巨人・原監督は悪なのか…?過去にもあった「野手の登板」

物議を醸した巨人・増田大輝の登板!

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内野手登録の増田大輝(巨人)だが、8月6日の阪神戦では投手として3人のバッターと対戦、1四球無安打無失点に抑えた

8月6日、甲子園の阪神―巨人戦は阪神の11対0というワンサイドゲームになったが、8回裏に巨人は、野手登録の増田大輝をマウンドに上げた。過密な日程の中で、投手を節約したいという原辰徳監督の思惑だったが、一部の巨人OBからは「巨人軍らしくない」と厳しい批判の声が上がった。

昔は、野手登録の選手がマウンドに上がるのは、珍しいことではなかった。戦前は、同じ年に規定打席と規定投球回数に到達する選手もいた。「初代ミスタータイガース」景浦將は、1937年春は打率5位で打点王、そして防御率2位に輝いている。

戦前、セネタース(大洋、翼、西鉄)で活躍した野口二郎は規定打席と規定投球回数に同時に達したシーズンが5回もある。選手数も少なく、野手と投手の掛け持ちは当たり前だったのだ。

戦後も昭和20年代は、選手数が少なかったため野手がマウンドに上がるケースも散見された。

巨人の名二塁手で「猛牛」といわれた千葉茂は、1946年7月25日の大阪(現阪神)戦で、3番手で登板。この試合は5回まで巨人は2対11と大差をつけられていた。この年、巨人の専任投手は7人しかいなかったために藤本英雄監督は千葉をマウンドに上げた。松山商業時代は投手だった千葉は4回を投げて被安打8、自責点4。生涯一度のマウンドだった。

南海の名三塁手で、史上最多の1773勝を挙げた大監督の鶴岡一人も、1947年7月27日の大阪戦でマウンドに上がっている。この試合、先発投手が1死を取っただけで降板、2番手も打たれて4点を奪われた。鶴岡はプレイングマネージャーで三塁を守っていたが、2回に「わしが投げる」とマウンドに上がり、1回を投げて2安打を打たれ自責点1。この年の南海は投手が5人しかいなかった。

鶴岡は大学のころから「三塁守備の名手だが肩はやや弱い」といわれていたが、投手不足の折からやむを得ずマウンドに上がったのだ。この年の南海では一塁手の飯田徳治も2試合で投げている。

ここまで紹介した選手は全員、野球殿堂入りしている。戦前、1リーグ時代の名選手は選手生活で1度や2度はマウンドに上がるものだったのだ。

しかし、選手数が増えて投手、野手の分業が進むとともに、野手がマウンドに上がるケースは激減する。

巨人では1949年4月8日の中日戦で、外野手登録の野草義輝が2イニングを投げている。野草はこれが一軍デビュー。巨人の野手登録の選手の登板は、以後、今年の増田大輝までなかった。

「野手の登板」は、意外に線引きが難しい。

投手登録で野手のポジションを守る選手は、例は少ないが散見される。1999年5月19日の広島戦の7回無死満塁で阪神の左腕、遠山奨志がマウンドへ。左打者の前田智徳と対戦、右の江藤智が打席に立つと葛西稔と交代して遠山は一塁を守る。そして左の金本知憲が立つと再びマウンドに立った。短時間とはいえ一塁を守ったのだから「野手の登板」と言えなくもない。遠山はロッテ時代には野手に転向した時期もあった。遠山は阪神では通算9試合で一塁を守り、7つのアウトを取っている。

また、広島の1997年のフェリックス・ぺルドモのように、内野手で入団し、2年目のシーズン中に投手転向が決まったものの、短期間だが内野手登録のままマウンドに上がったケースもある。

そうした例を除いて純粋に「野手の登板」の例を探すと

1970年10月14日 南海-阪急戦 南海の外野手、広瀬叔功が登板。
1974年9月29日 日本ハム-南海戦 日本ハムの捕手、高橋博士が登板。
1995年5月9日 オリックス-西武戦 西武の一塁手デストラーデが登板。
2000年6月3日 近鉄-オリックス戦 オリックスの内野手、五十嵐章人が登板。

の4例が見つかった。このうち3例は大差がついた試合で、投手の節約をするために野手をマウンドに上げたものだが、1974年の高橋博士は「1試合で全ポジションを守る」という珍記録を樹立するためのものだった。シーズン最終戦、高橋は1回から一塁手→捕手→三塁手→遊撃手→二塁手→左翼手→中堅手→右翼手→と守って最終回にマウンドへ。歓声の中、野崎恒男を中飛に打ち取った。

「1試合全ポジション」はNPBでは1例だけだが、MLBでは5例が記録されている。

MLBは、原則として引き分けがない。同点の場合、決着がつくまで延長戦を戦うので、投手の頭数が足りなくなることもある。そのために野手がマウンドに上がるのは珍しくない。どのチームでも「投手を務める野手」はあらかじめ決まっている。若手が中心だが、2009年のヤンキースでは松井秀喜の同僚の強打者、ニック・スイッシャーが嬉々としてマウンドに上がっていた。

最近は大差がついた試合でも野手が上がるケースが散見され、MLB機構は昨年オフに「野手の登板は延長戦と6点差以上の試合に限る」という規制を設けた(新型コロナ禍の今季は規制なし)。

大谷翔平の例もある通り、近年、従来の野球の「常識」を覆すような戦術、選手起用が次々と編み出されている。野手の投手起用もその一例だろう。

野球ファンとしては「伝統が」「セオリーが」と目くじらを立てるよりは「今度はどんな策を打ってくるのだろう?」と楽しみにする方がよいのではないか。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

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