結婚相手ら11人が不審死…“疑惑女性”が逮捕前に語った言い分 | FRIDAYデジタル

結婚相手ら11人が不審死…“疑惑女性”が逮捕前に語った言い分

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第50回

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千佐子の婚活用プロフィール写真。ウォーキングや菜園作りが趣味と語っていたという
千佐子の婚活用プロフィール写真。ウォーキングや菜園作りが趣味と語っていたという

関係を持った男性が、次々と命を落としていく。犯人としてターゲットにあがった女性は、容疑を完全否定。捜査は難航し逮捕までに1年近くをようした。不可解な事件を、ノンフィクションライターの小野一光氏が解き明かす。

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一連の事件が発覚する端緒となったのは、ある男性の不審死だった――。

13年12月28日の夜、京都府向日市に住むAさん(当時75)が自宅で倒れているとの119番通報があった。

電話をかけたのは、Aさんと前月に結婚したばかりの妻・筧千佐子(68)である。すぐに救急隊員が駆け付けるが、すでにAさんは心肺停止状態だった。その死に不審を抱いた京都府警が司法解剖を実施したところ、Aさんの体内から致死量をはるかに超えた青酸化合物が検出されたのである。

当然ながら、Aさんと暮らす千佐子に疑いの目が向けられたが、京都府警がどんなに厳しく追及しても、飄々とした態度で「私は知らない」や「やっていない」の一点張りで、決して犯行を認めようとはしなかった。そのため、捜査は膠着状態にあった。

そんな彼女と事件の存在が、一部のメディアに知られるようになったのは、14年3月上旬のこと。しかもその際には、Aさんだけでなく、彼女がかつて結婚や交際をしていた複数の男性が不審死をしているとの情報も加わっていた。

京都府警が千佐子の過去の経歴を辿っていくなかで、彼女と結婚して数ヵ月で死亡した男性の存在や、同様に彼女に遺産のすべてを渡すという公正証書遺言を作成して間もなく死亡した男性が、何人もいることが判明していたのだ。そうした男性の居住地は大阪府、兵庫県、奈良県にまたがり、当時は事件性がないと判断され、ほとんど”資料”が残されていないことが、捜査の障壁となった。

千佐子にとってAさんは4人目の結婚相手だったが、その前の結婚相手3人はすべて死亡しており、わかっている限りでは他に7人の交際相手が死亡していることから、彼女の背後には計11人の”死”が見え隠れした。その結果、千佐子が得た土地建物や遺産の総額は8億円から10億円とされている。

難航をきわめた捜査

中学時代の千佐子。同級生によると成績は優秀だったが運動は得意でなかったとか
中学時代の千佐子。同級生によると成績は優秀だったが運動は得意でなかったとか

私自身も彼女の存在が表面化した段階で現地に赴き、千佐子にまつわる周辺取材を行っている。福岡県北九州市で学生時代を過ごした千佐子は、進学校である北九州市内の公立高校から大手都市銀行に就職。そのときに旅行先で出会った最初の夫との結婚により、仕事をやめて大阪府貝塚市で暮らすことになった。

やがて夫婦で起業をしたが失敗し、多額の借金を背負ってしまう。しかし、その夫が54歳で病死したことで保険金が入り、彼女は貝塚市を離れていた。それからは複数の結婚相談所に登録し、資産のある高齢者との交際を繰り返すようになったのである。

千佐子については逮捕されていなかったこともあり、新聞やテレビは取材を重ねながらも報じることはなく、雑誌メディアのみが夫や交際相手が不審死した、”疑惑の女性”として、その存在を匿名で取り上げた。

それから間もない3月13日、彼女は大勢の記者による”囲み取材”を受けている。そこでのやり取りは2時間近くに及んだが、千佐子は一貫して犯行を否認。次のように話していた。

「私は自分が犯罪者になりたいと思って人生を生きてないです。楽しく末永く生きたい。ふたり暮らしで人を殺めるということは、100%私が第一発見者になるのはわかってますやん。あえて第一発見者になるというのは、あえてそれをするほど私ボケてませんし、絶対にするはずがない。そんなに私早く死にたくないし、長生きしていきたい。それをすべて私が犯罪者で殺したようにみなさんが言うけど、それは違う。誰が考えてもそうじゃないですか」

そこで記者がこれまでに結婚相手や交際相手が相次いで亡くなっていることに触れると、彼女はこう言い切った。

「それもお医者さんに診てもらってちゃんとしています。死因もちゃんとわかってます。堂々と生きてます。後ろめたいことはない。手当てもしています」

京都府警が千佐子をAさん殺人容疑で逮捕したのは14年11月19日。前日に彼女から自殺をほのめかされた関係者が警察に通報し、19日早朝に外出したところを大阪府熊取町内の駅で任意同行し、逮捕したのだった。京都府警担当記者は言う。

「Aさんの不審死から逮捕まで11ヵ月あまりかかったのは、千佐子が犯行を否認していたことに加え、ポリ(ポリグラフ=うそ発見器)をかけたところ、完全にシロ(関与なし)という反応が出たからです。そこで京都府警はこのタマ(千佐子)は絶対に自供しないだろうと判断して、徹底的に証拠固めをしたうえで、公判を維持できるよう慎重に動いたため、時間がかかったのです」

この逮捕と同時に実施された家宅捜索では、彼女が娘名義で購入して住んでいた大阪府堺市のマンションで、ビニール製の小袋と空のカプセルが発見、押収されている。じつは逮捕前の夏に、千佐子が不用品回収業者に引き渡したプランターについて、京都府警は任意提出を受けて調べていた。その際にプランター内の土のなかから不審なビニール製の小袋が見つかり、付着物から微量の青酸化合物が検出されていたのである。堺市のマンションで押収された小袋は、それと同じものだった。

15年1月28日には、大阪府警が交際相手である大阪府貝塚市のBさん(当時71)を殺害したとして、千佐子を再逮捕した。Bさんは12年3月に交際中の千佐子と会った後、近所のスポーツクラブに通うためにバイクを運転中に転倒。搬送先の病院で死亡していた。その際の死因は致死性不整脈と見られる心疾患とされていたが、彼の血液が例外的に大学の法医学教室に保存されていたのである。その血液を再鑑定したところ、青酸化合物が検出されたのだ。

これらに引き続き、千佐子は兵庫県神戸市のCさん(当時79)への強盗殺人未遂容疑で、さらに兵庫県伊丹市のDさん(当時75)への殺人容疑で再逮捕され、結果的に4つの事件で起訴された。

京都地裁で17年6月26日に始まった裁判員裁判は、135日間の審理期間を要する、同制度が始まって以来、2番目に長いものだった。千佐子本人がみずから認知症を訴え、刑事責任能力が争われる裁判となったが、同地裁は11月7日に死刑判決(求刑死刑)を言い渡した。その後、判決を不服として千佐子は控訴したが、大阪高裁で控訴は棄却され、現在は最高裁での上告審が行われている。

(文中敬称略)

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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