから」(’95年1月20日号)
プロ入り拒否を表明していた別府大附属高(当時)の城島が一転、ホークス入り。翻意の理由を直撃すると「王貞治監督が2回も別府に来て『日本を代表する打者になれ』と言ってくれたから」(’95年1月20日号)

イチロー

彗星のように現れて210本ものヒットを放ち、年間最多安打記録(191本)を大きく塗り替えたハタチの若者に日本中が大興奮。振り子打法とアメリカナイズされたファッションも注目を集めた(’94年9月30日号)
彗星のように現れて210本ものヒットを放ち、年間最多安打記録(191本)を大きく塗り替えたハタチの若者に日本中が大興奮。振り子打法とアメリカナイズされたファッションも注目を集めた(’94年9月30日号)

松井秀喜

現在も語り継がれる5連続敬遠。敗退した星稜高の宿舎に失意の松井を訪ねると、ファンから貰ったゴリラ人形を手に「またゴジラとゴリラとかって書くんでしょう?」と気丈にも笑顔を見せた(’92年9月4日号)
現在も語り継がれる5連続敬遠。敗退した星稜高の宿舎に失意の松井を訪ねると、ファンから貰ったゴリラ人形を手に「またゴジラとゴリラとかって書くんでしょう?」と気丈にも笑顔を見せた(’92年9月4日号)

『FRIDAY』2020年5月1日号より

  • 撮影霜越春樹(ダルビッシュ、大谷、中田) 眞野公一(前田、藤浪) 足立百合(菅野) 岡内正敏(田中) 池田栄次(城島) 朝井 豊(イチロー、松井) 菊地弘一(松坂)

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