失策が多い=下手ではない!プロ野球の「守備」にまつわる深い話

川上哲治、王貞治、菊池涼介ら名選手を守備の面から深掘りしてみた!

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
2017年のWBCで何度も素晴らしい守備を見せ、世界を驚かせた菊池涼介

野球にエラー(失策)はつきものだ。本来、あってはならない失策だが、これも野球の味わいの一つだといえる。

現在の野球のグラブやミットには、親指と人差し指の間に、水鳥の水かきを大きくしたようなウェブという革製の平たい部品が縫い付けられている。これは1950年以降に普及した。ウェブがあるグラブは、他の指と指の間も縫い付けられ、全体が1枚板のスコップのような形状になり、ボールを掬いとることができるようになっている。

しかし1950年以前のグラブは、5本の指がバラバラに動くもので、ボールをつかみ取る形式のものだった。この5本指グラブの時代は、今よりも失策の数が遥かに多かった。

2019年の両リーグの総失策数は858試合で930個1試合当たり1.08個だった。これに対し、1940年は、469試合で1662個1試合当たり3.54個だった。

戦前の職業野球は、グラブが旧式だっただけでなく、グラウンドの状況も悪く、ボールも粗悪だったために失策が珍しくなかったのだ。

この時期の野球では、安打、四球とともに失策による出塁も、野球の重要な要素だったのだ。

失策が最も多いポジションは、今も昔も遊撃手だ。それだけ難易度が高いポジションだといえるが、シーズンの個人失策数記録は、1940年、翼軍の遊撃手、柳鶴震(やなぎつるじ)が記録した「75」だ。柳は105試合で75失策。ほとんど毎試合、失策をしていたことになる。守備率は.860だった。今のプロ野球ではどんなポジションでも守備率が9割を割ることはまずない。時代を感じさせる記録だといえる。

ちなみに遊撃手の規定出場試合数以上のシーズン最小失策は、1997年中日の鳥越裕介が記録した109試合で1失策。守備率は実に.997だ。

戦後になって、グラブやボールなどの品質も向上するとともに、守備率は向上した。またチームや選手の「失策」に対する意識も変化し、選手は失策数や守備率を気にするようになった。

戦前デビューの選手としては最多の2351安打を打った川上哲治は、「打撃の神様」と言われる球史に残る大選手だ。元は投手だった川上は、その後一塁手に転向したが、一塁守備はお世辞もうまいとは言えなかった。

1952年には一塁手として117試合に出場し、20失策を記録。これは1950年松竹の大岡虎雄が記録した18失策を上回るプロ野球記録で、今に至るもセ・リーグ記録だ。これが報道されて、川上は一塁守備の練習に励んだが、同時に、失策を減らすために、きわどい打球や送球には手を出さないようになったといわれる。その甲斐あって、川上の失策数は1953年9、1954年7、1955年5と減少していく。しかし内野手たちの評判は悪かった。

1954年に早稲田大から巨人に入団し、遊撃手として活躍した広岡達朗は川上が捕球しなかったために失策が付くことが度々あった。広岡は大先輩の川上に「それくらいの球は取って下さいよ」と面と向かって言ったために、以後、両者の関係は悪くなったという。

対照的に、川上の巨人一塁手の後継者である王貞治は、一塁守備も得意で、守備率は.990を優に超えていた。最終年となった1980年には129試合でわずか2個しか失策をしなかった。守備率は.998だった。

史上最多の868本塁打を打った王に対しては打撃に関する取材が引きも切らなかった。王本人は、「またバッティングの話か」と少々食傷気味になっていたようだが、ごくたまに一塁守備について取材されると、にこにこして取材に応じている。ファーストミットによる柔らかいキャッチングなど、王は一塁守備についても一家言を持っているのだ。

失策数は、守備を評価するうえでは重要な指標だが、失策数が多いからと言って「守備が下手」と単純に決めつけることはできない。

広島の菊池涼介は、2013年に正二塁手に抜擢された。しかしこの年、菊池は18もの失策を記録した。セ・リーグで2番目に失策が多かったのは中日の荒木雅博、阪神の西岡剛の7だから、この失策数は断トツと言ってよかった。しかしこの年、菊池は897もの守備機会を記録した。これは2位荒木の523をはるかに上回っていた。つまり菊池は他の二塁手が追わないようなぎりぎりの打球にまで挑み、その結果、失策が増えていたのだ。

翌年以降、菊池の失策数は2014年12、2015年10、2016年4と減少していく。しかし守備機会は2014年906、2015年818、2016年836と減らなかった。つまり広い守備範囲をキープしたまま守備の技術を磨いたのだ。

菊池は2017年のWBCでは、驚異的なファインプレーを何度も披露して世界から称賛されたが、スーパー二塁手菊池涼介は、失敗を恐れず無理目の打球を追うなかで誕生したのだ。失策しても菊池を信頼して使い続けた広島首脳陣の功績も大きかった。

プロ野球の記録の中で「守備」は最も評価が難しいとされる。単純な失策数や守備率では守備の能力は正しく評価できない。MLBではUZRや±システムなど新たな指標ができているが、そういう数字に頼らなくても、視野を拡げて数年単位で数字を見たり、他の選手との比較をすることで、その選手の本当の守備力が見えてくる。これも野球のだいご味だ。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

  • 写真YUTAKA/アフロスポーツ

Photo Gallary1

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事