世間の反発を買った小柳ルミ子「離婚慰謝料1億円」発言のワケ | FRIDAYデジタル

世間の反発を買った小柳ルミ子「離婚慰謝料1億円」発言のワケ

芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”⑧

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最近は歌やダンスだけでなく、サッカー解説もする小柳ルミ子(‘18年)
最近は歌やダンスだけでなく、サッカー解説もする小柳ルミ子(‘18年)

<芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”⑧>

「慰謝料1億円を払うか、元の無名のダンサーになるか」

と、離婚会見で発言した歌手・小柳ルミ子さんに、世間は「恐妻、鬼嫁」というレッテルを張って、当時は大バッシングが起こった。

小柳さんが、所属事務所や周囲の大反対を押し切って13歳年下の無名のダンサー・大澄賢也さんと“格差婚”したのは‘89年6月。ホテルでの披露宴は3億円と言われ、レコード会社やテレビ局の社長、デヴィ夫人、堺正章さんらも出席した。

主賓のあいさつの後、新郎新婦は、息の合ったダンスを披露。華麗に踊り終わった二人は、テレビカメラの前で約15秒もの濃厚なディープキスを見せつけた。

そもそも、二人の出会いは、前年の12月。小柳さんのディナーショーなどのバックダンサーを務めたのが大澄さんだった。

一緒に地方巡業を廻るようになり恋愛に発展。婚姻届けを提出したのは翌年の1月だったから、2~3か月で急激に盛り上がった恋だったのだろう。

小柳さんは、歌謡界の大スター。女優としても活躍、映画賞なども受賞していた頃だ。

そんな小柳さんには“恋多き女”と言うレッテルも貼られていた。スター演歌歌手や有名作詞家、プロゴルファー、映画監督らと浮名も流した。

そんな華やかな大スターが、無名の年下ダンサーを選んだことも話題になったが、結婚した小柳さんのノロケぶりも凄かった。

「プロポーズされてから、私は毎日泣いています」
「私にとって彼は星の王子さま」
「彼を天使と呼んでいます」

と、冷静さを欠くほどの熱愛ぶり。深夜番組『セイシュンの食卓』(テレビ朝日系)では、夫婦で踊りをしながら料理を作るというコーナーを担当し話題にもなった。

この深夜番組のおかげで、お茶の間には“おしどり夫婦”と映るようになっていくのだが、小柳さんの“夢見る乙女”の幸せは、長くは続かなかった。彼女との年の差を感じ始めた(?)大澄さんが、

「彼女とは同じベッドでは寝られない」

と愚痴っているという情報や、彼の夜遊び、浮気の噂が流れ出す。東京・六本木のクラブホステスに惚れて、その店に通っていたことも当時は報じられた。

二人は、ついに‘00年に離婚。原因は、やはり大澄さんの「女性問題」。11年間の夫婦生活もその数年前には破綻していたようだった。

若い女性に夫を取られた悔しさから出た言葉が「慰謝料1億円」だった。彼女の発言を記者会見場で聞いたオレも「鬼嫁」と思った一人であった。

しかし、深層は少し違っていた。実は「慰謝料1億円」は、離婚したいと思った大澄さんが小柳さんに提案した離婚の条件だったという話を後日聞くことになる。

大澄さんは、「ローンで支払う」とマスコミのインタビューに答えていた。数回の支払いで止まってしまったともいわれているが、離婚後、出演したテレビ番組で「離婚の真相は、墓場まで持っていきます」と誓った小柳さん。結局本当のところはわからないのだが、「自分が知ってしまった真実」は、口に出せないほど悔しかったのだろう。グチグチ言わない彼女の性格なのかも知れない。

その大澄さんはミュージカルで共演した8歳年下の女優・岡千絵さんと‘13年に結婚。「慰謝料1億円」で同情を買った大澄さんの仕事は順調に進んだ。

一方、批判を受けた小柳さん。一時的に仕事は減ることになったが、そこは才能の持ち主。最近は「サッカー解説者」としてなど新しい分野での活躍も含め、幅広く芸能界に君臨している。しかし、やっぱり小柳さんにとって、あの発言の影響は大きかったのかな……。

  • 石川敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、ラジオは福井放送、ラジオ関西、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • 写真YUTAKA/アフロスポーツ

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