40歳で写真集 熊切あさ美の苦境を救った「大物芸能人の言葉」 | FRIDAYデジタル

40歳で写真集 熊切あさ美の苦境を救った「大物芸能人の言葉」

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ボクササイズで身体を鍛えているという熊切。40歳とは思えないスレンダーボディだ
ボクササイズで身体を鍛えているという熊切。40歳とは思えないスレンダーボディだ

「いつグラビアのお話が来ても対応できるように、ストイックに身体を鍛えていました。キックボクシングのジムに通ったり、筋力トレーニングをしてね。40歳で写真集を出せたのは、若い時の苦しい経験を糧にできたからだと思います」

16年ぶりに写真集(『Bare Self』双葉社)を発表した、タレントの熊切あさ美(40)が語る。現在では多くのバラエティ番組やドラマに出演する彼女だが、デビュー後しらばくは仕事がなくツラい時期を過ごしたという。熊切が振り返る波乱に満ちた半生。元「崖っぷちアイドル」が乗り越えた、苦悩の時代だーー。

ーー最新写真集ではパーフェクトボディを披露していますが、意外にも少女時代は貧弱だったそうですね。

「中学の時は、学校で一番細かったんじゃないかな。胸囲は61cmしかなくて、アダ名は『ペチャパイ子』(笑)。しっかり食べてはいたんですが、週に5回モダンバレエのレッスンを受けていたのでガリガリだったんです。ブラジャーをつけても、胸はスカスカでした。

胸が大きくなったのは、高校に入学してから。体育の授業で骨折してバレエができなくなり、10kgも太ったんですよ。その後、運動を再開すると余計な肉が落ち胸だけが残ったんです」

ーー高校時代は、広末涼子さんや榎本加奈子さんに憧れていたとか。

「広末さんのようになりたくて、オーディションを受けまくりました。48回もね。ただ落ちるたびに自信をなくし、『私なんか絶対に受からない』と思うようになりました。唯一合格したのが、『チェキッ娘』というアイドルユニットのオーディションです。98年に結成された、1年間の活動限定ユニットでした」

ーー99年に「チェキッ娘」が解散した後は?

「仕事がパタリと来なくなってしまって……。私はけっこう悩むタイプなので、家に引きこもりがちになりました。友人からの電話にも出ずにね。『今日何してるの?』と聞かれるのがイヤだったんです。『何もしていない』と答えるのは恥ずかしいじゃないですか。

まったく仕事がなかったワケではありませんよ。ただ『チェキッ娘』でブレイクしていた時は休日もなかったので、ヒマな時間が多いのが悔しかたんです」

キャバクラで磨いたトーク力

もともと下戸だったという。やしきたかじんらに酒席に呼んでもらい徐々に飲めるように。今は赤ワインや焼酎を愛する
もともと下戸だったという。やしきたかじんらに酒席に呼んでもらい徐々に飲めるように。今は赤ワインや焼酎を愛する

ーーキャバクラ嬢として働いことがあると聞きました。

「ある番組で、共演者の方が『客商売の経験があるコは強いな』と話していたんです。よし、私もトーク力をつけようと一念発起。訓練の場として思いついたのが、キャバクラでした。でも公然と副業するのはマズイ。そこで地方に行けばバレないだろうという安直な考えから、仙台で1ヵ月間働きました。事務所にバレて東京に呼び戻されましたけど……」

ーー実際にトーク力はつきましたか。

「う~ん、どうかなぁ。ただ普段会えないような様々な職業の方とお話ができて、スゴく楽しかったです。人生勉強にはなりました」

ーーその後、生活は楽になりました?

「いや~、相変わらずの自転車操業で相当苦しかったですね。毎日が節約です。人前ではしっかりメイクをしたいけど、化粧品て高いじゃないですか。だからテレビ番組に出演する時、楽屋でメイクさんからファンデーションをいただいていました。お茶やスナック菓子までね。

スタッフの方が私の生活苦を知っていて、『あさ美ちゃん、持って行きなよ』と言ってくれるんです。トイレットペーパーを持ち帰った時は、さすがに怒られましたが……」

ーー転機のキッカケとなったのが、02年に放送された『踊る!さんま御殿!!』ですね。

「はい。番組では出演者が肩書つきで紹介されるんです。私はタレントと言えるほどテレビに出ていませんし、グラビアもやっていなくて……。そこで『崖っぷちアイドル』と自分で言ったんです。これに(明石家)さんまさんが面白がってくれた。芸能界に残るために、どんな仕事でもやりますと訴えました」

ーー「崖っぷちアイドル」。キャッチーな肩書は視聴者にも大きなインパクトを与えました。

「ただ、その言葉に引きづられてしまったんです。何でもやろうと、受けた仕事は断らない。バンジージャンプにスカイダイビング、クワガタに鼻を挟まれる経験もしました。でも、かなりムリをしていたのでしょう。精神的に、どんどん追い込まれていって……」

泣きながらかけた島田紳助への電話

「芸能界で生き残るため」と一時期様々な資格を取得した。プロ雀士でもある。好きな野球チームは阪神と楽天
「芸能界で生き残るため」と一時期様々な資格を取得した。プロ雀士でもある。好きな野球チームは阪神と楽天

ーーどうやってストレスを発散したんですか。

「芸能界に友達が少なかったから、相談する相手もいません。ある時『もう芸能界はイヤだ!』と爆発してしまいました。気がつくと、番組で共演し携帯番号を知っている数少ない芸能人の一人、島田紳助さんに電話していたんです。ワンワン泣きながらね。

『この先どうしたらいいですか』と聞くと、紳助さんはこう答えました。『とりあえず来年の春まで、1年間がんばってみい。今の状態で辞めても後悔するだけや。辞めるならやり切ってからにしろ』と。紳助さんの言葉に救われ、踏みとどまることができました」

ーー大物に助けられたんですね。

「先輩方のおかげです。関西の番組でご一緒したやしきたかじんさんからは、こんなアドバイスをもらいました。『とにかく喋れ。スベってもいいから。オレが拾ってやるから』と。

私にはマネージャーがつかず、一人で仕事をしていた時期が5~6年あります。年下のタレントから無視されて、キズついたこともある。だから挨拶はキチンとしようと心がけていました。そうした態度が、先輩方に受け入れていただいたのかもしれません。志村けんさん、大平サブローさんらにも本当に可愛がってもらいました。彼氏との問題を番組で告白した時、ある有名司会者に『私がいる限り守ってあげる』と言われ、本番中に泣き出してしまったこともあります」

ーー礼儀正しさのおかげで、諸先輩に気に入られ出演番組が増加したんですね。

「紳助さんの『行列ができる法律相談所』や『志村けんの南国美女探し』など、人気番組に出させていただけるようになりました。本当にありがたいことだと、しみじみ思います……。

今の自分があるのは、若い頃のツラい経験と先輩方の温かい言葉のおかげです。40歳になっても写真集のお仕事がもらえるとは、20代の時は思ってもいませんでした。『崖っぷちアイドル』でも乗り越えられたんですから、諦めずにがんばっていれば大丈夫。私の半生が、少しでも読者の方の励みになれば嬉しいです」

40歳にして再ブレイク中の熊切。現在でもジムに通い身体を鍛え続け、次回写真集にも意欲的だ。

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熊切あさ美(くまきり・あさみ) 80年6月、東京都生まれ。98年に芸能界デビュー。プロ雀士やスポーツカイトの資格を持つ。最新写真集『Bare Self』、DVD『再恋』発売中。テレビ東京系『じっくり聞いタロウ』レギュラー。身長161cm。3サイズはB80cm、W60cm、H83cm。寺巡りや山登りにも凝っている。

特技はフラフープ。最近はゴルフにも凝っている
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大の犬好き。公式ブログにはたびたび愛犬の様子がつづられる
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  • 撮影西崎進也

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