来年の甲子園をアツくする「怪物2年生」13人に今から注目!
ノンフィクションライター:柳川悠二
松浦慶斗投手 大阪桐蔭(大阪)
春の選抜出場校に対する救済を目的とした無観客試合で、「負けたら終わり」の緊張感はない。しかし、舞台が甲子園ともなれば、黒土のグラウンドに広がる光景はいつもと変わらぬ熱い夏だ。
16試合が行われた『甲子園高校野球交流試合』のベストゲームは、大阪桐蔭vs.東海大相模という東西の横綱ががっぷり四つのシーソーゲームを演じた一戦だろう。この試合、両軍ともに光ったのは高校野球の次世代を担う2年生だった。
大阪桐蔭のリードオフマン、中堅を守る池田陵真(りょうま)は初回に左翼フェンス直撃の二塁打を放ち、4打席で3度の出塁と役割を果たした。172㎝と小柄ながら、肉厚の身体で左右に大きな当たりを飛ばす。’18年の「U-15侍ジャパン」では主将も務めた。交流試合後、新チームについてこう語った。
「中学時代にも甲子園で試合をしていますけど、自分の良いプレーを引き出してくれる場所だと思いました。この経験を次の代に受け継ぐためにも、自分が中心になって、チームを引っ張っていきたい」
8回にマウンドに上がり、試合を締めくくった大型左腕・松浦慶斗(けいと)も2年生だ。福岡ソフトバンクのピッチャー・古谷(ふるや)優人の従兄弟にあたる。松浦の現在の球速はMAX150キロ。186㎝の体つきからして、同校の先輩である辻内崇伸(元巨人)が甲子園で記録した152キロ超えもあるかもしれない。スライダーやチェンジアップのように落ちるツーシームも武器だ。彼は筆者にこう話している。
「自分たちは春夏連覇を達成した最強世代(現・中日の根尾昂(あきら)や現・千葉ロッテの藤原恭大(きょうた)らがいた’18年)を直接は見ることができませんでしたが、選手層は自分たちの代と似ていると思います。『金の卵』のような選手ばかりなので、最強世代以上の結果は出していきたい」
春夏連覇が最低ラインということか。
ほかにも大阪桐蔭には中学硬式野球の日本代表歴を持つ者がズラリ。だが、大きな期待を抱かせるのは軟式出身の関戸康介だ。交流試合では出番がなかったが、大阪独自大会で自己最速を154キロに更新したばかり。松浦と共にWエースともなれば、確かに根尾と柿木蓮(現・北海道日本ハム)が両輪となった’18年とダブる。
東海大相模は、先発した石田隼都(はやと)が2年生。美しく、それでいて豪快なフォームで相手打者を翻弄(ほんろう)する。普段は声がか細く大人しい印象ながら、マウンド上では咆哮(ほうこう)を繰り返す。交流試合では池田のピッチャー強襲の当たりを利き手である左手でつかんで、首脳陣をヒヤリとさせた。心配して駆け寄ろうとした門馬敬治監督を一瞬、無視する素振りで続投を訴え、7回を2失点で投げ切った。
石田は細身に見えるが、これでも新型コロナによる活動自粛期間中に10キロの増量に成功したとか。それが7回までボールの威力が落ちなかった要因だと、試合後に打ち明けた。
「三食の間に間食を入れて、お腹が空いている状況を作らないよう意図的に食べるようにしていました。良いピッチングができたといっても、負けてしまえば悔しさでいっぱいです」
全国各地に「スーパー2年生」がいる
大阪桐蔭にも見劣りしないタレント軍団が東北に存在する。宮城の仙台育英だ。もともと同校の系列である秀光中学の軟式野球部を指揮していた須江航(わたる)監督は、’18年1月の就任以来、県内無敗。’18年8月の甲子園で敗れると、お立ち台で甲子園制覇への「1000日計画」を宣言した。その根拠とするのが、秀光中時代の教え子で、中学時代に軟式ながらすでに140キロを記録していた笹倉世凪(せな)の存在だ。須江監督は昨春からこう言って憚(はばか)らなかった。
「岩手出身の笹倉は、同県が生んだ菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)、そして佐々木朗希(ろうき)(千葉ロッテ)に続く怪物になり得る能力の持ち主です」
さらに昨秋以降、力を伸ばしてきた吉野蓮も春の選抜ではスターティングメンバー入り予定だった。投げては150キロに迫る剛速球、打者としても一発の魅力があり、須江監督にとっての隠し球だ。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、春も夏も甲子園は中止となり、不遇をかこつ今年の高校3年生世代を「不作」と評するスカウトもいる。しかし、来年に最上級生となる’03年世代は、中学時代から名を轟(とどろ)かせた球児が全国に点在し、「大豊作」を予感させる。
投手では天理の達(たつ)孝太に大物感が漂う。193㎝の高さから投げ下ろす直球が魅力だが、昨秋は130キロ台中盤の球速しか出なかった。ところが、聖地デビューとなった交流試合では143キロをマーク。身長だけでなく球速も規格外の成長曲線を描く。また、達はかつて「高卒即メジャー」を公言していたが――。
「大学も社会人もいろんな野球がある。高卒でアメリカに行くことは今は考えていません」
とトーンダウン。高校1年生(当時)の大言には関係者からお咎(とが)めがあったのかもしれない……。
広島新庄の秋山恭平は、「U-15侍ジャパン」で大阪桐蔭の池田とチームメイトだった。170㎝と小柄ながら、全身を使ったフォームで、投げっぷりが高校時代の松井裕樹(東北楽天)を彷彿(ほうふつ)とさせる。
「小さくても、球が速くなくても、ボールのキレで勝負できると思っています」
愛工大名電の田村俊介は、高知の明徳義塾中学時代に大阪桐蔭の関戸と二枚看板を形成した左腕だ。高知中時代に150キロをマークし、高知高校に進んだ森木大智とともに、いまだ甲子園のマウンドを踏んでおらず、ベールに包まれたまま。関戸、田村、森木という高知が育んだ三羽ガラスや仙台育英の笹倉は、2年前に中学軟式野球の覇を争った仲で、今も交流が続く。誰もが口を揃えるのは、「もう一度、甲子園で戦いたい」である。
打者では智弁和歌山の徳丸天晴(てんせい)が、1年夏から名門の4番を任され、まさしく“あっぱれ”な打撃で高校野球ファンを唸(うな)らせている。今夏の交流試合でも2安打を放った。香川の尽誠学園を相手に試合には敗れたものの、試合後は密かにライバル心を抱く球児の存在を明かした。
「ナラチ(奈良の智弁学園)で、同じように1年夏から4番を打つ前川右京は意識しています。スケールの大きな打者になりたいですが、僕はまだまだです」
兄弟校で境遇の似た二人のスラッガーは、智弁学園を卒業して球界を代表する主砲となった巨人・岡本和真のような存在にもなり得る逸材だろう。
そして、忘れてはならないのは早稲田実業の清宮福太郎だ。晩秋の東京大会を辞退した同校で4番に座る清宮は、左打者で一塁を守った兄とは違い、右打者で守備位置は右翼。今夏の西東京独自大会・八王子学園八王子戦で放った一発は、兄に見劣りしないパンチ力だった。
来春、そして来夏の甲子園が平常を取り戻すことができれば、必ずや聖地で光を放つ怪物が全国にいる。彼らの姿を見逃さないためにも、今はひたすら新型コロナの蔓延が止まることを祈るしかない。