やまゆり園事件とひきこもり殺人事件に共通する「ありふれた背景」

殺す息子、殺される息子―社会学者が指摘

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植松死刑囚が19人もの命が奪い、多くの人の体と心に傷を負わせた神奈川県相模原市「津久井やまゆり園」の現場。事件当時の建物は取り壊された。写真は解体工事前の’16年12月に撮影

「昨年6月、元農水次官の父親が、44歳の息子を殺した事件。これを知ったとき、『やまゆり園と同じだ』と直感的に感じました。わたしは研究者なので、明らかな事実だけを材料に分析します。直感的、というのはいわゆる『勘』ではないんです。社会学者として日本の家族関係をみてきたわたしにとって、この2つの事件には共通する点があります。これはまさに、今の日本にありがちな『ありふれた』家族関係、そして、おびただしい家族の不幸を象徴する事件にみえるんです」

『「母と息子」の日本論』を書いた、社会学者の品田知美氏の指摘に驚いた。エリートの父親による子殺しと、障がい者施設の元職員による、入所者殺傷事件。どちらも大きな衝撃を招いた「異常な」事件にみえる、が、その2つが「同じ」で「ありふれた」背景をもつという。

「そしてどちらも『起きなくて済んだかもしれない犯罪』だと思います」

エリート家庭で、ひきこもる息子、自死を選んだ娘

「父親に刺殺された熊沢英一郎さんの母は、涙ながらに夫・英昭被告の減刑を嘆願しています。そこに、息子を思いやる様子は微塵も感じられません。資産家で教育熱心だった母。有名中学に入学した息子はしかし、中2のころから母親を『愚母』と呼んで暴力をふるう。

一方、父に対してはこきおろすこともなく、むしろ、ゲームのなかでは強い父を真似るかのようにふるまっていました。『生まれつき貴族の私』といったゲーム内での発言からは、弱者を見下す価値観がみえる。父の地位や裕福な身分にすがりながら自分を保とうとする弱々しい男性像がそこにみえます。

家にひきこもり、親の期待に応えられず、エリートの父に『見下されている』と感じ、母からも見捨てられた彼は、女性や弱者を見下し、人を勝者と敗者に分かつ価値観を疑っていないようすを隠そうとしません。

そんな家庭で、もう一人の子ども、英一郎さんの妹は自殺しています。家庭の価値意識に問題の根元があることを、この夫婦はおそらく、未だ理解していません。子どもたちは不幸にも、この救い難く偏狭な価値空間で、この価値を維持する人々に消されたのです」

殺人罪で懲役6年の実刑判決を受けた熊沢英昭被告。昨年12月に異例の保釈が認められた。熊沢被告は、昨年6月に英一郎さん刺して殺した東京・練馬区の自宅で暮らしている

理想的な家庭の息子が、19人を殺めるまで

一方、犯罪の加害者である植松聖死刑囚は裁判のなかで、殺傷の事実を認めつつ、障がい者への差別的な言動を繰り返した。

「彼は、重度の障がいをもつ人を『生きる価値がない』と殺しました。自分よりも『生きる価値のない』人を線引きして殺すという態度は、彼自身に向けられた社会の、そして家族の目線とも重なります。

父は教員で、地域活動にも積極的、模範的な父親だったといいます。植松聖は父と同じ教師を目指していましたが、かなわず、両親との関係が壊れていきます。元漫画家だった母は、存在感がきわめて薄い。『父親は尊敬しているけど、母親は自分のいいなりで、大した存在じゃない』と思っていたそうです」

Facebookに自ら上げた写真で、刺青をみせる植松聖。事件当時は26歳だった。4年目の今年3月、死刑判決。刑は確定している。

事件の4~5年前、両親は、自宅にひとり息子をおいて転居する。ここにも、強い父と見下される母、そして、そんな両親に認められない息子がいた。

被害者、加害者の違いを越えて、ふたりの「息子」は同じ苦しみのなかを生きていた、ともいえる。

「経済的に不自由のない核家族、尊敬する父のもとで育った息子が成長とともに母親に暴力を振るい始め、その後、親が二人で子どもを見捨てるにいたったという、とてもよく似た家族の関係性があります。そして、息子の一人は父に殺され、もう一人は自分より弱い者たちを殺しました。どちらも、幼い頃から両親に放任されたということはなく、むしろ思春期まで手厚く育てられた。『父権の復活』を訴える方面からみれば理想の家族のような、ありふれた家庭です」

「親の育て方が、悪い」のでしょうか。

根底にある家族のなかの差別、女性軽視

「息子たちは父を尊敬していました。もし、この父親が、妻である母親を尊敬していたら、息子は母を見下したり、母に暴力をふるったりしたでしょうか。家庭という身近な社会のなかで差別があり、支配がありました。日本社会のなかで、家事や育児は労働としての価値を認められません。女性の立場が弱い社会では、異常な家族関係であっても、持続せざるを得ません。夫に依存する妻は、子どもを切り捨てるのです。

父親以外のよい大人に出会えなかった息子の不幸を感じます。そして、母親たちには、自らの尊厳をかけて息子に抗う一歩を踏み出してほしかった。結婚生活を通じて『おまえはなにもできない』などど思わされている妻はとても多い。精神的DVかもしれません。その辛さが弱者である幼い子どもに向かい『なぜこんなこともできないの』という叱咤、『こんな子を育ててしまった』という自虐に繋がります。

でも、母親は大人です。父親である夫と対峙してほしかった。父と母の価値観なんて、一致していなくていんです。夫に頼り切る人生でなければ、息子の側にたった判断もでき、悲惨な事件は起きなくて済んだかもしれない。そして、母自身もひとりの人間として生きられたと思うのです」

「立派な息子であろうと、ふがいない息子であろうと、ひとりのかけがえのない存在です。そのことをほんとうに理解すれば、障がい者の母がかわいそうと同情されたり、アスリートの母がえらいと賞賛されることもなくなるでしょう。今の日本の社会は、『母と息子』の関係を基盤に成り立っています。多くの人を、けっして幸せにしないこのシステムを変えることが、社会を変えることに繋がります。

コロナ禍で先送りにされていたさまざまな問題があからさまになり、社会も、家族の形も変化せざるを得ません。でもね、感染症に見舞われたあと、いつも人類の歴史は大きく動いているんです。今がそのときかもしれませんね」

悲惨な、凶悪な事件はけっして他人事ではない。われわれは、被害者にも加害者にもなりうる。社会全体が閉塞感に包まれる今、女性も男性も、身近な人との関係性を見直すときなのだろう。

 

品田知美:社会学者。早稲田大学総合人文科学研究センター招聘研究員。著書に『〈子育て法〉革命ー親の主体性を取り戻す』(中公新書)、8月に刊行した『「母と息子の」の日本論」(亜紀書房)では、母と息子の関係をものさしに、日本社会の今を大胆に分析している。

  • 撮影桐島瞬 蓮見真司

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