元西武の伝説スカウトが明かす「伸びる“芽”を見つける方法」

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2018年9月17日、ソフトバンク戦に勝ち、ヒーローインタビューを受けた後、お立ち台でポーズをとる埼玉西武ライオンズの栗山巧(左)と中村剛也(時事通信)

伝説のプロ野球スカウトがいる。

鈴木照雄。9月で74歳になる。

勤めは28年に及んだ。西武一筋。担当の関西から挙げた36歳の同級生は今も主軸である。中村剛也はクリーンアップを張り、栗山巧も指名打者などで先発に名を連ねる。

「スカウトは選手を獲らんとダメですよ。獲らんかったら、評価は何もない。だから、本当にいい選手を見つけたら、クビ覚悟で、『獲らして下さい』と上司や他のスカウトの前で言わないといけません」

鈴木が担当した主な選手は中村、栗山の他に中島裕之垣内哲也和田一浩松井稼頭央炭谷銀仁朗らがいる。

37歳の中島は巨人に在籍する。昨シーズン終了時の安打数は1767。入団は2000年。西武がドラフト5位で指名した。出身校は伊丹北。中央では無名の兵庫の県立高校である。投手だった中島は入団後に遊撃に移る。

「彼はリストが強かった。打撃練習では100メートルは楽勝にある学校のプールによく放り込んでいました。脚もそこそこ速い。だから私は最初からピッチャーではなく、打てるショートとして見ていました」

尼崎辺りの球場で伊丹北が試合をした。別のドラフト候補を擁する高校はその前に戦っていた。他球団のスカウトは帰る。入れ替わりに西武の一団が姿を見せた。

「中島の名前なんて、ウチの獲得候補者リストにすら載っていなかったんだから」

ブレイク後、在京のスカウトは話した。鈴木は自身のスカウティングを振り返る。

「私は、例えば高校に行ったら、全員を見るようにします。100人以上いるチームがザラなのに全員なんて見れますか、って言われるけど、見れますよ。その気になれば。それが仕事なんだし。だから、私は1日1校しか回りませんでした。じっくり見るためです」

2009年、WBC優勝に貢献した中島裕之(アフロ)

視察するのはドラフト対象となる高校以上のチームだけではない。

「少年野球を回ったのは私が初めてだと思います。今、山田君はすごい選手になりましたが、私はヤングリーグ(硬式)の頃から知っていましたよ」

山田哲人は日本球界を代表する。193のシーズン最多安打記録(右打者)を持ち、史上初のトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)を3度も記録する。そのヤクルトの野手を高校の履正社からではなく、中学の兵庫伊丹時代から記憶に残す。在阪のスカウトは鈴木の凄みを口にする。

「中学野球で指導者や父兄と親しくなる。そこからも、あの子がいい、とか色々なことが入ってくる。古くから見ていれば、その選手の成長度合いも分かるわね」

情報の精度、比較の仕方など幅広い角度で選手を評価する。間違いは少なくなる。

鈴木は右投右打の野手だった。塚原学園天竜高(現・長野県立松川)から大東文化大に進む。中退して河合楽器入り。1971年のドラフト11位で阪神に入団。4年後に太平洋(現西武)にトレードされる。1978年に現役を引退した。プロ7年で96の試合出場記録が残る。

引退翌年の1979年、スカウトになる。当時、監督だった根本陸夫が新しい働き場所を与えてくれた。清原和博を1位指名し、6球団競合の末、勝ち取った1985年のドラフトではスカウトの末席だったため、関りは薄い。

鈴木の名が知られるようになったのは垣内の指名あたりから。清原から3年後のドラフト3位。出身は和歌山の日高高中津分校だった。分校初のプロ野球選手として騒がれる。

「紀三井寺球場の県予選に行った時に、たまたま見つけました。まだ1年生だったけど、素材は一級品。リストは強いし、パワーもあった。体も大きい。185センチくらいはあった。脚も速い。50メートルを6秒切るくらい。その時はまだほかのスカウトは来てなかったんじゃあないかな」

垣内は捕手から外野に回る。清原が巨人へのFA移籍後は、四番にも座った。1996年には28本塁打を放つ。2002年にロッテにトレード。4年後に引退する。現役生活は18年。49歳の今は楽天の二軍打撃コーチをつとめる。

「スカウト人生の中でこれ以上の選手はいません。ただ、入ってすぐ膝を痛めた。これが響きました。中村剛也と比べて? 質が違います。中村は呼び込んで綺麗に打つ。垣内は膝が使えなかったから前さばきと肩とリストだけで打った。でもそれであれだけの成績を残すんだから、大したもんだと思います」

42歳で2000本安打を達成した和田。スカウト会議で周囲は指名に消極的だったが、鈴木氏が「責任は取るから獲ってくれ」と言って指名にこぎつけた選手の一人だった

垣内の後、名を成す選手は「ベン」の愛称で知られた和田。2015年6月11日のロッテ戦で2000本安打を放ち、名球会に入る。史上最年長となる42歳11か月での達成。和田は1996年のドラフト4位だった。

「ベンちゃんは東北福祉大の時から知っていました。神戸製鋼に入って担当になった。私はツトムのライバルになり得て、代わる可能性のある打てるキャッチャーを探していた。それがベンちゃんでした。打つことはすごかったからね」

当時チームを代表する捕手は伊東勤。現役引退後は西武、ロッテの監督をつとめる。

その打力を生かすため、和田は入団2年目から外野も守る。2002年から一本に絞り、「五番・左翼」の定位置を得る。2007年オフには故郷・岐阜に近い中日にFA移籍した。

「30代になってから、レギュラーをつかんで2000本安打を成し遂げた選手をひとりだけ知っています。それは和田です」

ヤクルトで名球会に入った宮本慎也は、ある取材で2歳下の同じ野手に対して、尊敬を込めてその名前を出した。

鈴木は和田が43歳近くになって大記録を打ち立てた理由を話す。

「ベンちゃんは器用じゃない。入団当時は三遊間への引っ張り専門の打者でした。不器用な形でプロに入った。そしてバットを面に見立てる打ち方を覚えた。ライトスタンドにホームランを打つようになったものね。未完成だったのがよかったんじゃあないかな。体が強いということもあるけれども」

鈴木は付け加える。

「あとは人柄。オフの時に私に、『食事をしましょう。僕がごちそうします』と言ってきたのはベンちゃんだけ。本当に気配りができる。そういうことは成績に関係あると思いますよ。プレーに人間性は出るし、いい人間なら、みんなが手を差し伸べてくれます」

和田は今年6月で48歳になる。今は解説者や評論家として活躍している。

選手個人とは接触できない中、選手の本質に迫るために、チームの監督のみならず、クラスの担任の先生とも対話した鈴木照雄氏(2016年当時)

中村と栗山は今も西武の主軸である。2001年ドラフトの2巡目(内野)と4巡目(外野)。大阪桐蔭から入った中村は415本塁打を放ち、6度の本塁打王に輝いている。兵庫・育英出身の栗山は1825安打と球団記録を更新し続け、名球会も視界に入れる。

鈴木はプロ19年目を迎えながら最前線で戦えている2人を見やる。

「共通しているのは、考え方や取り組む姿勢がブレないよね」

中村は人まねができないバットのヘッドスピードの速さにほれ込んだ。

「中村はマイペースです。これがプロでは大事なんです。この世界では欠点を早く指摘し過ぎる傾向がある。結果、よくて獲ってきた選手が、いじり過ぎてイップスになっちゃう。根本さんが工藤が入って来た時に言っとった。『俺がいいと言うまでコーチは指導するな』って。その通りだと思うよ」

西武、ダイエー(現・ソフトバンク)の礎を作り、世を去った根本陸夫の言葉は今も残る。左腕・工藤公康は224勝を挙げ、現在はソフトバンクの監督である。

鈴木は栗山を中学の神戸ドラゴンズ(ヤングリーグ)の時から知っている。

「栗山はね、小さい頃からの練習が今に生きてるんだろうね。そりゃあ量をやるやる。ドラゴンズの時からすごかったね。あれと1個下の坂口ね。クリーンアップを組んどった」

プロのスカウトから見ても驚く走り込みや素振りをしていた。最後の近鉄戦士でもある坂口智隆は内野手としてヤクルトで現役を続けている。

鈴木は不正スカウト問題で謹慎処分を受けたこともあったが、その選手を見抜く目は名人の域。退団してからスカウトとして獲得を申し出た球団もあった。

今は生まれ故郷の信州に軸足を置き、少年野球の指導などをしている。

鈴木が長年、籍を置いたプロ野球界は新型コロナウイルスの影響を受け、最短で6月19日を目標に2020年シーズンの開幕準備が進められている。

スカウトにとっても、調査の対象となるアマチュアのチームがいつ活動できるか、分からない。夏の甲子園も中止になった。

鈴木は言う。

「去年までの仕事が眠っているでしょう。スカウトの仕事はその年の選手だけじゃありません。毎年ね、来年、再来年の選手も見とかないといけない。だから、私は1日1校しか回らなかったんですよ。新人スカウトじゃあない限り、1年で勝負する訳じゃあない。今年は特にスカウトの力が試されます。コロナで見るケースは少なくなる。でも、それはどの球団も一緒でしょう。これまでちゃんと仕事をしとったら関係ない。ちょっとチェックしたらわかるはずです」

スカウト魂は今も鈴木に宿り続けている。

鈴木照雄(すずき・てるお)

1946年(昭和21)9月5日生まれ。74歳。長野県出身。塚原学園天竜高(現・県立松川)から大東文化大に進む。中退後、河合楽器入り。1971年ドラフト11位で阪神に入団。1975年オフに太平洋(現西武)にトレード。1978年に引退。現役時代は内、外野手。右投右打。現役当時は168㌢、68㌔。現役引退後、1979年から2006年まで28年間、西武の関西地区担当スカウト。主な担当選手は垣内哲也、松井稼頭夫、和田一浩、中島裕之、中村剛也、栗山巧、炭谷銀仁朗ら。退団後は少年野球に携わる。

2001年8月14日、ダイエ-戦で3ランを打った垣内哲也は、アレックス・カブレラ(左端)や和田一浩らに迎えられる(時事通信)
2007年、メジャーリーグのロッキーズに在籍した松井稼頭央は ナ・リーグ チャンピオンシップで 初のリーグ優勝に貢献。鈴木氏はメジャーで勝負できる選手も獲得した(アフロ)
  • 取材・文・写真鎮勝也

    (しずめかつや)1966年(昭和41)年生まれ。大阪府吹田市出身。スポーツライター。大阪府立摂津高校、立命館大学産業社会学部を卒業。デイリースポーツ、スポーツニッポン新聞社で整理、取材記者を経験する。スポーツ紙記者時代は主にアマ、プロ野球とラグビーを担当

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