きらめくものが好きなぼくが自虐をやめ「書くこと」で得たもの

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《ぼくはかわいいものが好きだ。うつくしいものも好きだ。/ぼくの人生。ぼくの人生の、うつくしい痕跡》

『美少女戦士セーラームーン』のおもちゃ、少女漫画雑誌の付録、サンリオのキャラクターグッズなど、小さくて愛らしく、ささやかな幸せをくれるものを愛し、今もいとおしみ続けている人がいる。

『ぼくの宝ばこ』少年アヤ著(講談社刊)

エッセイストの少年アヤ氏。物心ついた頃から“男らしさ”の壁の中でもがき、自己愛と自己否定の間を彷徨いながら、やがて男性を愛する男性として自らの個性を抱きしめ、歩き出す日々をブログに綴り、セクシュアリティに悩む人々を含めて幅広い読者を獲得。

最新刊『ぼくの宝ばこ』でも、その繊細でリリカルな筆致は、さらにきらめきを増している。

好きなものを「好きだ」と言える人は強い。そして、そんな自分を愛し、抱きしめられる人は、さらにしなやかになれる。コロナ禍に翻弄され、誰しもの心の殻が少しだけ厚くなりつつある2020年の夏、心の平安を保つために、私たちが今、抱きしめるべきものとはーー。書面インタビューで尋ねた。

文章を書くことで、ひとりではなくなった

——「かぐわしいもの」「きらめくもの」「かわいいもの」「うつくしいもの」についての少年アヤさんの描写は、本当にくっきりと鮮明ですね。『ぼくの宝ばこ』でも、いつも以上の観察眼の鋭さ、愛情の豊かさが伺えました。

「好きなものが、物心ついてからずっと変わっていないので、それにまつわる部分だけ記憶が強く、濃くなっているのかもしれません。ほかのことはすぐに忘れます。一昨日の晩ごはんも不明です」(少年アヤ氏 以下同)

——ミニカーよりもリカちゃん人形が好き、黒いランドセルは受け入れがたい。少年時代には対外的に封印していたそんな思いを、オープンにしようと思ったきっかけは何ですか? そのときの気持ちも教えてください。

「きっかけは、高校生のころはじめたブログでした。当時はセクシャリティも、趣味のこともほとんど周りには隠していたので、『自分はうそをついている』という罪悪感とうしろめたさを常に抱えていて、人とわかりあうなんてことは、ぜったいにできないと思っていました。そして、いつか暴かれるという恐怖をつねに抱えていました。

なので、ウェブ上にテキストとして吐き出してみたときの気持ち良さは、いまも忘れられません。ぜんぜんしらない人にも共感してもらえたりして、だんだんとですが、『ひとりではない』と思えるようになりました」

つらかったのは、自虐や露悪に走ったから

——オープンにしたことで、心が解放されるとともに、周囲の視線や反応など、恐ろしさや不安を感じることもあったと思います。本書でも、20代になって「おかまです」と自称してからの葛藤を《なにかおおきなものがつねに背中にのしかかっているみたい》と綴られていますが、そうしたとき、ご自身の心の支えになったものは、何でしたか。

「好きなものを好きと表現したときに、いやな反応が返ってくるとか、ヘイトに近い言葉を投げかけられる、ということも当然ありましたが、いちばんつらかったのは、必要以上に自虐的な言動や、露悪的な振る舞いによって、バランスを取ろうとしてしまう、自分のこころの動きでした。攻撃される、笑われる、という現実に、過剰に適応した結果だったと思います。

そういうとき支えになってくれたのは、真剣に話を聞いてくれる友人たちや、読者の存在でした。気持ちを受け止めてくれる人がいる、ということを、段階的に覚えていくことで、すこしずつ素直な自分になれた気がしています」

——思い出を綴りながら、過去に受けた苦い体験や心の傷にあらためて向き合う瞬間もあると思います。もし辛い気持ちになったときは、どうやって克服しますか。

「20代の中盤まではつらい部分もあったのですが、できるだけ書いて形にすることで、過去の出来事と距離をとって向き合えるようになりました。また、それを読んでもらうことで、ちょっとずつ救われてきたと思っています。

ただ、元気がないときには、記憶に入り込みすぎてしまったり、感情がコントロールできなくなったりすることもあるので、そういう時はとっとと散歩に行くか、ケンタッキーフライドチキンをたべます。

それと、『自分の書くことはすべて、自分ひとりの主観によってある側面を切り取り、省略や加工をしたうえで人前に出しているものにすぎない』ということを意識するようにしています。そうでないと視界が狭まり、人生の複雑さを見逃してしまうからです」

自分の経験や声は、社会にとってきっと必要

——本書の中に、《人間の懲りなさが好きだ》というフレーズがあります。ご自身に加え、周囲の方にも「懲りなさ」を感じることがありますか? それは、たとえばどんな「懲りなさ」でしょうか。

「あらゆる『懲りなさ』を肯定するつもりはありませんが、『懲りない』って、基本的には希望があるからだと思うんです。ぜったい外れるガチャポンについ挑んでしまうのもそう。なんかいいことがありそうな気がするから、ついハンドルを回しちゃうんですよね。

いまって、そういうちょっとした前向きさが、すごく必要な時代だと思うんです。おおきな流れのなかで、希望を抱きにくい社会になってしまっているので。

そういう意味では、ぼくの周りには、懲りない人しかいません。ボロボロに打ちのめされても、またガシャポンに挑む。そして、希望について語り続ける人たちです。踏みつけられても懲りない。だって懲りたらおしまいだから。

自分を振り返ってもそうかもしれません。懲りなかったから、高校のときからずっと文章を書き続けてきました。それは自分の経験や声が、社会には必要だと信じているからです」

——2020年現在、世の中では、さまざまな価値観や性のあり方を受け止めようというムードが、少なくとも20年、30年前に比べれば高まってきたようにも思います。まだまだ十分ではないかもしれませんが、そのムードをどんなふうに感じていますか。また、不十分だとすると、どんな点が改善され、高まるとよいと思われますか。

「先ほども言ったとおり、おおきな流れでいったら、いまの社会って最悪だと思います。先ごろの東京都知事選挙の結果を見ても、その流れに加担する人のほうが多いようですし、油断はできません。毎日こわいです。

ただでさえパートナーと結婚はできないし、パートナーシップ制度も自治体によってばらばら。現状、いざというときに病室に入れてもらう権利すらありません。

ですが、よくよく目を凝らすと、身近にあるちいさな流れ、個人個人の意識は、ちょっと前とくらべて、たしかに良くなっている部分もあるな、と思います。

2014年、露悪的な態度や、自虐的な言動をやめようと決意した瞬間があって、同時にそれまで仕方なく名乗っていた『おかま』という言葉で自分を表すのをやめてみたんです。

そう宣言したときに、知人からも『いや、お前はおかまだろ』とか、『じゃあゲイで、ファンシーグッズが好きなお前はなんなんだよ』とか笑われたりしたんですが、いまだったらそんな反応ってありえないよな、と思うんです。もちろん相変わらず、いやなことを言う人はいるんだけど。

あれから6年経って、ぼくはいますごくフラットに生きています。自分を定義せずに周りとコミュニケーションすることができています。

それはもちろん、踏みつけられても戦いつづけてきた当事者と、そのたびに意識を更新してきた人たちのおかげですよね。

そういう個人個人のちいさな前進を、なかったことにしようと躍起になっているのが現在のおおきなな流れだと思うので、先人たちへの敬意を持って抗っていかなくてはならないし、かつて自虐をすることによって、おおきな流れに加担した側の人間として、反省を込めて、自分の経験を語り続けていきたいと思っています」

皆が大事なものを愛し、信じられるように

——この春から現在までのコロナウイルス禍の中で、多くの人が自分のこれまでと、これからについて考えたと思います。少年アヤさんは、この間、どのようにお過ごしでしたか? 自分にとって大切なもの、これからも守り続けていきたいものは何だと思われましたか。

「天気のいい日は、できるだけ人のいるところを避けて散歩をするようにしていました。毎日ひどいニュースばかりで、心がこわれてしまいそうだったからです。

その間に、恋人や家族や友人、そして自分自身やファンシーグッズたち、とにかく大事に思うものすべてをもっともっと大事にしたい、という気持ちが強まりました。それらをひとつたりとも手放さないということが、おおきな流れへの抵抗だと思うからです。

でも、実際はむずかしいですよね。本当は、それぞれが大事なものを徹底的に愛したうえで、見えてきたものを信じられるようになったら、社会はきっとよくなるだろうと思うんですが、そうはさせまいとする空気に包囲されてしまっている。気がつくと、自らを滅ぼすような価値観に回収されてしまったりして。

なので、あくまでぼくの話として、大事に思うものをひたすら連ねた本として、『ぼくの宝ばこ』をつくりました。そこには、思想も、ファンシーグッズを愛する気持ちも、セクシャリティの話も、とにかくすべてが含まれています。

読んだ人が、自分にとって大事なものを、ひとつでも多く思い浮かべてくれたらうれしいし、そのきっかけになれたらいいなと思っています」

——ウェブ上で連載中の日記エッセイ「よい人生、ぼくをくるむ」(双葉社web文芸マガジン)によると、現在は恋人の「もみくん」と幸せに過ごしておられますね。30代に入って、恋や愛のあり方は変化しましたか? 恋や愛が心を満たしている状態は、少年アヤさんにとってどんな状態でしょうか。

「自分を大事にできない期間が長かったので、20代の恋は、あこがれから相手を神格化したり、コンプレックスを投影して羨望したりの繰り返しでした。いまは対等に、人間同士として、恋人と向き合うことができています。それはやっぱり書いて、読んでもらうことで、自分にかけていた呪縛をすこしずつ解いていけたからかな、と思います。

まだまだ道半ばで、自己肯定感もたぶん低いのですが、これからもっと最強の自分に仕上がっていけると信じています」

少年アヤ 1989年生まれ。2014年、高校時代から書き始めたブログの書籍化『尼のような子』でデビュー。既刊に『果てしのない世界め』『焦心日記』『ぼくは本当にいるのさ』『なまものを生きる』がある。

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  • 取材・文大谷道子

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