16人死亡「個室ビデオ店放火事件」被告から届いた手紙

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第47回

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大阪府警浪速署から大阪地検に移送された小川死刑囚。検察では一転、容疑を否認し始めた

16人の尊い命が失われた08年10月の、個室ビデオ店放火殺人事件。犯人として死刑を宣告された男は、妻と別れ母親を亡くし、以前から奇行が目立っていた。警察の取り調べに対しても容疑を認め逮捕された。しかし検察に対しては一転、容疑を否認。本人から手紙を送られたノンフィクションライターの小野一光氏が、事件の深部に迫る。

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大阪府大阪市浪速区にある個室ビデオ店で火災が発生したのは、08年10月1日の午前3時頃のこと。眠っていて逃げ遅れた客も多く、最終的には室内にいた26人の客と3人の従業員のうち、死亡者が16人という大参事となった。

火災発生の約12時間後に放火、殺人の容疑で逮捕されたのは、同店にいた客である東大阪市在住の小川和弘(逮捕時46)である。大阪府警担当記者は説明する。

「白い肌着とトランクス姿で避難していた小川は、現場から立ち去ろうとしたところを、『あの男が犯人や』と客から聞いた店員に止められ、追及されると、『すいません。弁護士もつけるんで。保証もしますんで』と口にしていました。

その後、火災現場に駆けつけた警察官に対し、『ごめんなさい。煙草を吸った』と話したため任意同行され、事情聴取で『死にたかった。火をつけて怖くなり逃げ出した』と容疑を認めたことで逮捕されました。逮捕後の取り調べでは、生きていくのが嫌になり、持参したキャリーバッグ内の新聞紙と衣類にライターで放火したことを供述しています」

小川は高校卒業後にトラック配達助手を経て大手電器メーカーに就職。ライン工として働いていた。しかし01年に約20年間勤めた会社を早期退職して、多額の退職金を手にする。彼のことを知る近隣住民は言う。

「小川さんが早期退職した直後に、奥さんとの仲がこじれて離婚したんです。なんでも、彼がギャンブルにハマって、家におカネを入れなくなったのが原因だったそうです。それに、もともとお母さん(小川の実母)と奥さんの折り合いが悪く、大声で怒鳴り合う声もしょっちゅう聞こえていたので、家庭内は大変だったと思います。

ただ、奥さんが家を出て間もなくして、お母さんが病気で亡くなったんですね。それからですよ、小川さんの様子が明らかに変わっていったのは……」

この母の死で数千万円の生命保険金が入ったが、それと退職金をギャンブルやキャバクラなどの遊興費によって2年ほどで使い果たした小川は、自宅を売却して東大阪市のワンルームマンションに移り住む。同マンション周辺の住民からは、彼がトランクス1枚の姿で外をうろついたり、「突然、室内にズカズカと入り込まれた」といった”奇行”についての証言が上がっている。

犯行の1週間前に小川が訪れたスナックの関係者は話す。

「9月24日の夜9時頃に突然、『おお、オレ、オレ』なんて言いながら、真っ黒のサングラスをかけて、7年ぶりに店にやってきたんです。男性の知人とふたりでしたが、30分くらいしてその知人が全部の会計を済ませて帰りました。それからはひとり残った小川さんが、自分の喋りたいことだけをベラベラとまくし立てて、会話はまったくの一方通行でした」

退職後、タクシー運転手などをするも長続きしなかった小川は、犯行時には無職で、08年の春から月12万円の生活保護を受けていた。また、消費者金融に多額の借金があったことも判明している。そうしたことから、当時は自己の境遇を悲観して今回の犯行に及んだのではないかとの見方がされていた。

一転否認に転じた理由

小川が暮らしていた自宅の玄関トビラ。皮肉にも「消防団員の証」と書かれたステッカーが

そんな小川が否認に転じたのは、すでに警察での調べを終え、検察での聴取が行われている最中のことだ。ちなみに警察で逮捕翌日の10月2日に作成された調書のなかでは「自殺しようと思った。俺と一緒に死ぬ人ごめんと思って火をつけた」との文言が記されている。

しかし17日の弁護士との接見では翻して「火をつけていない」と放火を否認。20日の検察官の聴取にも「火をつけていない」と否認し、翌21日の検察官の聴取では「火をつけていない。たばこの失火と思い認めてしまった」との供述を調書にしている。

このように否認をするようになった小川だったが、22日には現住建造物等放火、殺人、殺人未遂罪で起訴されたのだった。

09年9月に大阪地裁で始まった裁判では、供述の任意性とともに、出火元が小川のいた部屋かどうかということが主な争点となった。小川のいた18号室から出火したと主張する検察側に対して、弁護側は18号室の斜め前にある9号室の燃え方がもっとも激しく、こちらが火元であると主張したのである。実際、現場写真によれば、18号室は棚などに燃え残りが認められ、天井はほぼ原形をとどめている。しかし、9号室は室内が黒焦げになっており、天井が焼け落ちていた。

同年12月2日の判決公判では、〈9号室内が最も激しく焼損しているからといって、出火箇所であると考えることはできない〉として、弁護側の主張を退け、小川には検察側の求刑通りに死刑判決が言い渡された。

じつは私は、控訴審が始まって間もない10年12月に、大阪拘置所にいる小川からの手紙を受け取っている(一部を抜粋)。

〈結論から言いますと、私は絶対に放火などしていません。私は火事と言うよりも私のタバコの失火と思い、だから火事とは思わずボヤと思っていました。それで私は自分のタバコの失火で火事になったと思ったから店員にすいませんと何回も言ってました〉

「刑事と検事に利用された」

拘置所から小野氏に送られた小川本人の直筆の手紙

犯行を否認する彼は、当初、犯行を認めたのは次のような状況だったからだと主張する。

〈火事が起こり、それからしばらくして刑事が来て車に乗れと言い、私は車に乗り浪速署の生活安全課という部屋に連れて行かれ、そこでチンピラみたいな刑事に犯人はお前やろと言われ、机をドンドン叩かれ凄く恐くて、もうしんどかったし犯行を認めたと思います。

初めはずっと否認していましたが、刑事が入れ替わり立ち替わり私の前に座って私をドンドン追い詰めてきた。それで最終的にはAM5時20分、A刑事(*本文は実名)にやりましたと言う事を書けと言われ、強制的に私は火をつけましたと書きました。書いたと言うより書かされたといった感じです〉

しかし、聴取が警察から検察に移った際に、検察官が漏らした言葉を聞いて否認に転じることになる。

〈B検事(*本文は実名)の取調べでは放火も失火も死刑やみたいな言い方をしていました。私は上手くA刑事とB検事に利用されたと思いました。犯人にする為に優しく接し親切にしてくれたんだと思いました。しかしもうその時には今までの取調べで2人の質問にハイハイと答えていた調書が11通も出来上がっており、私は何でもっと早くに否認して、やってないと言う事を言うのが遅かったと後悔しています〉

小川被告が自ら記す自分の性格は〈調子乗りで人から騙されやすい性格、また、おだてられたら余計に調子に乗るタイプ〉というもの。その反面、気が弱くてすぐに「すいません、すいません」と謝ってしまうのだという。

この小川からの手紙を記事として掲載したが、判決が覆ることはなく、控訴審、上告審ともに第一審判決を支持し、14年3月に彼の死刑が確定した。

その後、小川は火元が18号室ではなく9号室であるとして日本弁護士連合会(日弁連)に再審請求の支援を求め、14年9月に再審を請求するも、大阪地裁に続いて大阪高裁もその訴えを退け、19年7月には最高裁が弁護団の特別抗告を棄却した。

しかし、日弁連の支援での新たな専門家による、9号室の床面から出火した可能性を指摘する意見書を作成し、19年11月に再び再審請求を行っている。

大阪ミナミの現場には事件直後、多くの花束が置かれていた
  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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