無念の死…横田滋さんが酔って語った「めぐみさんとの旅行計画」

北朝鮮拉致被害 『FRIDAY』にだけ語っていた娘・めぐみさんに対する父親の思い

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『FRIDAY』が招聘した元工作員・安明進氏(中央)は横田夫妻に「めぐみさんは金一族の日本語教師だった」と証言

「虫の知らせ言うんかなぁ、滋さんが亡くなる少し前に早紀江さんから電話があってなぁ。ウチは家内を亡くしとる(嘉代子さん。今年2月に逝去)から、気にかけてくれたんやと思うけど、滋さんが体調を崩して入院しとったから、これからどうしたらいいか、不安もあったんやないかな。

横田さんのところも、オレのところと一緒。夫婦で戦ってきた。一人欠けてしもうたら、残されたほうは誰に甘えたらええのか? 早紀江さんの声には張りがあったけど、いろいろ我慢しとるんやろなぁと思った」

拉致被害者・有本恵子さん(60)の父、明弘さん(91)はそう言うと視線を落とした。

拉致被害者家族のシンボル的存在だった横田滋さんが亡くなった。87歳だった。

’97年に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)が発足。初代代表を務めた滋さん、早紀江さん(84)夫妻と支え合ってきたのが明弘さん夫妻だった。

’02年に北朝鮮が拉致を認め、蓮池薫さん(62)、地村保志さん(65)ら5人は帰国を果たすも、横田めぐみさん(55)と有本恵子さんは「死亡した」と発表された。そんな厳しい境遇が両家族をより強固に結び付けた。

「滋さんが生涯で1400回以上も講演したと報じられとったけど、実は横田さんたちも私らも、講演会の謝礼は全額、家族会へ納めとります。活動には資金が必要やし、家族会のメンバーの生活の足しになればと思ってね」(明弘さん)

本誌は家族会発足直後から取材を開始。’98年には北朝鮮の元工作員・安明進(アンミョンジン)氏との面会をセッティング。その後も、めぐみさんが入院したとされる病院の薬剤師や、めぐみさんを診察したという医師ら、目撃情報や生存情報を入手するたび、滋さんに確認を求めた。家族会代表として東奔西走していた滋さんだったが、どれだけ多忙でも必ず取材に応じ、どんな断片情報にも目を通した。

どこまでも誠実で真剣。件(くだん)の美談の類も一切、口にしない。柔和な表情が印象的だが、強い心の持ち主だった。

そんな滋さんが一度だけ、酒に酔って本誌に本音を漏らしたことがあった。’09年6月23日に高知県で行われた講演会の打ち上げでのことだ。

ボランティアと関係者だけのささやかな宴(うたげ)が催され、居酒屋の女将さんが高知芸者が使う余興杯「可杯(べくはい)」を勧めた。

滋さんはカメラが趣味。「めぐみさんは『父はよく写真を撮ってくれた』と言っていた」と証言する脱北者もいた

テングの形をした杯(さかずき)の鼻の部分までなみなみと日本酒が注がれ、飲み干さないと杯を置くことができない。

「このような遊びがあるのですね」

いつもはコップ一杯の滋さんが、杯を重ね、いつの間にか頬を赤らめていた。

そしてポツリと、こう呟(つぶや)いた。

「めぐみと会いたいなあ……。帰ってきたら早紀江と3人で旅行に行きたい。それを楽しみに生きているのです……」

滋さんの瞳から涙が溢(あふ)れた。奪還運動の精神的支柱として弱みを見せられない彼が一瞬見せた、「父の顔」だった。

不平や不満、愚痴とは無縁だった滋さんが珍しく政府を批判したことがあった。

5人の帰国から9年が過ぎた’11年、滋さんは本誌にこう憤った。

「この数年間、首相と拉致担当相が替わるたびに、拉致問題の早期解決を訴え直してきた。いつまで同じことを繰り返せばいいのでしょう。何らかの交渉を続けるべきだと思います。北朝鮮への経済制裁は効果がないようです。硬軟織りまぜた外交で解決の糸口を見つけてほしい」

それから9年が経ったいまも、政府は経済制裁を続行中。直接交渉すらできていない。「拉致の安倍」と自任する宰相は、滋さんの言葉を何と聞いたのか。

取材・文:佐村多賀雄(『FRIDAY』記者)

拉致直後のめぐみさん。北朝鮮が死亡の証拠として提出した遺骨は「二度焼きされた約20個の骨片で別人だった」(公安当局)
めぐみさんの北朝鮮での家族写真。夫の金英男さんは韓国人拉致被害者だった。中央が娘のウンギョンさん

『FRIDAY』2020年6月26日号より

  • 撮影小檜山毅彦(1枚目写真) 結束武郎(2枚目)

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