写真集は3冊 塩地美澄「女子アナの私がグラビアに挑戦する理由」 | FRIDAYデジタル

写真集は3冊 塩地美澄「女子アナの私がグラビアに挑戦する理由」

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秋田朝日放送の局アナだった塩地。現在もフリーとして活躍している
秋田朝日放送の局アナだった塩地。現在もフリーとして活躍している

「撮影の時に見えてしまっても気にしません。プロなんだから、恥ずかしがってどうする。そんな心境で毎回グラビアに臨んでいます」

塩地美澄(38)は秋田朝日放送出身の女子アナだが、グラビアへの情熱は強い。今年7月には、3冊目の写真集となる『Relieved』(光文社)を発売。自身も打ち合わせに参加し、見せたい自分や衣装などについてスタッフと意見を交わした。清楚なイメージのある女子アナと肌を露出するグラビアタレントは、対極にあるように感じる。なぜ塩地は、グラビアの世界に飛び込んだのだろう。挫折と挑戦の半生を、彼女自身が振り返るーー。

ーー小学生の時は、ご自身の体型にコンプレックスを持っていたとか。

「私、発育が早かったんです。小学4年生ぐらいから、胸がとても大きくなって……。病気かと思い、病院で診てもらったこともあります。恥ずかしくて、胸を隠すためにいつも猫背でした」

ーー女子アナを目指すキッカケは、中学時代にあったんですね。

「はい。教科書を朗読すると、先生から『声がキレイだね』と褒められるようになったんです。しかも一人ではなく、何人もの先生や友達から。高校に入学して最初の面談でも、担任の先生から『オマエはアナウンサーに向いている』と言われました。歌手に憧れアクターズスクールに通い、発声練習をしていたのが良かったのかもしれません。人前で話すのも好きでしたから。『自分はアナウンサー向き』という意識が、刷り込まれていきました」

ーー高校から大学へ進学する際には、挫折も味わったとか。

「高校は札幌北という、北海道で随一の進学校でした(塩地は札幌市出身)。私も中学時代は成績がよく、がんばれば東大や北海道大に入れると考えていたんです。でもアクターズスクールに通っていたこともあり、成績は下降の一途。志望校に落ち、大学1年生の時は挫折感から悶々としていました。合コンや飲み会にも行かず、学校と自宅を往復するだけの毎日です。気分が落ち込み、頭に10円ハゲができました」

毎日泣いてばかり

秋田朝日放送時代は撮影、取材、編集とすべて一人でこなした。当時の画像(本人提供)
秋田朝日放送時代は撮影、取材、編集とすべて一人でこなした。当時の画像(本人提供)

ーーそこで一念発起した?

「将来どうしようと考えていた時に、中学時代から言われていたことを思い出したんです。そうだ、アナウンサーになろうと。そこで週2回アナウンススクールに通い、夏休みはテレビ朝日アスクというアナウンススクールに通うため上京しました。

発声練習、面接や筆記試験対策と、自分なりにがんばったつもりです。でも……。大学3年の就職シーズンではキー局、地方局と軒並み落ちてしまって……。『やっぱりアナウンサーはハードルが高いな』と諦め、内定をいただいていた一般企業に入社しようと決めました」

ーーそれでも女子アナへの夢を捨てられなかった?

「アナウンススクール(テレビ朝日アスク)の当時の校長が、心配して『どうなった?』と連絡をくれたんです。私が『一般企業に進むことになりました』と報告すると、『君みたいな女性がもったいない』と言ってくださった。さらに『秋田朝日放送がまだアナウンサーを募集しているから』と紹介してくれて、採用試験を受けることができたんです」

ーー念願の女子アナになってどうでしたか。

「毎日、泣いてばかりいました。地方局の女子アナは、1年目からなんでもやらなければならないんです。一人で車を運転し三脚を立て撮影、取材。局に戻って夜中まで編集作業……。目の回る忙しさで、夜中12時前に帰ったことなどありません。納得した映像が撮れず、自分の不甲斐なさに毎晩泣きじゃくっていたんです」

ーー軌道に乗り出したのは、いつ頃からですか。

「入社2年目になり『サタナビっ!』という、情報番組の司会をやらせてもらってからですね。秋田では視聴率20%近くある人気番組です。県内では、ちょっとした有名人になり充実していました。ライバル放送局が、『サタナビっ!』と同じ土曜朝の時間帯の番組を撤退させたことがあります。上司から、その局の重役がこう言っていたと聞かされました。『「サタナビっ!」にではなく塩地美澄に負けた』と。嬉しかったです。初めて自分を認めてもらった気がしました」

「グラビア? もっての他」

白ワインが大好き。局アナ時代は多忙で飲み会に行くことはなかったがフリーになり会食の機会が増えたとか
白ワインが大好き。局アナ時代は多忙で飲み会に行くことはなかったがフリーになり会食の機会が増えたとか

ーーどうしてフリーに?

「入社5〜6年目ぐらいだったかな。父が病気で、余命半年ほどだとわかったんです。それまでは忙しく、実家には1年に1度しか帰っていませんでした。多忙で家族のことを考えたことがなかったのに、父の病気を知り急に立ち止まってしまった。看病する時間はあるのか、自分は将来家族を持てるのかと考えるうちに、どんどんモチベーションが下がってしまって……。燃え尽き症候群になり、退社させてもらいました」

ーーそこからグラビアの世界に転身したんですか。

「いえいえ。秋田朝日放送では、フリーの立場でも週イチで報道バラエティ番組を担当させてもらっていました。そんな時にグラビアのオファーをいただいたんです。番組のプロデューサーに相談すると『報道に携わりながらもっての他』とNGが出た。その後も何度かグラビアのお話をもらいましたが、お断りしていたんです」

ーーご自身はグラビアに興味はなかった?

「ありました。ただ当時すでに30歳を超えていた。チャレンジするなら、年齢的に最後のチャンスなんじゃないかと感じていました。親しい方に相談すると『東京で仕事をしてみたら』と、背中を後押しされた。若くはないんだから、のんびりしている余裕はない。スグに結果を出すには、新しいことに挑戦しなければ。

だったら、グラビアをやってみようと思ったんです。最初は『FLASH』や『週刊プレイボーイ』で水着にならないグラビアに臨み、写真集を出す時には覚悟を決めた。その時には、報道番組や出演していた秋田県の広報番組を降りていました」

ーー不安はなかったですか。

「撮影前は緊張しましたね。始まると不安はフッ切れました。最初の撮影場所がグアムで、開放的な雰囲気だったのも影響したのでしょう。幼い頃から大きな胸にコンプレックスがあり猫背でしたが、初めて堂々と背筋を伸ばせました」

ーーグラビアの魅力はなんですか。

「素の自分を表現できることです。アナウンサーは報道や番組というフィルターを通じて、視聴者に情報を提供します。グラビアにはフィルターはありません。私自身を見せられる。女子アナの副業のような、中途半端な気持ちで仕事をしたくありません。撮影中に見えてしまっても気にしない。先輩タレントに習い、プロとして最高のグラビアができるよう勉強中です」

塩地は自宅で鏡に向かい、どうすれば美しく見えるかポージングを常に研究。有酸素運動や整体で体型維持にも気を遣っている。最後に今後の目標を聞くと、「地方局アナからグラビアに挑戦する第一人者になること」と笑った。

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塩地美澄(しおち・みすみ) 82年、北海道生まれ。小樽商科大学卒業後に秋田朝日放送へ入社。14年からフリーに。趣味はスポーツ観戦、ピアノ。身長165cm。B89cm、W63cm、H88cm。3冊目となる写真集『Relieved』(光文社)発売中。9月20日には最新DVD発行予定。

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