岡村隆史、倖田來未、北野誠…。芸能人がハマるラジオの“ワナ”

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出演番組降板を求める署名運動が起こるなど、岡村隆史の発言に対する批判の声はまだまだ収まりそうにない(’19年)

4月23日に放送されたラジオ番組『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン(ANN)』(ニッポン放送)内での岡村の発言が大炎上した。

新型コロナウイルスの影響で収入が減った女性が、収束後に短期的に収入を得るために風俗業に携わる可能性があると持論を展開。「面白いことが起こる」などと発言したことから、批判が集まっていた。

翌週の放送では本人が謝罪し、相方である矢部浩之の“公開説教”という形の援護射撃が功を奏したのか、岡村の発言を発端とした騒動は鎮火に向かっているようだ。

ただ非難の声が完全になくなったわけではなく、ネットではレギュラー番組の降板を求める署名運動や、騒動に言及する記事やコメントがまだ見られる。8日、問題発言後初めて『チコちゃんに叱られる!』が放送された。

ツイッターでは岡村を応援する意見もあったが、不快感を示す意見も多く見られた。

さて、今回のようなラジオ番組での失言騒動は過去にもあった。

’08年の“倖田來未失言騒動”を覚えている人は多いだろう。この時もニッポン放送だった。しかも『オールナイトニッポン』。この日一夜限りのパーソナリティとして出演した倖田來未が、

《やっぱ、35(歳)ぐらいまわると、お母さんの羊水が腐ってくるんですね(笑)なので、ちゃう、ホントに! いや、例えば汚れてくるんですよね》

と発言したことがネット上で大きな波紋を呼んだ。根拠のない話であったので、非難ごうごうとなったのは言うまでもない。

倖田の所属するエイベックス・エンタテインメントはすぐさま謝罪コメントを発表。倖田も公式ホームページで謝罪した。

‘09年3月には、20年続いていた関西ローカルの番組『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)が打ち切りとなった。その原因となったのがパーソナリティを務めていた北野誠の失言だったと言われている。

「話の流れでついついクチがすべってしまったんでしょうね。よりによって、あの芸能事務所代表の誹謗中傷する発言をするとはね。発言を聞いて、業界関係者は誰もが、これはただでは済まないと、戦々恐々となりました」(在阪ラジオ局ディレクター)

北野といえば、’93年に同番組内で山本リンダの写真集を酷評して名誉棄損で1億円の損害賠償を請求された“前科”がある。また、番組の人気は彼の毒舌や過激な発言に支えられていたところがあり、またそれが番組のウリでもあった。

不安は的中、番組は打ち切りとなり北野は活動休止に追い込まれた。

失言の内容は三者三様で、倖田の発言はいわば“でたらめ”で、しかも録音だった。岡村と北野の場合は生放送で、彼らは自分が抱いている感想や予想を後先考えずに述べてしまった。

ただ世の中には法律で禁止されているわけではないが、やってはいけないことが多々ある。それと同じで、言ってはいけないことも少なからずあるのだ。それによって、発言者の本質を暴き出してしまうことがある言葉がある。

そういう意味では、岡村と北野の2人のケースは事例としては似通っていると言える。MCの本質が垣間見える “禁句”を引っ張り出してしまう――。そんな空気感が、実はラジオの世界にはあるという。

番組の個性を追求する姿勢が”仇”に

ラジオで多く見られるのは、パーソナリティと呼ばれるMCが、リスナーと呼ばれる聴者から送られてきたハガキやメールを紹介しながら、質問に答えたり、時には相談にのったりし、その合間に曲をかけて進行していく形態の番組だ。

テレビでは見られないこの独特の番組形態は何十年も前から続いている。そしてその制作過程も独特だ。

「まずスタジオは狭い。6畳から広くても8畳ほど。セットは机とマイクだけですからね。外が見えるオープンスタジオもたまにはありますが、たいていは壁に囲まれた“小部屋”です。番組によってはゲストや放送作家が一緒の場合もありますが、たいてい一人でしゃべり続ける。

しかもテレビと違って自分の姿はリスナーには見られない。スタッフも2、3人と少なく気心の知れた人たちで、“人の目”を気にする必要がないわけです。

初めは緊張していますが慣れてくれば、自宅、いや自分の“城”にいるような気分になってしまいます。自宅にいるような感覚なら、飾らない自分を出すことができますし、ついつい気が緩んで本音を話してしまうことも。

極端な話、仲間内や酒席でするような話も出がちです。製作サイドもそれを望んでいるんです。パーソナリティの個性が番組の個性となっていくわけですね。そして“これは俺の番組だ”という意識が強くなりがちです」(同・在阪ラジオ局ディレクター)

今回の失言について、「岡村くらいになれば、放送作家が付いていて台本を作っているはず」だから、作家にも責任があるという声も聞かれるが、岡村クラスのベテランがMCの場合は、作家はハガキやメールを選ぶような雑用をこなすだけになることもあるそうだ。

例えば、アイドルがMCの場合などはしっかり台本を作る。しかし、岡村のようなベテラン――特に芸人の場合は大まかな流れだけ決めて、あとは任せてしまうことがほとんどだという。

作家がしっかりと台本を作ってしまったら、それはまさに“お芝居の台詞”。事故が起きる危険性は少なくなるが、パーソナリティの個性は消え、求められている番組ではなくなってしまう。

今回の件も、年上やベテランの作家だったら、岡村に“女性蔑視になるから、そんなことを言ってはダメですよ”と注意できただろう。周りに彼に意見できるスタッフはいなかったということだ。

加えて、発言が出た時点で問題視した形跡がまったく見られなかった。あるいは、少しはまずいと思ったのかもしれないが、思っても看過した可能性もある。

そこにはラジオ界でよく聞かれる、「ラジオですから大丈夫」という言葉が関係しているのではないかと若手放送作家の1人は言う。

「テレビに比べたら許容範囲が広いと思います。圧力をかけられることや忖度もほとんどないですね。例えば、系列のテレビ局でレギュラー番組を持っているタレントのスキャンダルも平気で扱うし、テレビだったら絶対扱わないアイドルのネタもやります。これはラジオマンの矜持なんですね。だから出演者は言いたいことを言ってくれと。

また、ちょっと自虐的な意味もあって。今ラジオ人口は減ってきていて、特にAMを聞く人は少ないです。深夜帯は聞いている人も限られていますから、失言しても拡散する心配はないと、出演者に気楽にやってもらいたいという意味もあるのではないでしょうか」

確かに、ラジオを直接聞く人は少なくなっている。その反面、インターネットが普及したことで、皮肉なことに情報は瞬く間に拡散するようになってしまった。

ラジオマンはそのことに気づいていたのだろうか。それにしてもラジオの魅力は、出演者にとってある意味“罠”でもあった。岡村はまんまとハマってしまったということか――。

  • 佐々木博之(芸能ジャーナリスト)

    宮城県仙台市出身。31歳の時にFRIDAYの取材記者になる。FRIDAY時代には数々のスクープを報じ、その後も週刊誌を中心に活躍。現在はコメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中

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