鼠先輩「仕事ゼロでもなんとかなるさ」”一発屋”で得た人生哲学 | FRIDAYデジタル

鼠先輩「仕事ゼロでもなんとかなるさ」”一発屋”で得た人生哲学

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4月で47歳に。子どものころから歌手になるのが夢だったという。自身がオーナーを務める東京・東村山のスナックで撮影
4月で47歳に。子どものころから歌手になるのが夢だったという。自身がオーナーを務める東京・東村山のスナックで撮影

「僕がブレイクしたのは12年ほど前です。10代以下の人は名前すら知らないでしょう。ショッピングモールなどのイベントに出ると、子どもたちの反応が面白い。いきなりパンチパーマにサングラス、白いスーツ姿のオッさんが出てくるんですから。

ちびっ子はア然となる。怖がった様子で、隣にいるお母さんの顔を見ながらこう言うのがわかるんです。『怖い人が来たよ~』って。お母さんは笑いながら答えます。『大丈夫。ぽっぽ〜と歌う楽しいオジさんだから』とね」

こう話すのは、’08年にリリースした『六本木~GIROPPON~』でブレイクした鼠先輩(47)だ。歌詞に含まれる「ぽっぽぽっぽ」というフレーズは当時の流行語に。同曲のダウンロード数は200万を超え、演歌歌謡曲部門で1位となる大ヒットソングとなった。

だが翌年、「思ったほど儲からなかったから」という理由で突然引退。現在は、東京の東村山でスナックを経営している。鼠先輩が、自身の波乱万丈の半生を振り返る(取材を行ったのは4月上旬です)。

ーー鼠先輩は、大阪生まれの岡山育ちですね。

「子どもの頃は、めちゃめちゃ貧しかったですね。親父が定職につかず、“飲む・打つ・買う”が大好きな男だったから大変でした。家に借金取りが来て、いつも祖母が泣いていたのを覚えています。団地暮らしでしたが、周りの家庭はどこも貧乏だったなぁ」

ーーどうやって食べていたんですか。

「よく冗談だろって言われるんですが、近所で獲れたザリガニやフナを茹でて食べていたんです。友人の中には、アリが運んでいたアメを横取りして舐めているヤツもいました。思い出深いのが、棒状のアイスです。当時は最後まで舐めて棒に『当たり』と書いてあったら、もう一本もらえました。ただ、なかなか当たらない。

そこで何も書いていない棒に、ボールペンで『当たり』と記して駄菓子屋に持って行ったんです。駄菓子屋の親父は子どもが書き足しのをわかっていて、黙って一本くれました。貧しくても人情があったんですよ。調子に乗って再度持って行ったら、ドヤしつけられましたが」

ーー子どもの頃から音楽に興味があった?

「はい。小学校の時は、近藤真彦や沢田研二に魅了されていましたね。中学に入ってから影響を受けたのが、同じ岡山出身のバンド『ザ・ブルーハーツ』。中学1年で初めてバンドを組んで、根拠もなく『絶対有名になってやる』と思っていました」

ーー楽器代など、バンド資金はどうしていたんです?

「中学時代からペンキ屋などのバイトをしていました。まぁ、若かったからめちゃくちゃでしたよ。ライブハウスでオシッコ撒き散らしたりしてね。ステージ上で全裸で歌ったこともあるんですが、たまたま妹が観に来ていた。妹から話を聞いた母親からは、『頼むからやめてくれ』と泣いてお願いされました」

ーー高校時代には、NHKの『BSヤングバトル』という大会にも出場していますね。

「『スペルマギャング』というバンド名で活動していたんですが、NHKからクレームが入ったんです。名前が卑猥すぎると……。結局『Sギャング』という名前で出場しました。大会では、中国ブロックで優勝したんですよ。これで調子に乗ってしまった。『オレたちはスゴい』と勘違いし、その後は鳴かず飛ばずです。ちなみに、この大会で全国優勝したのが『シャ乱Q』でした」

ーー高校は3年で中退。その後は、どんな生活をしていたんですか?

「同じバイト仲間に2コ上の先輩がいたんですが、彼が海外を放浪するバックパッカーだったんです。その影響で、19歳の時から音楽を勉強するという名目で世界中をウロウロしていました。ネパール、インド、メキシコ、グアテマラ……。中南米をバスで縦断したこともありますが、スペイン語やポルトガル語はまったく話せません。そこで地元の女の子をナンパし、雑談をしながら勉強していました」

ーー帰国したのはいつ?

「26歳の時です。さすがにカネが底をつきて……。それからキャバクラのバーテンや居酒屋店員など、いろいろなバイトをしながら音楽活動を続けたんですが、まったくダメでしたね」

芸名「鼠先輩」の意外な由来

カウンターでポーズを決める。ちなみに手にしているのはウーロン茶だ
カウンターでポーズを決める。ちなみに手にしているのはウーロン茶だ

ーー30歳の時に転機が訪れたとか。

「はい。当時は結婚して子どももいましたからね。僕には音楽の才能がないんだと諦めて、定職につくことに決めたんです。最初に正社員で入った居酒屋チェーン店は、体質が合わず2ヵ月で辞めました。次に入社したのがアダルトビデオの制作会社。撮影だけでなく、AV嬢やアイドルをステージに立たせ歌わせるイベントもやっていました。

僕の担当は司会。そこで初めて、パンチパーマにサングラス、ダブルのスーツという格好で『GIROPPON』を歌う『鼠先輩』が誕生したんです。どうせだったらインパクのある姿で面白いことをやろうと、スタッフと話し合って思いついたんですよ」

ーーそもそも、なんで名前が「鼠先輩」なんですか。

「中華料理店で働いていた時に、上司から付けられたアダ名が『ネズミ』だったんです。やることなすこと空回りで『ハツカネズミみたいだな』と。それで後輩からは、『鼠先輩』と呼ばれるようになりました」

ーーそこからメジャーデビューした経緯は?

「僕が奇抜な格好でイベントを盛り上げるのを見て、音楽関係者が『ぜひ売りたい』と声をかけてくれたんです。最初は断っていました。妻や子どもと堅実に生きていこうと決めていましたから。ただ彼は2年間も口説き続けた。僕も少しずつ考えが変わります。一度きりの人生だし、遊びの延長でやってみてもいいかなと。35歳の時ですね」

ーー売れる勝算はあったんですか。

「チンピラみたいな強烈なインパクトのオッさんが、ふざけた歌を唄っているんです。ある程度はウケるだろうとは思っていました。ただ、あくまでも一発屋という意識はあった。1~2年してブームが去れば、芸能界を引退しようと冷めた目で考えていたんです」

ーー『GIROPPON』がブレイクすると、生活は超多忙を極めたようですね。

「休日どころか、寝る暇もありません。風呂に入る時間もないので、マネージャーと二人で、よく早朝ヘルスに行っていました。そんな時でも取材や出演依頼で、マネージャーの携帯電話は鳴り止まない。あまりにも忙し過ぎて、当時の記憶があまりないんです」

ーー2枚目以降のシングルが売れないと、突然引退発表をしましたね。

「あれ、本当は引退会見をからめて3枚目のシングルを売り出す戦略だったんです。大仁田厚の引退興行のように、タイミングを見て復帰しようと思ってね。ところが、メディアが予想以上に大きく会見を取り上げてしまった……。

それで、なんとなく引退しなきゃならない雰囲気になってしまったんです。当時は『思ったより儲からなかった』と言っていましたが、多い時は月に1200万円くらいもらったかな。ただあぶく銭で、抱いた女と酒に消えてしまいました」

ーーでは、正式に引退したワケではない?

「はい。その後も虫除けの『KINCHO』のCMなどにも出ていますから。現在でもテレビに出ることはありますし、結婚式や文化祭、キャバクラなどでの営業は続けていますよ。ただ一発屋というイメージが定着し、華々しい仕事は減りましたね」

ーースナックのオーナーでもありますが、なぜ東村山で開業した理由はなんですか。

「僕には縁もゆかりもない土地ですから、不思議に思うでしょう。8年ほど前、東村山でイベントを開いたことがあるんです。そこに、たまたま学生時代の1コ上のバンド仲間がいた。会うのは30年ぶりですよ。酒を飲んで意気投合し、一緒に店をやろうということになった。店を開いて1年半ほどになります。

実は僕、歌の題材にしておきながら六本木という街があまり好きじゃなかったんです。ブレイクしていた当時はテキーラの一気飲みなど派手なことをしましたが、一人で静かに飲むほうが僕には合っているんですよ。だから、のどかな雰囲気の東村山にいると落ち着きますね」

ーー順調そうですね。

「それが……。新型コロナウイルスの影響で、急激にヤバくなっているんです。この3ヵ月間、営業の依頼が1件もありません。スナックとイベント活動以外の、新しい仕事を見つけないと……。家のローンも残っているし、女房、子どもを食わせないといけませんからね。まぁ、最悪ザリガニでも茹でていれば食いっぱぐれることはないでしょう。とにかく今は、家族と大切な人の命を守るためにガラにもなく自粛しています」

さすが貧しい少年時代を過ごし、天国と地獄を見てきた鼠先輩。コロナ不況下でも「『ぽっぽぽっぽ』と唄っていればなんとかなるでしょう」と、気持ちは前向きだ。

スナックの前でお得意のポーズ。コロナの影響で経営状態は厳しい
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  • 撮影会田 園

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