母からの暴力・覚醒剤…コロナ禍に自死した25歳女性の壮絶人生 | FRIDAYデジタル

母からの暴力・覚醒剤…コロナ禍に自死した25歳女性の壮絶人生

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母は売春、祖母は万引きの常習という機能不全家庭で育ち、自らも中学生の頃から売春と覚醒剤に溺れるという壮絶な人生を送ってきた女性・ハナ(仮名)。元刑事・蜂谷嘉治(はちや・よしはる)氏との出会いにより、執行猶予中に更生への道を歩み始めた姿がメディアでも報じられ、人々の感動を呼んでいたのだがーー。

コロナ禍で様々な支援活動が滞る中、5月上旬に自殺した。25歳だった。

2人の出会いは池袋署の取調室。薬物依存からの回復を目指す集まりに、蜂谷さんが声をかけたことが、はじまりだった。ハナさんの人生そして、現在NPO法人「ネクストゲート」の代表として薬物の再犯防止に取り組む蜂谷氏の思いを聞いた。

NPO法人「ネクストゲート」代表・蜂谷嘉治氏
NPO法人「ネクストゲート」代表・蜂谷嘉治氏

——出会いは2016年、ハナさんが21歳の時、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されたことがきっかけなんですね。(高橋ユキ氏 以下同)

その日、東京消防庁からの転送110番で、池袋のラブホテルにおいて男性が意識不明ということで119番通報があった、その現場にいたのがハナでした。

結果的には簡易検査で男性から覚せい剤の陽性反応が出たため、ハナももしかしたらということで、女性の警察官が取り調べを担当し、尿の提出を求めたんです。そうしたら『令状持ってこいよ!』と。

女性警察官も驚き、私に報告してきました。そのため私が取調室に入った。それが最初の出会いです」(NPO法人「ネクストゲート」代表・蜂谷嘉治氏 以下同)

——ハナさんは取り調べで話をなかなかしてくれなかったんですか?

「雑談には応じるけど何も話さなかった。それで毎日のように、落語をやりました。もちろん最初は笑いもしなかった。でも単純な『牛ほめ』という落語をやった時に彼女が堪えきれずププッと笑ったんです。一度笑ってしまえば心が開けていくというか、諦めるというか、被疑者と刑事でいえば、私の勝ちだったんですよ。

それから彼女がぽつぽつと話すようになった。だけど覚せい剤の事件に限らず、被疑者が取り調べの最初から本当のことを言うことはまずない。彼女も嘘をついてきましたが、最終的には話をしてくれました」

——ハナさんが覚せい剤取締法違反で起訴され、懲役1年6月、執行猶予3年の判決が言い渡されたのちも、薬物の再犯防止の集まりに声をかけ、蜂谷さんはハナさんに関わり続けてきたんですね。

「2007年10月に警視庁が薬物再乱用モデル事業として始めた集まりなのですが、結果的に1年半でその事業が潰れてしまい……。その後、今までそのモデル事業に参加していたから安心できていたという方から、散会を惜しむ声があり、2009年に自分で『NO DRUG』という集まりを始めたのです。

のちに池袋署に異動し、そちらでも活動を続けていくなかで、ハナにも声をかけました。

2014年の6月24日に池袋で、危険ドラッグを吸引した男が暴走させた車で女性が1人亡くなった。それまで合法ハーブとか脱法ドラッグといわれていたものが、危険ドラッグに名前を変える事件だったんですが、たまたまそのとき私は宿直責任者だったんです。捜査しながら、規制薬物だけでなく、指定薬物への依存というのもこれから支援していかなければいけないんだろうなということを感じ、複数形の『NO DRUGS池袋』と名称を変更していました。

ハナは21歳でしたが、小学校3年ぐらいまでしか学校に行っておらず、漢字もあまり読めなかった。算数は指で数えないとわからない。結果的にそれまでは、不特定多数の男性と援助交際のようなことをしながらお金を得るという生き方しかできなかったわけです。

長く続けられる仕事に就くことの重要さと納税の義務について話すと彼女は『私も税金を払えるような人間になりたい』って言ったんです。そして自分で、介護の仕事を見つけてきました。

ところが、初めての給料日、欠勤もなかったのに手取り7万5000円しかなかった。『ブラックだな』と思っていたちょうどその時、ハローワークの協力雇用主制度(前科前歴があっても雇用するという制度)の中で介護の仕事を2つ募集していると連絡を受けた。

ハナと相談し、そこを辞めることにして、施設長にハナが一人で退職を伝えに行ったんです。ところが施設長から『お前みたいのを雇っているんだからありがたいと思え。やめるんだったら代わりを連れてこい』と言われた。

なんとかしてやろうと、労働基準監督署なんかにも電話をかけたのですが、結局給与明細が一切出ていないのと、雇用契約書もなにもないから、裏が取れないんですよね。泣き寝入りするしかなく、新たにハローワークで紹介してもらった有料老人ホームの介護職員の面接に、私も一緒に行くことになったんです」

——その面接ではどうでしたか。

「協力雇用主だから当然、彼女の前科を知っていても雇ってくれるものだろうと思っていたんですが、不採用でした。

実は彼女にはアームカットといって腕全体に傷があるんです。確かにしょっちゅう新しい傷があった子なんですが、面接当時は新しい傷は見当たらなかったから、体調がいいんだなと思っていた。ところが『最近新しい傷ないよね?』と聞いたら、『うん、目立つから脚切ってんの』と……。

依存症の人や薬物をやっていた人たちは幻聴幻覚が出てくるとよく言われますが、その幻聴幻覚を抑えるために切ることがあるんですよ。見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる、そういう症状のなか、自らを切った痛みによってふっと一瞬我に返る。それで、体に無数の傷ができてしまう。

ですが、介護の仕事は大体が半袖短パンで入浴介助などをやらなければならない。面接の時に、アームカットの話を告げたんですが、2人で池袋に戻ったところで、不採用の連絡が来ました。

『飯でも食うか』と一緒にラーメン屋に入って、『違う職種のほうがいいんじゃないか』と切り出したんです。でもハナは『介護がやりたい』と譲らない。どうしてかと聞くと、逮捕時の取り調べでも話さなかったのに、飯を食ったせいかぽつぽつと語り始めたんですよね。

ハナは母親と祖母、曽祖母と暮らしていたんですが、母親は男の人と体を重ねて……売春行為のようなことで生計を立てていた。そして祖母は、万引きを繰り返していた。曽祖母だけがハナに愛情を与えてくれたんだそうです。

学校から帰って『お腹すいた』と言えば、曽祖母がおにぎりを作ってくれたり、1人でいるとお手玉やおはじきで遊んでくれたり……。暴力的な母親が彼女に殴りかかろうとすると、覆いかぶさって『殴っちゃダメ』と自分が殴られていたような、そういう優しい人だったんだと。

ハナが小学校3年生で学校に行けなくなったのは、祖母が万引きしているのを同級生に見られてしまい『お前のおばあちゃんは泥棒』と言われたのが原因だったとも話してくれました。その翌年に曽祖母は亡くなったそうです。

『私はひいおばあちゃんにすごく優しくしてもらって、それだけが自分が今生きていて、一つの救いになってる。そのひいおばあちゃんに対してなんの恩返しもできなかった』と。今施設にいる高齢者に対して優しく接することで恩返しできるんじゃないかと思うから、介護の仕事がしたいんだと言ったんです。

それを聞いたら、私としては何としても介護の仕事をさせてあげたい。そこで次の会社に面接に行き、まず私から話を切り出しました。ハナの生い立ちや介護の仕事への思い、アームカットのこと。するとそれを聞いていた社長が『お前たち、この子を雇わないわけにはいかないだろう』と他の社員に言ってくれたんです。そして一発で決まりました」

——その会社では仕事は続いたんですか?

「少しずつ通勤や仕事に慣れるよう、ゆっくりしたペースで働き始めたんですが、4ヵ月ぐらい経った頃『辞めたい』と言ってきたんです。自分の部屋が分からなくて施設で迷っていたおばあちゃんを部屋まで案内したかったけれど、介護の資格を持っていないのでできなかったんだそうで、それが悔しいんだと。

そうして、資格を取得するため一旦退職し、都内の介護資格が取れる学校に通い始めました。初任者研修は一発で合格し、実務者研修は私と一緒に準備をして、こちらも合格しました。その前から、漢字が読めなかったハナに、国語だけはしっかりやっておけよとずっと言っていて、国語の勉強をしていたんです。それが功を奏していろいろなものが読めるようになり、私にも書けないような字が書けたりするようになっていました。

そしてようやく自分で仕事を探して、勤め始めました。ボーナスもきちんと出るような会社で、それで私にブルーのアイコスを買ってくれたんです。

8ヵ月くらいそこにいたんですけど、事件が起きた。

給料日に母親が勤務先に行って『娘の給料をよこせ』とか『前借りさせろ』とか言ったらしく、それが病院の中で問題になった。仕事は真面目にやっていたみたいなので病院のほうは同じ系列の病院を紹介し、なおかつそれは母親には伝わらないよう口止めしてくれて、別の施設に移ったんです。そこでも結構真面目に働いていた。合計すると2年近く働いたと思います。

ただ結果的には長続きしないのが依存症者なんですよね」

——蜂谷さんは昨年9月に退職され、薬物の再犯防止のための活動を行うNPO『ネクストゲート』を発足させましたが、その頃はお忙しく、ハナさんにもなかなか会えなかったんでしょうか。

「準備に追われながら時が過ぎていき、介護の仕事もおそらく辞めたんだろうなとは感じていました。そのときはまだ彼女の調子はよかったんです。なので私もちょっと安心してその後のことに専念していた。私も知っている警部補が彼女の居住地近くに勤めていたので、ハナもそこにちょくちょく行ったりしていたようだし、私も月に2回は会って話をしていました」

——ハナさんは今年の4月から夜間中学校に通うことになっていたんですよね。それが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために休校が決まり、「ネクストゲート」の薬物防止のための集まりも中止となってしまったそうですが、ハナさんはその時期、母親と暮らしていたんですよね。

「そうですね。私も彼女から聞いているだけなので本当かどうかはわかりませんが。ただこんなにひどい母親がいるのかというぐらいひどい。しょっちゅう殴られて顔を腫らしていました。

4月に、ハナが飼っていた猫が亡くなっているんですが、このとき連絡がきて『猫の火葬の費用として2万円貸してくれない?』と頼まれました。彼女はそれまで私に直接『お金を貸して』と言ってくることはなかったんです。5000円しか持っていないということだったので、3万円を貸しました。その後、母親からの暴力がひどくなり、警察が用意したマンションに避難していたんですが、そこから飛び降りて亡くなりました。

最後の電話は亡くなる前日、5月3日の昼間です。提出させられた尿から覚せい剤が検出され、『警察が8日に迎えにくると連絡があった』と。その数日前にも電話があって『薬やりたいんだけど』と言っていた。『やりたいんだったらやればいい。その代わり、警察署の前でやれ。捕まりたくないならやるな』と伝えると『わかった』と返事をして、電話を切ったんですけどね。

亡くなる前日の電話では『今回捕まって、ちゃんと罪を償い終わって出て来た時には、まっとうな人間になろう、もう2度と覚せい剤とつながっている連中と会うのをやめようと思うのがお前なんじゃないの?』って言うと、まあ彼女はちょっとふてくされた感じで『わかった』と答えたのが最後でした……。

翌日に池袋署から私の携帯電話に、ハナが亡くなったと連絡がありました。私の番号を『お父さん』という名前で登録していたんだそうで、家族だと思って署員が電話をかけてきたんです」

——依存症からの快復を目指す人は、『頑張れよ』と言われたり、期待されることがプレッシャーになる場合もありますか?

「あるでしょうね。ただハナの場合は、それまで度々メディアの取材を受けてきたことが励みになり、やっと人並みの生活ができていたというところもあると思います。学校に行き、介護の資格も取り、介護職員をやりながら夜間中学に通うという、まさに人並みの夢を叶える目前だった。それがコロナの関係で延期になってしまった。普通の人はそこで耐え忍ぶことができるけど、やっぱりそこの弱さというのがあったのかもしれません」

——いま蜂谷さんは「ネクストゲート」で薬物を使用していた方々に寄り添い、集まりを主催するだけでなく、ハナさんに対してやられてきたような就労支援も行なっているんですか?

「やっています。ただ、不思議なことに皆、私が紹介したところは辞めていくんです。監視下に置かれるから、窮屈に思うんでしょう。でも辞めた後に、自分で探してくると、そちらのほうが長続きする。おそらく『ここを辞めたら蜂谷さんが別の仕事を世話してくれ、窮屈な生活になると思うから、今の職場で頑張ろう』と思うんですよ。

今までは一度も働かなかったような人たちが長く働いている姿も見ています。薬物とも当然、縁を切っていて。ただ、今はコロナの影響でNPOの活動を停止しているようなものだから、違法薬物と縁を切って生活したいと思っている人たちにとっての支えがない状態。

彼女が亡くなる前の電話でもそんなこと言っていたのですが、行き場所がないんですよね。『薬をやりたい』というどうしようもない思いを吐き出せる場所がなく、これが一番辛い。薬をやっていた人が孤立して辿る道は本当にろくなものではなく、自分で命を落とす人もやっぱりいます。

僕は親父も警察官だったんですが、捕まえるだけが刑事じゃない、捕まえて再犯させないのが刑事だと言っていました。薬物の検査キットを就労先に渡して定期的に検査をしたり、就労支援を行うなどの活動を、早く本格化させたいですね。また、今多くのNPO法人が新型コロナウイルスの影響を受けて運営資金に苦慮していますので、様々な形で支援をお願いしていきたいです」

蜂谷嘉治 NPO法人「ネクストゲート」代表。1980年警視庁に入庁し、長年にわたり薬物事件を捜査。現役時代、薬物事件の当事者らが悩みを語り合う会『NO DRUGS』を、10年間で120回開いてきた。

  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

  • 撮影田中祐介

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