YouTube「嵐フェス」無料公開に見る祝祭感の正体

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YouTubeで2012年の嵐フェスの映像が公開されて3週間が過ぎた。

再生回数の伸びもさることながら、驚くべきはそのコメントの多さだ。ほとんどが万感の思いを込めて、嵐に対しての感謝と賛辞を贈っており、その数は、5月6日時点でまもなく3万に達しようとしている。

一般的に、単行本にするための原稿は400字詰原稿用紙が200枚、つまり8万字が基本とされているので、もしこの嵐フェスに寄せられたコメントを本にするとしたら、1コメントを150字としてざっと450万字。一冊9万字平均でまとめたとしても50冊! ものすごい長編である。

ちなみに、世界文学の中で長編といえばすぐ思い浮かぶマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の日本語訳(光文社文庫なら全14巻)がおそらくそれぐらいの文字量だ。名のある文学者でも、「途中で挫折した」と語るほどの大作(挫折するのはその長さよりも難解さが大きいとされるが)と並ぶほどの熱量が、そこに充満しているのである。

嵐のメンバーに読まれるかはわからない。でも、書き込まずにはいられない。その理由は、もちろん嵐に感謝を伝えたいからだろうが、書き込むことで、あらためてこの“祝祭”に参加できた気持ちにもなれることも大きいのではないか。

たかがアイドル、されどアイドル

「Happiness」から始まるこの祭は、今、“Stay Home”という行為こそが正義であると叫ばれる中、当たり前のはずだった幸せの尊さに、痛いほど気づかせてくれる。「どんなに小さな蕾でも一つだけのハピネス」という歌詞は、「Happiness」(07年)の4年前に大ヒットしたSMAPの「世界に一つだけの花」とテーマ的には同じだ。自分を大切にしよう。あなたは特別だよ。そういう普遍的なメッセージを歌に込められるのは、言ってみれば“アイドルの特権”だ。

「たかがアイドル、されどアイドル」である彼らが歌うからこそ、“オンリーワン”が説得力を持つ。ジャニーズに所属するタレントの多くが、昨年のジャニー喜多川氏の逝去にあたり、「ジャニーさんが僕を拾ってくれた」といったコメントを寄せていたが、彼らは、10代の頃は自分の未熟さや拙さに打ちのめされ、それでも這い上がってきた精鋭たちだからだ。それぞれが、目利きであるジャニー氏から“オンリーワン”だと認められたことだけをよすがとして、自分磨きに励んできたのである。

国立でのコンサートを「フェス」にした意味

ジャニーズのタレントは、基本的にはとても謙虚だ。例えば、ドームのステージに立っても、スタジアムを満員にしても、「みなさんのお陰でここに立てています」と必ず言う。嵐の国立競技場でのライブは、2012年の嵐フェスの時点で5度目だが、アルバムツアー以外の国立でのライブを参加型の“フェス”にしたのは、ファンとともに、一つの作品を創り上げたい、という気持ちの結実ではなかっただろうか。

しかも、会場は“国立”競技場。東京ドームのような商業施設ではなく、多くのアスリートたちの戦いを見守ってきた神聖な場所だ。そこで開くコンサートを祈りの場所=祭としたのは、考えてみれば、至極当然の成り行きだったのかもしれない。リフター(タレントを乗せて高所に上がる舞台装置)をフル活用した演出も相まって、この公演での嵐の5人は、とにかく神々しい。

ランキング1位になった「Face Down」のようなハードに踊る曲にしても、大野智と二宮和也のユニット”大宮SK“のちょっとふざけたノリにしても、どこかに”祈り“に通じるようなスピリチュアルな美しさがある。観る側が、上手いとか下手だとか、好きだとか嫌いだとか、嬉しいとか悲しいとか、頭や心に浮かんだ煩悩を全部オフにして、無になれるような不思議な感覚。

筆者は、嵐フェスの会場にいた時、その内的な感覚を、”多幸感“とか”幸福感“とか”ユートピアのようだ“とか、ありがちな言葉で説明しようとしていた。でも今、2020年の日本で、この映像を観ながら思うのは、このエンタテインメントショーそのものが、”祈り“になっているということだった。

TDLではなくお伊勢参り

よく、嵐を筆頭にしたジャニーズのライブは、ディズニーランド的な幸福にたとえられることがある。もちろん、そういうファンタジックな部分も大いにあるだろう。特に、それぞれのグループのアルバムツアーは、グループのカラーを活かしたテーマパーク的な楽しさに満ちている。

でも、こと嵐フェスに関しては、極端な例え方をすれば、“お伊勢参り”のほうが近いかもしれない。江戸時代の一大エンタメだったとされる“お伊勢参り”は、境内に一歩足を踏み入れれば、その麗しき自然と太古から粛々と受け継がれる営みに精神が浄化され、自然と感謝の気持ちが湧き、「おかげ横丁」では食欲などの煩悩も満たされる。

自分の人間らしさを自覚するとともに、一瞬でも何かとてつもなく透明なものに触れられたような気分にもなる、世界でも類を見ない贅沢な時空間だ。楽しさに没頭できて、童心に還れるテーマパークとは違って、人間の深淵な部分と交信するような、崇高な感覚を体験できるのである。

仕事柄、様々なエンターテインメントに触れる機会が多い筆者が思うに、せっかく日本に生まれたからには、ジャニーズか宝塚か歌舞伎、そのいずれかを趣味にできることほど、幸せなことはない。というのも、その3つのエンターテインメントには、他の何物にも似ていないオリジナリティがあり、日本にしか存在し得ないからだ。作品の中で、日本語という美しいコトノハに、心を揺さぶられるからだ。

さらに、歌舞伎が400年以上、宝塚が106年、ジャニーズが58年と、歴史の中でそのジャンルを確立し、さらに発展させ続けているためか、ファン同士の横のつながりも強大である。ジャニヲタを取材していると、好きなグループがきっかけで生まれた友情というのが数多く存在することに驚かされることも多い。

現実でどんなに辛いことがあっても、自担(担当=“推し”の略)の笑顔を見れば救われる、自担の歌に元気をもらえる。ジャニーズのファンは、つい自分の推しに都合のいい幻想を抱いてしまいがちだけれど、ライブに参戦できさえすれば、その幻想は成就する。それほど、ジャニヲタにとってライブは不可欠なものだ。でも、この嵐フェスがくれるたとえようのない感覚は、“幻想の成就”を超えている。

ヲタク界で広まった“尊い”という表現の起源

アニヲタや声優ヲタなども含めた日本のヲタク界隈で、“尊い”という表現が頻繁に使われ始めたのは、ちょうどこの嵐フェスが開催された2012年頃だったと思う。ジャニヲタの中でも特にヲタク力の高いKinKi Kidsヲタに頻繁に活用されていたと記憶しているが、それは、ジャニーズのスピリチュアル王子・堂本剛が発信する言葉の世界が、生きることの尊さを物語るものが多かった影響だろう。

そして2013年には、コンサート前に嵐ファンが会場の外で、あるいは新宿駅のポスターの前で五体投地している姿が、ツイッターなどで話題になったことがある。それは、はたから見たらキモチワルイ光景だったかもしれない。でも今、改めて嵐フェスを見てみると、そうしたくなる気持ちが分からなくもないのだ。だって、彼らは単なるアイドルというより、この時ばかりは人々の祈りを一身に背負った、平和の使者に見えるから。

日本には地域ごとにいくつもの祭りがある。東日本大震災の翌年、嵐が、国立の地で、“無心”になって音楽で祈りを捧げたのは、きっと必然だったのだろう。そして今、このタイミングで、世界中の、大勢の人が、嵐の祈りを目にしたこともまたーー。

  • 取材・文喜久坂京

    ジャニヲタ歴25年のライター。有名人のインタビュー記事を中心に執筆活動を行う。ジャニーズのライブが好きすぎて、最高で舞台やソロコンなども含め、年150公演に足を運んだことも。

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