フリッパーズ・ギター『恋とマシンガン』に始まり突然終了の夏休み | FRIDAYデジタル

フリッパーズ・ギター『恋とマシンガン』に始まり突然終了の夏休み

スージー鈴木の「ちょうど30年前のヒット曲」第7弾は、時代の空気を濃厚に反映させたこのユニット!

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フリッパーズ・ギターの小沢健二(左)と小山田圭吾
フリッパーズ・ギターの小沢健二(左)と小山田圭吾

ちょうど30年前のヒット曲を振り返っていきます。今回は1990年の6月に流行っていたあの曲をご紹介します。

まずは、時計の針をもう1年巻き戻します。89年夏=平成最初の夏の音楽シーンは、私にとって、実に思い出深いものでした。

あの夏に発売され、あの夏に聴きまくっていた3枚のアルバム。6月1日発売のユニコーン『服部』。7月11日発売の岡村靖幸『靖幸』。そして、8月25日発売のフリッパーズ・ギター『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』。

私は大学4年生で、バブル真っ盛りの東京の炎天下を、慣れないスーツを着て、ネクタイを締めて、走り回っていました。カバンにしのばせたディスクマンの中では、この3枚のアルバムのコンパクトディスクが、くるくると回っていました。

――rm(レコードミラー誌)インディーズ・チャートになぜかひょっこり顔を出した、とっても爽やかでちょっぴりキンキーな日本のポップ・バンド ロリポップソニック。カプチーノもいいけれど、コーヒー牛乳にくびったけな君へ。1989年・夏、フリッパーズ・ギターとして国内デビュー!

フリッパーズ・ギター『three cheers for our side』のCDの帯に書かれていたコピーです。この摩訶不思議で、マニアックで、スカした言葉遣いは、そっくりそのまま、デビュー当時の彼らのイメージと重なります。

ちなみに「コーヒー牛乳」という言葉に唐突感がありますが、これは、このアルバムの4曲目のタイトル『Coffee-milk Crazy/コーヒーミルク・クレイジー』からの引用です。

この3組、その中の中心人物=奥田民生(ユニコーン)、岡村靖幸、そして小山田圭吾と小沢健二(フリッパーズ・ギター)という、名字の頭文字「お」の4人に共通するのは、「音楽にやたらと詳しそうな若者」という感じです。名字の「お」は音楽の「お」。

当時はレコードからCDへの移行期で、古い音源が一気にCDで再発された時期でした。それらを全身で受け止めて、やたらと耳年増になった「恐るべき子供たち」。

これからという時期に、小山田圭吾が交通事故に遭い、フリッパーズ・ギターは音楽活動の見直しを迫られます。そして5人組から、中心人物の小山田圭吾と小沢健二の2人組となり、再スタート。

翌90年、まだ一部のマニアックな音楽ファン向けだったフリッパーズ・ギターが、メジャーシーンに一気に飛び出すキッカケとなった曲が『恋とマシンガン』でした。シングルの発売は5月5日で、6月25日には『恋とマシンガン』を含む4曲入りカセットテープが発売されています。

この曲が11.3万枚のスマッシュヒットとなったのには、TBS系ドラマ『予備校ブギ』(90年)の主題歌になったことが大きい。このドラマは、緒形直人と織田裕二、的場浩司が予備校生を演じる物語で、同じく遊川和彦脚本の『ママハハ・ブギ』(89年)、『ADブギ』(91年)と並ぶ「ブギ・シリーズ」の中の1作です。

牧村憲一・藤井丈司・柴那典著『渋谷音楽図鑑』(太田出版)で牧村憲一は、『恋とマシンガン』が『予備校ブギ』の主題歌となった経緯について、こう語ります。

――ドラマ主題歌になったきっかけは、八九年末、二人になったフリッパーズのミュージックビデオを作ったことでした。(中略)それが萩原健太が司会をしていたTBS系の番組『MTVジャパン』でオンエアされて、すごく反応があった。そしてTBSのドラマ制作班が番組を観てフリッパーズに主題歌を依頼しようということになった。

『恋とマシンガン』を1曲目に据えたアルバム『CAMERA TALK』も、ちょうど30年前の90年6月に発売。歌詞が日本語だったこともあり(『three cheers for our side』は英語詞でした)、フリッパーズ・ギターは、普通におしゃれで、普通に音楽が好きな、普通の女の子向けブランドに転換したと言えます。

彼らの快進撃は進みます。当時最先端のサンプリング手法を大胆に導入した3枚目のアルバム『ヘッド博士の世界塔』(91年)は怪作にして快作。普通の女の子をびっくりさせながら、コアな音楽ファン(私含む)を狂喜させるという作品。個人的には彼らのアルバムの中で、もっとも愛聴している1枚です。

そしていよいよ海外進出へ! 何と、日本とイギリスとフランスで同時発売する4枚目のアルバム制作へ! と盛り上がったのですが、それからの驚くべき急展開について、先の『渋谷音楽図鑑』で牧村憲一が語ります。

――それで九一年九月、僕はロンドンとパリに向かいました。チェリーレッド(註:イギリスのレーベル)との交渉がまとまって、そこからパリに移動して何日か経った朝、東京から電話が掛かってきた。そして「二人は解散してしまいました。とにかく帰ってきてください」と告げられた。四枚目のアルバムは結局幻となったのです。

あっと言う間でした。本当にあっと言う間。『恋とマシンガン』の翌年。社会人2年目となって、少しはスーツが板に付いた私自身にとっても、彼らの解散がひどくショックだったことを憶えています。

アルバム『ヘッド博士の世界塔』『DOLPHIN SONG』という曲から始まるのですが、そのエンディングで、次のような歌詞が歌われます。それは、今から思えば、突然の崩壊へのイントロダクションだったのかもしれません。

――♪ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり

  • スージー鈴木

    音楽評論家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12トゥエルビ『ザ・カセットテープ・ミュージック』出演中。主な著書に『80年代音楽解体新書』(彩流社)、『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)、『イントロの法則80's』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)など。東洋経済オンライン、東京スポーツ、週刊ベースボールなどで連載中。

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