石井琢朗、糸井嘉男、雄平…投手から打者転向して成功した選手たち

日本球界には「元・投手」の好打者が目白押し! 

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1987年、足利工(栃木)のエースとして夏の甲子園に出場した石井琢朗(当時は本名の石井忠徳)。その後ドラフト外で投手として横浜大洋ホエールズに入団し、4年目から野手に転向した

日本では野球が一番上手な子が投手を務める。これが世界の常識かと思ったらそうではない。ドミニカ共和国などでは「遊撃手」が花形ポジションだ。一番うまい子がショートを務める。プエルトリコでは「捕手」が子どものあこがれのポジションだ。そのこともあって野球殿堂入りしたイヴァン・ロドリゲス、ヤンキースのスターだったホルヘ・ポサダ、モリーナ3兄弟など、プエルトリコは捕手の名産地となっている。投手が花形ではない国も結構あるのだ。

なぜ、日本では投手があこがれのポジションになったのか。これは「甲子園」の影響が大きいと考えられる。

春夏の甲子園はトーナメント制だ、1戦必勝のため、投手の出来が勝敗を左右することが多い。エースが投げぬいて栄冠を勝ち取るという「高校野球のドラマ」が、日本の投手のステイタスを上げたという一面があるだろう。

プロ野球に進むようなエリート選手の多くは、高校くらいまでは投手をしていたことが多い。

NPB通算360本塁打の村田修一や、広島で2度のベストナインに輝いた名二塁手東出輝裕なども、高校時代は名のある投手として活躍した。しかし彼らは同世代の松坂大輔のけた違いの投球を目の当たりにして、投手を断念したという。

史上最強打者、王貞治が春の甲子園の優勝投手だったことはよく知られている。イチローも愛工大名電高時代、春の甲子園に投手として出場している。

プロ入り時には投手で、プロ入り後他のポジションに転向する選手も多い。

2000本安打以上打った大打者で、プロ入り後、投手記録が残っている選手はこれだけいる。( )は投手成績。

石井琢朗 2432安打(1勝4敗 防御率5.69)
川上哲治 2351安打(11勝9敗 防御率2.61)
広瀬叔功 2157安打(0勝0敗 防御率0.00)
柴田勲 2018安打(0勝2敗 防御率9.82)

このうち広瀬は、広島県立大竹高校から投手で入団したもののすぐに内野手に転向。さらに外野手となり、34歳になった1970年に1試合だけ登板したので少し事情は違うが。

川上哲治は熊本工業時代、夏の甲子園の準優勝投手、柴田勲は法政二高の甲子園夏春連覇の立役者だった。

2000本未満でも、通算1427安打で首位打者をとり、野球殿堂入りしている田宮謙次郎は、日本大学時代はエースとしてノーヒットノーランを記録。プロ入り一年目には11勝を挙げたが、のちに野手に転向している。投手としては12勝12敗、防御率4.85だった。

日本の場合、投手は、最も素材的に優秀な選手がつとめるポジションとされ、もともとのポテンシャルが高い。だから、野手に転向しても成功する事例がかなりあるのだ。

投手として成功した選手の中にも、打者転向をすすめられた例がある。通算173勝を挙げた巨人のエース、桑田真澄も右ひじを損傷後、打者転向の話が持ち上がった。これは話だけに終わったが、桑田は甲子園で同僚の清原和博の13本に次いで2位タイの6本塁打を打った。打撃センスも抜群だったのだ。

現役では、現阪神の糸井嘉男が投手からの転向組だ。近畿大学時代はエースとしてMVP、最優秀投手に輝いた糸井は、2003年自由獲得枠で日本ハムに入団。

この時は純然たる投手だったが、一軍では登板なし、二軍で8勝9敗3セーブで防御率4.86に終わり、3年目に外野手に転向。以後、首位打者、盗塁王各1回、通算1624安打を打つスター選手に成長した。

ヤクルトの雄平(高井雄平)は、東北高校から2002年ドラフト1巡目でヤクルトに入団。速球派左腕として期待され、1年目に5勝を挙げるなど、投手として実績を残していたがプロ入り7年目にして外野手に転向、2014年にはベストナインに選出されるなどヤクルトの主軸打者に成長した。通算安打は858安打、投手としては18勝19敗1セーブ17ホールド、防御率4.96だ。

最近では、日本ハムの白村明弘が投手から外野手に転向した。慶應義塾大学時代は、救援投手として活躍し、2013年ドラフト6位で日本ハム入り。2015年には50試合に登板して1勝1敗13ホールドを記録したが、2019年に外野手にコンバートされた。投手としては6勝5敗2セーブ15ホールド防御率3.10の記録が残る白村だが、打者としては一軍でのプロ初安打はまだ出ていない。

NPBでは投手から野手への転向に比べて、野手から投手への転向は極めてレアだが、全く無いわけではない。
オリックスの張奕は、台湾出身。巨人の陽岱鋼の従兄として知られるが、育成時代の2018年に外野手から投手に転向。2019年には支配下登録され、2勝4敗、防御率5.93の成績を残した。張奕は高校時代は外野と投手を掛け持ちしていた。もともと素地はあったのだ。

オリックスでは過去に嘉㔟敏弘が外野手から投手に転向している。

MLBでは投手→野手も、野手→投手も珍しくはない。特に救援投手は、MLB歴代2位の601セーブを記録したトレバー・ホフマン、8位の377セーブのジョー・ネイサン、11位の358セーブのトロイ・パーシバルなどプロ入り後に野手から投手へ転向した投手が多い。

野手時代、肘や肩を温存することができた選手たちは、投手転向後の伸びしろが大きいのだ。こうした野手から転向した投手の多くは、いわゆる「野手投げ」で、投球フォームが小さいという特徴がある。

春季キャンプでは、昼休みに投手の「ランチタイム特打」が行われることがある。バッティングケージに入る投手たちは嬉々としてバットを振る。中日時代の松坂大輔は、ライナー性のホームランを連発していた。多くの投手はバッティングが大好きなのだ。

指名打者制によって投手が打席に立つ機会は減っているが、打つ気満々の投手のバッティングもぜひ見てみたいものだ。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

  • 写真岡沢克郎/アフロ

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