打者には勲章、投手には屈辱…「敬遠」をめぐる深い物語
強打者の勲章ともいえる「敬遠」。イチロー、松井秀喜、上原浩治たちの物語!
アメリカで生まれた野球用語は当然ながら、すべて英語だったが、我が国に到来すると日本語に置き換えられた。ヒット(Hit)は「安打」、ホームラン(Homerun)は、「本塁打」。そんな日本語訳でも傑作といえるのが「敬遠」だろう。
敬遠は、投手が打者との勝負を避けてわざと四球を与え歩かせることを言う。英語ではIntentional base on ballsまたは Intentional walk、つまり「意図的な四球」だ。略称は「IBB」。実は日本でも公認野球規則では「故意四球」という。「敬遠」は俗語に過ぎないが、強打者を「敬して遠ざける」というニュアンスは、この記録のシチュエーションを絶妙に表現している。
投手が、打棒を恐れて勝負を避けて歩かせられるのは、打者にとっては不本意だが、反対に言えばそれだけ恐れられる打者になったということであり「敬遠」は、強打者の勲章ともいえる。
しかし「敬遠」は、強打者以外でも見られる。次打者が投手の場合などに、前の打者が歩かされることも多いのだ。投手はほとんどの場合9番を打つので、8番打者に敬遠が増える傾向がある。8番は捕手が打つことが多い。さして強打者ではなくても、敬遠が多い捕手がいるのだ。
NPBの通算敬遠数10傑と通算本塁打数
1王貞治427 敬遠(868本塁打)
2張本勲228 敬遠(504本塁打)
3長嶋茂雄205 敬遠(444本塁打)
4野村克也189 敬遠(657本塁打)
5門田博光182 敬遠(567本塁打)
6落合博満160 敬遠(510本塁打)
7谷繁元信158 敬遠(229本塁打)
8田淵幸一125 敬遠(474本塁打)
9江藤慎一118 敬遠(367本塁打)
10中村武志112 敬遠(137本塁打)
NPB史上最強打者といわれる王貞治が通算敬遠数でもダントツだ。王は1974年、2度目の三冠王の年にシーズン最多の45敬遠を記録している。
以下にもNPB史上に残る長距離打者の名前がずらっと並ぶ。
しかしその中に、谷繁元信、中村武志という2人の捕手の名前がある。谷繁が229本塁打、中村も137本塁打だから長打力はあったが、他の顔ぶれと比べると見劣りする。
谷繁、中村の2人は投手の前の8番を打つことも多く、敬遠が増えたのだ。
現役最多も広島の捕手、石原慶幸の50敬遠だ。石原は通算66本塁打だ。
指名打者制を敷き、投手が打席に立たないパ・リーグでは、捕手の敬遠はそれほど多くない。指名打者導入以降、パ・リーグで最も多くの試合に出場した捕手は、西武一筋で2379試合に出場(捕手としては2327試合)した伊東勤だが24敬遠に過ぎない。
昔は打者顔負けの打棒をふるった投手がいた。NPB最多の400勝を挙げた金田正一は、投手としては最多の38本塁打を打っているが、通算で8敬遠を記録している。金田は並みの打者よりも恐れられていたのだ。
ここまで見てきたように「敬遠」は、長距離打者や、次打者が投手の際の捕手との対戦を避けるために選択される作戦だ。しかし例外的に、外野手で、本塁打もそれほど多くないのに「敬遠」が多い選手がいた。
イチローだ。イチローはNPBで118本塁打を打っているが、本塁打王にはなっていない。しかし、1995年から2000年まで6年連続でパ・リーグの最多敬遠を記録している。通算98敬遠は歴代13位タイだ。これは通算536本塁打の山本浩二(94敬遠)よりも多い。
またMLBでもイチローは117本塁打だが、歴代28位の通算181敬遠。2002年、2004年、2009年にアメリカン・リーグの最多敬遠を記録している。通算563本塁打のレジー・ジャクソン(164敬遠)よりも多い。
イチローと勝負をしても、本塁打を食らう可能性はそれほど高くないが、糸を引くような安打ではなくても内野安打やポテンヒットも含め、安打を許す確率が極めて高い。日米ともに、ピンチでイチローと対戦するのは得策ではないという判断が働いたのだ。
これもイチローならではの勲章と言えよう。
高校野球では星稜高の松井秀喜(のち巨人、ヤンキース)が、1992年の夏の甲子園の明徳義塾高戦で「5打席連続敬遠」を食らった。いくら「強打者の勲章」とはいえ、これはやりすぎ、と全国で議論が巻き起こったのも記憶に新しい。
「敬遠」は、打者にとっては「勲章」だが、投手にとっては「勝負を避けた」ということで、不名誉な記録だといえる。
そもそも「敬遠」は、投手の判断で行うことはほとんどない。ほとんどの場合は、ベンチの指示で選択する。
投手の中には、ベンチの指示に従わず、勝負をさせてくれと抵抗することがある。
1999年10月5日、神宮球場のヤクルト戦で、巨人の先発、上原浩治は7回裏、ペタジーニとの対戦で、ベンチから「敬遠」の指示を受けてマウンドで涙を流した。当時、ペタジーニは巨人の松井秀喜と激しい本塁打争いをしていた。巨人ベンチは、ペタジーニに本塁打を打たせないために勝負を避けたのだ。
こうしたタイトルがらみの「敬遠」もNPBではよく見られるが、上原はこの試合で新人としては1990年の巨人、斎藤雅樹以来の20勝がかかっていた。またペタジーニとは前の2打席を凡退に打ち取っていただけに勝負がしたかったのだ。上原浩治の涙は、投手としてのプライドの現われだった。
上原はこの試合を9回2失点で完投して無事20勝を挙げたが、投手が「敬遠」に対してどんな思いを抱いているかを端なくも世間に知らしめる結果となった。
ベンチから投手に「敬遠」の指示をするときは、やはり気を遣うのだ。
NPBでは、2018年からMLBの方式に倣って、投手がボールを投げることなく「敬遠」することができる「申告敬遠」の制度を導入した。
導入前の2017年の敬遠数は、両リーグ合わせて「90」だったが、2018年は「285」、2019年は「300」と激増している。
監督にしてみれば、投手に「歩かせろ」と指示することなく、審判に告げるだけで「敬遠」が成立する「申告敬遠」は、気を使わなくて済むので心理的に楽なのだろう。
しかし、「申告敬遠」が導入された2018年以降、野球はまた一つ昔とは変わってしまったといえるかもしれない。
文:広尾 晃(ひろおこう)
1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。
写真:時事通信社