ジュディ・オングがいま明かす、李登輝元総統との思い出

「22歳まで日本人だった」と語る “ミスター・デモクラシー”が97歳で逝去

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

「最後に李さんにお会いしたのは’09年に台湾で行われた映画の試写会でした。約10年ぶりの再会でしたが、李さんは私を見つけるなり、『おお、ジュディ!』と声をかけてくださいました。彼を一言で表すならフランクな方。私にも、他国の大統領にも、子どもにも、誰にでも気さくに話しかけてくださる方なんですよ」

’97年、台湾で行われたジュディ・オングさんの木版画展にて。二人は中国語ではなく日本語で会話した

歌手で女優、木版画家のジュディ・オングさん(70)は、台湾の李登輝元総統(享年97)との思い出をそう振り返る。

“ミスター・デモクラシー”こと李元総統が多臓器不全などで亡くなった。日本統治下の台湾に生まれた李元総統は、住民による初の総統直接選挙を実施するなど、台湾の民主化に尽力した人物だ。

台湾と日本、二つのルーツを持つ者同士として、李元総統はジュディさんを特別気にかけていたという。

「’97年、台湾で開いた私の木版画展に李さんが来てくださったんです。それが私たちの出会いでした。15分ほどの滞在と聞いていたのですが、李さんは1時間近く、私の作品を見てくださいました」

「22歳まで日本人だった」と公言するなど、李元総統は大の日本好きでもある。

「李さんは私の木版画を見て、『ああ、これは京都の南禅寺だね!』と懐かしそうにおっしゃっていました。京都大学に通われていたから京都に思い入れがあるのでしょうね。お話しされる日本語も、古き良き時代のものでした。久しぶりにお会いすると、『どうしておった?』とおっしゃるのですが、そう言われると和の心を感じるんです。『ふるさと』など、日本の童謡も大好きでいらっしゃいました。

8月上旬、本誌のインタビューに答えるジュディ・オングさん。3歳のときに来日するまで、台湾で過ごしていた

台湾でお会いすると周りに中国や台湾の記者さんが多くいらっしゃるのですが、そんなときでも李さんは私と日本語でお話しになるんです。日本への郷愁の思いがあるから、少しでも日本語を喋りたかったのかもしれません。訃報をお聞きしたときはショックでしたが、明るい李さんのこと、きっと天国で『泣くなよ、ジュディ!』と笑ってくれているはずです」

台湾の偉大な政治家は、その人格でも人々を魅了してやまなかったのだ。

黒色のチャイナドレス姿で、7月30日に亡くなった李登輝元総統とのエピソードや思いを語ってくれた

『FRIDAY』2020年8月21・28日号より

  • 撮影結束武郎(ジュディさん取材分)

Photo Gallary3

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事