『エール』天才・裕一の陰で弟・浩二が抱える“普通の子”の闇 | FRIDAYデジタル

『エール』天才・裕一の陰で弟・浩二が抱える“普通の子”の闇

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来月中旬の本放送再開に向け、再放送が続く朝ドラ『エール』。8月28日(金)放送の第53回「家族のうた」では、久し振りに帰郷した裕一(窪田正孝)に相変わらず冷たい態度をとる弟・浩二(佐久本宝)の姿が描かれた。

主人公の古山裕一を好演する窪田正孝 写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ
主人公の古山裕一を好演する窪田正孝 写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

親の財力のおかげで、幼少期に恵まれた音楽環境を与えられ、才能を開花させた裕一。しかし弟の浩二は、天才ともてはやされ、両親には甘やかされる兄に激しい嫉妬心を抱いており、そのため兄だけでなく両親にもきつく当たることがあった。父・三郎(唐沢寿明)の死直前まで、兄への怒りを抱えていた浩二。なぜ彼の心は歪んでしまったのか。“普通”だったが故に彼が抱えていた「心の闇」を考察してみよう。(以下、ネタバレあり)

目に見える、親の愛情の差への怒り

「甘いよ、2人は兄貴に甘すぎる!」

商業高校に入学したのに、ハーモニカ部の活動に熱中するあまり落第する兄。そんな兄を叱るどころか、庇うような言動をする父と母(菊池桃子)に対して浩二が声を荒げたのは、彼自身が高校受験を控えていた第11話の出来事だった。

店の経営が厳しくても蓄音機を売らないのは、自分の誕生祝いの品だからではなく、兄のためだと強烈な皮肉を口にしたのも、無理はない。浩二は幼いころから、裕一にだけ“特別な”物を次々と買い与える父の姿を、見てきたからだ。

『作曲入門』の本や五線譜ノート、西洋音楽のレコードに「セノオ楽譜」。音楽に関する高価な贈り物をもらうたびに兄は大袈裟なほどに喜び、父はその様子に目を細める。兄にしかあげない物、兄にしか見せない顔……あまりにも露骨な“愛情の差”に浩二は嫉妬し、すぐに怒りを覚える。

兄のようにかわいがられないのは、自分が兄のような才能を持たない“普通の子”だからだ。父に認められるためには、兄ができないこと=喜多一を継いで、経営を立て直すしかない。だからこそ、第12話で父から後継者を託された時の浩二の喜びは大きかった。

さらに、うまい儲け話に騙され多額の借金を背負った父が、伯父・茂兵衛から金を借りたことで、裕一を養子に出ることになる。これでやっと、両親の愛情を独り占めできる……川俣に旅立つ兄に別れを言う浩二の顔には、暗い喜びが浮かんでいた。

ところが、伯父のおかげでなんとか店を潰さずにすんだ父は、喜びよりも悲しみでいっぱい。あからさまに落ち込む父を見て、「僕が行ってたら、たぶんあそこまでなってないだろうな」と、再び浩二の怒りがぶり返してしまう。それでも浩二は、父の期待に応えようと、新しい商売をいくつも考えた。ところが父は一切耳を貸さず、「まずは呉服屋の仕事を覚えてからだ」と繰り返すだけで、話にならない。

そんな折、兄が国際コンクールで入賞し、音楽留学を望んでいることを知り、浩二の怒りは頂点に達する。

「留学したら、喜多一潰れるよ。家族ぐちゃぐちゃだよ、あいつわかってんのか?」

店の存続を第一に考えるあまり、兄自身の幸せには目を背ける浩二。その心の内には、自分は幼いころからずっと、兄のために我慢してきたという“不公平感”があるからだろう。加えて、最終的に周囲が裕一のしたいようにさせる状況になるのも、納得がいかなかった。周囲を顧みず自分のしたいことだけを主張し、罪悪感を感じている様子もない裕一に、浩二の苛立ちはさらに募る。

良くも悪くも言動に裏表や打算のない裕一は、浩二にとっては強烈な光だった。父に認められたいから勉強する、父に褒められたいから新事業を考える。そんな風に、ある種の“打算”を持って行動する後ろ暗い思いは、裕一の放つ光を受けてますます濃くなっていく。

「もっと自分を見て欲しい」という切ない願い

父・三郎は元より、「どうしたらいいのかわからない」という母・まさも、本音では裕一を留学させたいと思っていた。ところが、第24話でイギリス留学と同時に音(二階堂ふみ)との結婚話が出てくると、まさは「今度ばかりは、私も浩二に賛成!」と態度を変える。三郎・裕一 vs まさ・浩二で、険悪な雰囲気に包まれる古山家。

なによりも浩二を苛立たせたのは、養子話のけじめや結婚の了承など面倒なことはすべて父任せで、家族の話し合いをも放棄して音の元へ行ってしまう、兄の不遜な態度だった。あまりにも家族を蔑ろにする兄に対し、とうとう浩二は「周りの愛を当たり前だと思うなよ! もっと感謝しろよ!」と悔し涙で訴え、「気付いてよ! もっと俺に関心持ってよ!」と両親に積年の恨みをぶつけた。

もっと自分に関心を持って欲しいという欲求は、今も変わらぬ子どもの心の叫びでもある。下の子が生まれると、母親を取られたように感じて赤ちゃん返りをする上の子がいるように、子どもはいつだって“親の一番の愛”を求めている。親としては、兄弟で愛情の差をつけるなんてことはしていないと思っているが、親が思う以上に子どもは敏感。

さらに愛情の満足度は、人によってかなり違いがある。例えば裕一の場合は、音楽さえ好きにやらせてもらえれば、優しい言葉をかけられなくとも、それなりに満足だったと思う。対して浩二は、兄のようにかわいがられたい、自分も「自慢の息子だ」と褒めて欲しいと思っていた。皮肉なことに、その欲求を満たそうと行動すればするほど、父の態度は厳しく、固くなっていく。

三郎は、人並みになんでもできる浩二に甘えていたのだ。浩二は、学校の勉強が普通にできるし、周囲の状況に合わせることもできる。だから何も言わなくても、親の気持ちをわかってくれるだろう。そんな親の“甘え”が子どもにわかるはずもなく、浩二はずっと父に対して「愛して、認めて欲しい。でもそれが叶わないから怒りがわく」という複雑な気持ちを、裕一に対しては、自分から両親の愛を奪った憎しみと世間をも認めさせた天賦の才への嫉妬を抱えていたのだ。

気持ちのすれ違いを乗り越え、父と兄と和解

第55話で、浩二は、農業推進の仕事で訪れた農家の主人・畠山に、「父や兄、そして世の中を見返してやりたかった」という積年の思いを打ち明ける。喜多一の経営が危なくなり、兄が養子に行ってしまったことでギクシャクした自分の家と同様、経営難で離散していく養蚕農家をなんとかしたいという思いから、りんご栽培を提案したのだ。

浩二の告白に胸を打たれた畠山は、浩二が作った資料を褒め、転換に前向きな返事をする。畠山に認められた瞬間、長年の憑き物が落ちたように、浩二の顔に晴れやかな笑顔が広がった。

三郎は死の間際になってようやく、言葉で浩二に自分の思いを伝えた。店を継いでくれたときに感動したこと。音楽の才能しかない裕一とは音楽があったから話ができたが、浩二とはなんでも好きに言い合える関係だったこと。自分が死んだら浩二が家長で、家も土地もすべて引き継いで欲しいこと。初めて父の心を知った浩二は、素直に「もっと長生きしてくれ」とすがる。

「おめえらのおがげで、いい人生だった。ありがとな」と言い残す父の病床に、静かに流れる裕一のハーモニカの音。その時間は浩二にとって最初で最後の、“父を独り占めした瞬間”だった。そして、その時間を作ってくれた兄とも、和解することができたのである。

裕一の才能を伸ばした“見守り型子育て法”が、実は浩二にとってはうまくはまらなかったというのは、親の立場から考えるとなんとも悩ましい。昔から「手のかかる子ほどかわいい」と言われるが、手をかけた=親としての責任をきちんと果たしたと都合よく変換してはいまいかと、思わず我が身を振り返った人もいたかもしれない。もちろん、突出した才能は認めるべきだが、何事も“普通”にできることだってまた、認めるべきところではないだろうか。

限られた出番ながらも、浩二の怒りと細やかな心の変化を見事に演じたのは、俳優・佐久本宝。出身地である沖縄県うるま市で出演した舞台で、映画監督の李相日さんの目に止まったのがきっかけとなり、1000名を越えるオーディション参加者の中から、同監督の映画『怒り』で重要な役に抜擢されたという。『怒り』での演技が評価され、第40回日本アカデミー新人俳優賞を受賞、『エール』で朝ドラ初出演を飾った。

浩二役の好演も評判が良く、今後の活躍に注目が集まりそうだ。

“普通”の子の苦しみ

家でも学校でも、“普通”の評価はかなり低い。裕一のようになにか1点優れたものを持っていると注目されるが、なんでも平均的にできる子にはなかなかスポットが当たらない。ひょっとしたら、本人なりのがんばりで“普通”にできているかもしれないのに、その努力は往々にして「0」と評価されてしまうからだ。

何も言わなくてもできる子に甘えるのは、親だけでなく教師もたびたび見られる。手のかかる児童のケアに気を取られて、“普通”にできる子のフォローが十分行き届かないことや、発達上のケアを要する子の世話をほかの児童の良心に委ねた結果、世話を任された児童がすり減ってしまうこともそうだ。それは子どもたちにとっても不幸だし、自分の“甘え”にいつ間でも気づけずにいる大人にとっても不幸ではないだろうか。

『エール』で描かれた浩二の悩み、苦しんだ半生を観て、改めて “普通”にがんばっているのもすごいことだと感じた。浩二を認めた畠山さんのように、傑出した“何者か”になれなくとも、その人なりにがんばっていれば、認めてくれる人がいる。そんな風に誰かを認め、褒めてあげられる大人の存在こそが、子どもたちの健やかな成長に必要なことなのかもしれない。

  • 取材・文中村美奈子写真Rodrigo Reyes Marin/アフロ

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