「感染の恐怖を超えて」コロナと戦った、ある看護師の告白 | FRIDAYデジタル

「感染の恐怖を超えて」コロナと戦った、ある看護師の告白

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本当にいきなりだった

緊急事態宣言が全国的に解除され、少しずつではあるが社会に平穏な日々が戻ってきている。安倍首相は諸外国に比べ、感染者数を押さえることができたことに関し、「日本の感染症への対応は、世界において卓越した模範である。まさに日本モデルの力を示したと思います」と声高に叫んでいるが、実際にコロナウイルスの猛威を食い止めるべく、賢明に動いたのは、いうまでもなく医者や看護師たち、医療従事者である。

感染の恐怖から国民を守るべく、最前線で命をかけて戦った医療従事者の声を聞いた。

「ピーク時には20人ほどの患者さんが入院されていました。うちの病院には11の病棟があるのですが、4月中旬、そのうちの一つが感染者対応専用の病棟になりました。私はその病棟での勤務を命じられ、いきなり感染病棟で働かされることになりました。オリエンテーション(説明会)も何もなく、急変する患者さんに対応しなければならず、ベテランの看護師でも悲鳴をあげていた状態でした」

当時の緊迫した状況を語ってくれたのは、中等症患者を受け入れる大阪府の感染症指定医療機関で勤務する大川知子さん(仮名・30代)だ。

大川さんは4月上旬まで、病院の4階に位置する呼吸器内科で、看護師として働いていた。

4月中旬のある日、大川さんが、夜勤を終えたどっしりとした疲労感とともに、帰路につこうとした際、出勤してきた看護師長に「話がある」と個室に呼びだれた。大川さんが部屋に入ると、開口一番、こう切り出されたという。

「来週からは、コロナ患者が入院している感染病棟へ行ってください」

それを聞いた大川さんは、意外にも冷静にその指示を受け止めたという。

「いつかそうなるだろうなと予想していたので、やっぱりな、という感じでした。戸惑いや行きたくないという思いは一切ありませんでしたね。ほかにも看護師長から感染病棟へ行くように言われた看護師がたくさんいましたが、嫌がる人は一人もいませんでした。

驚いたのは、最初、独身や子どもがいない看護師だけが選ばれていたのかと思ったのですが、一切関係なく、小さいお子さんがいる家庭の看護師にも指示が出されたことです。さすがに、基礎疾患があったり、妊娠している看護師たちは外されたようですが」

その翌週、大川さんは感染病棟で働くことになったが、この病棟での勤務を命じられた看護師は、各科から急遽集められたため、面識のない者がほとんどだったという。

「患者さんに対応するには、医師、看護師、そして病院スタッフのチームワークが欠かせません。しかし、急遽作られた勝手のわからない病棟で働くうえ、その病棟に集められた看護師は、大半が一緒に仕事をしたことがない人たち。当初はコミニケーションがうまく取れないなかで、急変する患者さんに対応しなければならず、看護師たちは疲弊していました。

物品の場所がどこにあるのか、どのタイミングで休憩に入ったらいいのか。環境も習慣も、科によってやり方が違います。忙しい中であまり面識もない人に質問するのも気が引けました。こういう状況なので仕方ないのはわかりますが、上からのフォローは一切ありませんでした」

大川さんは、慣れない場所での勤務に普段以上にストレスを抱える日々だったという。また、不安そうな患者を見守るのは本当に心苦しく、早く平穏な日々が訪れることを願ってやまなかったと語る。「看護師の中には、人間関係の煩わしさから体調を崩す人も出ていた」と明かす大川さんの口調からは病院に対する不信感がにじみ出ていた。

「ピーク時は20人ほどのコロナ感染患者がいましたが、時間が経つにつれ、患者さんの数は減少していきました。それでもいつ患者さんが増加するかわからない状況ですから、つねに20人ほどの看護師が待機していました」

しかし感染者が減っていっても、常に感染リスクと隣り合わせである事実は変わらない。感染病棟は陽性の患者がいる「Aエリア」と、一度陽性になったがその後陰性になった患者やPCR検査待ちの患者がいる「Bエリア」に分かれている。この二つのエリアは厳重な扉で閉められ、限られた者しか入ることが許されない。常にものものしい緊張感が漂う場所だった、と振り返る。

「感染病棟の横に一般病棟があるのですが、最初、勤務を始めるときは、Aエリア、Bエリアで働く者全員が一般病棟の更衣室で着替えます。ここではまだ、防護服などは着ません。着替えると、そのまま、Bエリアに入ります。Bエリアは、患者さんたちはそれぞれ個室に入っていますし、さらに、すべての個室が陰圧室になっているので、廊下やナースステーションでは感染の恐れはありません。

ただし、患者さんがいる部屋に入るときは、ガウンやゴーグル、手袋をつけ、出るときに、一式すべてをゴミ箱に捨ててから出て行かねばなりません。患者さんに呼ばれるたびに支度しなければならず、患者さんをお待たせしなくてはいけないので、それが申し訳なかったですね。

実は怖いなと思ったのは、Aエリアのほうでした。こちらは陽性の患者さんばかりですし、大部屋なので、このエリアは常に感染する恐れとの戦いでした。BエリアからAエリアに入る際は、ガウンにエプロン、ゴーグル、防止、手袋、マスク、長靴とフル装備をします。

呼吸器の挿管やPCR検査などもすることがあり、その際は一番重装備である防護服を使用して、完全防備で行いました。常にガウンを着たままで一日を過ごすので、患者さんにはすぐに対応できますが、かなり蒸し暑く、着ているだけで体力が消耗しました」

医療物資は恐ろしく不足していた

防護服や手袋と聞くと、連日の報道で取り上げられていた医療物資の不足のことが気になる。大川さんに尋ねると、やはり最も危ぶまれていたのは医療物資の不足だったという。

「Aエリアでは、患者さんのところへ行くたびに防護服を変えていたので、病院全体で一週間に1万枚近く消費したそうです。特に最初は患者さんも多いうえ、こちらも感染病棟を作ったばかりだったということで、医療物品の使用方法や使用済みのものをどこへ置いたらいいのかわかりませんでした。

保管の仕方を間違えたり、まだ使っていないかどうか区別がつかず、捨てざるを得ないこともありました。そうした混乱もあって、かなり消費が激しかったようです。いつこの防護服がなくなってしまうんだろう…という不安との戦いでもありました。

供給は少しずつ復活していますが、いまでも浪費を減らそうと、PCR検査を行うときなど患者さんと濃厚接触するときだけ防護服を使用し、普段はガウンの上にビニールを着て、それを捨てるようにしています。ガウンも充実しているとは決して言えないので、一般病棟ではついにビニールシートの手作りガウンを使うようになりましたし、救急外来では雨合羽も登場しています。

また、マスクは医療用の特殊なマスクであるN95というものを使用していました。こちらはマスク内にファンがついていることにより、換気ができるものになります。こちらも滅菌をして再利用をしていますが、それでも追いつかず、HALOという、まるで軍隊で使用するかのような、さらに重装備なマスクまで登場しています」

クレーム続出の安倍首相肝いりの“アベノマスク”は総額466億円の経費がかかった。それこそ、そのお金があれば防護服などの購入に充てられたのではないか……と漏らす大川さんは、一連の騒動を経て、国や病院に対する不信感が募ってきたという。

「病院はメディアに対し、大々的に『この病院で感染者を受け入れます』と言っていましたが、実際に現場で働くのは、私たち看護師や医者、そして事務のスタッフです。最前線で感染者に対応する医者は若手ばかりで、ベテランの先生たちは一切協力しませんでした。『若いほうが、万が一感染しても回復が早い』という名目があったにせよ、そのことによって病院の関係者の間に生じた心の溝は、今後埋まるかどうかわかりません。

ようやく、国からも手当の話は出ましたが、当初、危険手当は1日たった300円だったんですよ。感染のリスクと隣り合わせになりながら、命をかけて働いているにもかかわらず、危険手当がそんな低額だなんてありえないですよね」

大川さんの語気は強く、さらにこう続ける。

「まあ、おカネの話は二の次なんです。1日300円であろうが1万円であろうが、私たちは、目の前にいる大変な患者さんを救いたい、楽にしてあげたいという、その気持ちだけで動いています。一人一人が感染リスクと隣り合わせになり、神経をすり減らしながら仕事に従事しています。そうした状況や気持ちを理解してくれて、せめて、上からのねぎらいの言葉が少しでもあれば、さらに頑張ろうという気持ちが沸くのですが・・・・・・一切、病院側からのフォローはありませんでした」

心の支えになったこと

5月下旬、ついに緊急事態宣言が解除されたことにより、大川さんの病院では、徐々に一般の患者さんの外来が増加してきているという。そのことにより、また新たな混乱が生じている、と大川さんは明かす。

「コロナが落ち着くとともに、救急外来の受け入れや手術がまた増えてきました。その結果、一般病棟が過密になってきています。感染病棟はそのまま残しているので、その分、一般の患者さんを受け入れるのが難しくなっている。

現在、感染病棟の一部を再び一般患者用に使用するようになりました。それも現場で働いている人間の意見は聞かず、病院側が独断で決めたことです。

一般の患者さんのなかには認知症の方もいらっしゃるので、感染病棟に入ってくる恐れがあります。そうした、新たな懸念が生じています」

混乱や疲労、不安や不満があったにもかかわらず、医療現場で働き続けることができたのは、ある支えがあったからだと話す大川さん。

「患者さんからねぎらいの言葉をかけられたり、退院された患者さんからお礼の手紙や元気になった姿の写真が送られてきたり、そうしたひとつひとつの嬉しい出来事に救われたことがたくさんありました。

医師会や、院内に入っているコンビニ、またはお菓子や飲料メーカーなどから、激励と感謝の気持ちとして、衛生用品やお菓子、ジュースなどが配られたりして、それを受け取るときには、『こうして応援してくださる方々がいるんだな』と気持ちが軽くなりましたね」

緊急事態宣言が解除されたといえど、二波の恐れは全く払拭されていない。前述のとおり大川さんの病院では、第二波に備え感染病棟はいまだに存在し続けている。

「病院では、第二波が来る可能性は多いにあるといわれています。誰も警戒を解いていません。しかし、最初のころと状況が違うのは、ある程度の対応の仕方が分かっていること。当初はなにもわからぬままで、現場が混乱を来してしまった。それゆえに生まれた不安もありました。

防護服なんて、学校で習ってはじめて実践で使ったものでしたし、実際に使うときには戸惑いました。

でも、いまは違います。私たちはいま、新しい感染症に対してどんな医療体制で臨むべきかということを知っています。たしかにコロナ禍の病院の態度や決定事項については不満もありますが、いまは病院全体で知見を共有し、第二波が来た時にはどうすべきかについてのオリエンテーションも行われ、具体的にどのような動きをとれば最も効率よく、かつ感染のリスクを減らせるのかの認識も高まっています。

来てほしくはない。それでも第二波が来た時にはこれまでの経験を生かして、より迅速に的確に対処する。その自信があることが、いまの私たちと2カ月前の私たちの大きな違いです」

感染のリスク、混乱する病棟、医療従事者を取り巻く厳しい状況下。それにもかかわらず、医療従事者としての使命感から、コロナの感染拡大を鎮静化すべく、最前線の現場で戦ってくれていた人がいる。束の間の平穏、かもしれないが、この平穏をもたらしてくれたのは誰なのか。そのことを忘れるわけにはいかない。

  • 取材・文松庭直

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