朝ドラ『エール』に登場で改めて思う「志村けん喪失の大きさ」

国民の『親戚のおじさん」みたいだったその存在感!

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
バカ殿に扮し、アイーンのポーズをする志村けん。08年のDVD発売記念イベントにて

現在放送中の連続テレビ小説『エール』(NHK総合)の5月1日放送分に、故・志村けんが登場した。放送以前から登場シーンが期待され、日本全国で固唾を飲んで待ち構えていた人も多かったはず。

「あれ? ひょっとして今日は出番なしなの??」

と思っていたラスト8時14分。その時は訪れた。シーンを見ている限りでは、普通の俳優さんを見ているようだ。でもひとつだけ違うものがあるとしたら、これはタレント・志村けんの遺作。彼がこの世から消えたことを思い知らされる瞬間でもあった。今回は最期の姿を見守りつつ、志村世代で彼にずっと笑わせてもらった代表として“あの日”の気持ちを振り返りたい。

2020年3月29日、私たちの時間が遮断された

まずはドラマの簡単なあらすじを説明しよう。

“舞台は大正時代。福島県の老舗呉服屋の長男として誕生した、古山裕一(窪田正孝)。幼少期から大人しい性格だった裕一が持っていたのは、天才的な音楽家としての才能だ。国際作曲家コンクールに応募した曲が入賞して、海外留学も控えているほど将来を嘱望されている。一方で歌手を志す、関内音(二階堂ふみ)とも文通を経て、婚約。二人で手を取り合って音楽の道へ進もうとするが……”

偉大なる作曲家・古関裕而をモチーフに新しい音楽への扉を開こうとする二人を描いていくのが『エール』だ。初回放送が恐竜のいた中生代から始まって、何かとハラハラさせられたけれど、物語が本格的に始まると窪田正孝&二階堂ふみという令和のゴールデンコンビの演技に引き寄せられている。

志村けんはこのドラマで、西洋音楽作曲家・小山田耕三の役。映画『鉄道員』(1999年)以来の演技の仕事で、テレビドラマへの出演は最初で最後になってしまった。

私は特に彼のファンクラブに入会しているわけでもないので、熱心なファンかと聞かれるとそうでもない。でもひとつだけ間違いがないのは、生まれたときから志村(敢えて当時の呼び捨てで)にはずっと笑わせてもらっていた。彼に憤りを感じたことはもちろんない。宿題や塾のことで親に怒られたときも私の味方でいてくれた、親戚のおじさんのような存在。

その存在値が一転したのは、2020年3月29日。コロナ騒動が本格化してきた頃で、国民の誰もが小さなストレスを抱え出していた。私も漏れなく同じで、朝の目覚めが悪くなっていた。

「あー……今日もまだコロナいるんだよね」

滅入りながら起きるのは健康に良くない。その日もそんな状態で、仕事を始めようとしていたらニュース速報がテレビに流れる。

『新型コロナウイルス感染が判明していたタレントの志村けんさん(70)が死去』

その瞬間、このマンションに住んで2年目にして最大ボリュームの声で

「えーーーーーーーーーーーー!!」

と悲鳴をあげた。何がなんだか訳がわからなかった。よくわからず、廊下を行き来したり、ベッドに寝て、翌日目が腫れるまで(腫れやすい体質である)泣いていた。当日は全く仕事が手につかず、ついにはテレビも見れなくなった。つければずっと彼の訃報が流れているからだ。信じることができない。

「志村、後ろ!後ろ!!」何度でもそう叫びたい

彼の死が自分でも予想外に衝撃だった理由は、回想すると二つある。

ひとつは上記にも挙げた、彼が身近な親戚のおじさんのような存在だったこと。ではなぜ彼が年代を問わず、コメディアンとして日本中から愛されていたのかといえば“お笑い”というクリエイティブに対して前衛的すぎたからだと思う。これはテレビで見た情報だけど、ドリフターズでデビューして以来、お客さんを笑わせるため、常に新しいことをリサーチして、提案していたという。

「これからは必ず一家に一台ビデオカメラを持つ時代になるから」

と、おもしろビデオコーナーを『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(1986年)で企画を持ちこみ、視聴者から動画を募集したと聞くと納得。この30年近く、どこの局でも当たり前のように放送されている。

東村山音頭、ヒゲダンス、バカ殿、変なおじさん、ひとみばあさん。彼の笑いはどこにでもありそうなのに、誰も真似をすることがいまだにできないでいる。志村は最先端のまま、この世から消えてしまった。

そして二つ目の理由は、やっぱり新型コロナウイルスによって亡くなってしまったこと。人間だからいつかは死ぬに決まっている。でももう私が生きている限り会えないような大スターの最期が、身内にも触れられぬまま荼毘に伏せられたと聞くと、また涙が出る。

そして今回の訃報により、多くの国民がコロナ感染者の遺体は保菌者として“処理”をされると初めて知ることになってしまった。本当だったら、いかりや長介のような大葬で見送ってあげたかったと、雲を手で掴むような空虚が流れていく。なんだかな、まだ生きているような気がしてならない。また会いたいな。

読者にはドン引きされるかもしれないが、彼が亡くなってから2週間くらいは毎日、1日のどこかで志村を思い出して落ち込んでいた。それが皮肉なことに日々刻々と変わっていくコロナ関連の情報、疑問、苛立ちが消してくれた。そして始まった『エール』。次回の志村の出演シーンは5月中旬、今からすごく楽しみだ。最後ではなく、いつだって最前に立つ彼の記憶を更新することができるにだから。

と、志村のことを思い出して余談をひとつ。私の出身地・静岡県浜松市でもじゃんけんと言えば『最初はグー』で始まっていた。地方や年代によって、この音頭が変わるらしいが私の記憶は、

「最初はグー、またまたグー、いかりや長介頭がパー」

だった。高校時代、この誰もが知る一般的なフレーズに対して、とある疑問を感じて同級生に相談をした。

「……ねえ、由紀ちゃん(同級生)、なんで突然いかりや長介だけ頭がパーなんだろう?」

「急に人のことを“パー”って、よく考えたらひどい話だら……」

いかりや長介に対して、究極に失礼なじゃんけんの掛け声。インターネットもない当時16歳の私にとって、解せぬ問題だった。でもそれが今回の訃報による報道で『最初はグー』の発案者が志村けんだと初めて知った。そうか、だから先輩をひねって“パー呼び”をしていたのかと合点がいった。

このことを由紀ちゃんに報告したいと思ったのだが、もう同窓会に何年も出かけていない不義理な身分なので、連絡先さえ知らない。でもきっと彼女もテレビの前でこの事実に気づいてくれたと信じたい。

※放送予定は5月1日(金)現在によるものです。変更の可能性がありますのでご注意ください。

  • 小林久乃

    エッセイスト、ライター、編集者、クリエイティブディレクター、撮影コーディネーターなど。エンタメやカルチャー分野に強く、ウエブや雑誌媒体にて連載記事を多数持つ。企画、編集、執筆を手がけた単行本は100冊を超え、中には15万部を超えるベストセラーも。静岡県浜松市出身、正々堂々の独身。女性の意識改革をライトに提案したエッセイ『結婚してもしなくてもうるわしきかな人生』(KKベストセラーズ刊)が好評発売中。

  • 写真時事通信フォト

Photo Gallary1

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事