体重15キロ減…川﨑宗則「球界の元気印」を襲った自律神経失調症
「ドン底から僕を救ったキャッチボール」
「来年40歳になるんだけど、まさかこんなに楽しいとは思ってなかった。『身体が動かなくなって、野球を辞めているだろうな』と予想してたけど、実際は父親として我が子と向き合いながら、野球を楽しめている。テレビで解説をしながら、選手としてプレーしている。昔は解説なんてとんでもなかった。100%野球に集中しないといいプレーができないと思い込んで、メディアと距離を取っていたから」
8月下旬、川﨑宗則(39)は都内で野球少年向けの動画を撮影していた。イチローに憧れて右打ちから左打ちに変えたこと。メジャー1年目の開幕戦、緊張しすぎてベンチで嘔吐(おうと)しそうになったこと。「緊張してるか? 俺もや!」と声をかけてくれたイチローがその日、4本もヒットを打ったこと――身振り手振りを交えて話す川﨑は心底、楽しそうだった。
この直前、ルートインBCリーグの『栃木ゴールデンブレーブス』の練習に参加することが発表されたが、「つい先日、突発的に決めた」と笑う。
「上京するタイミングでお誘いいただいたんで『じゃあ、行きます!』って(笑)。ブランクはありますけど、走れているんで問題ないと思います。実はこのコロナ禍で〝夜ラン〟にハマりまして――自宅近くのトラックのある公園でまずは100mを5本走る。心拍数を上げてからスティールの練習をして、ベースランニングをする。これを毎晩やってます。
楽天の涌井(秀章・34)くんは真夏でも練習メニューから全力ダッシュを外さない。『走ることが僕のトレーニング』と言ってますけど、すごくよくわかります。走ると、いろいろ整うんですよ。動体視力も鍛えられるし、体力もつく。昨年、台湾リーグの『味全(ウェイチュアン)ドラゴンズ』でプレーしたときも、ブランクはあったけど、すぐに実戦感覚は取り戻せた。大事なのは試合が始まって3時間、4時間経っても走れる体力があるかどうか、なんだよね」
甘いマスクに明るいキャラ、メジャーや台湾でプレーした実績を買ってオフには国内外の球団からオファーが殺到した。川﨑が栃木を選んだのには、タイミング以外にも理由があった。
「去年、栃木でプレーした西岡剛(つよし)(36)が背中を押してくれたんです。’06年のWBC以来の二遊間結成、あるかもしれませんよ!?(笑) いまだに僕は剛との二遊間が最強だと思ってますんで。『剛、復活させるぞ!』『やりましょうよ、ムネさん』て、いつも話してますから。世間的には『川﨑はマジメで西岡はヤンチャ』というイメージだと思うんですけど、実は逆。僕のほうがチャランポランで剛は超マジメです。
剛のお父さんは熱血で厳しくて星一徹と飛雄馬みたいな感じ。野球に真っ直ぐ向き合っている。彼のそういうところに惹(ひ)かれるし、一緒にいて楽しい。年は僕がちょっと上ですけど、親友です。親友でブラザー。〝夜ラン〟にも誘う予定ですが、アイツは絶対に来ますよ。むしろ、僕がサボろうとしたら『ムネさん、夜ラン行きますよ!』って引っ張ってくれると思う」
川﨑は5年間、メジャーでプレーした後、’17年にソフトバンクに復帰。しかし、自律神経失調症で思うようにプレーができず、’18年春に退団。そんな彼をグランドに引っ張り出したのも西岡だった。
「’18年オフ、剛は阪神を戦力外になってトライアウトを受けることになったんですけど、その直前に福岡に来たんですよ。戦力外になって自分も大変だったろうに、僕の病気のことを気にかけてくれて、たくさん連絡をくれた。その彼が『ムネさん、練習を手伝って』と言う。いま、僕は80㎏あるんですけど、当時の体重は66~67㎏ぐらい。ガリガリに痩(や)せて、筋肉も落ちていたから『無理だよ』って断ったんです。
だけど、『来るだけ来てよ』と聞かないから、『わざわざ福岡まで来るんなら、ちょっと手伝うか』って、キャッチボールをして、ノックをした。案の定、全然動けなかったんですけど、なんか……楽しかったんだよね。結局、これがキッカケで『もっと手伝えるようになろう』と練習を再開した。そしたら、イチローさんから連絡があって、年明けに神戸で練習することになって……本当に『剛、ありがとう』です」
’14年に最多安打のタイトルを獲った中村晃(30・ソフトバンク)、’18年の最多勝投手の多和田真三郎(27・西武)も自律神経失調症に苦しんだ。「野球どころじゃなかった」と川﨑が振り返る。
「僕が自分の異変に気づいたのは’17年の4月ごろ。眠れなくて、頭痛が酷(ひど)い。味覚もない。食べたそばから吐いてしまう。水も飲めないから脱水症状を起こして、身体のあちこちがつる。全身が痛い。脚をバツンと切られる悪夢を何度も見る」
病気は「置いときゃいい」
自律神経失調症だと判明して入院したのは秋になってからだった。電話をすると頭が割れるように痛むので、ベッドから携帯を遠ざけた。「生きることで精一杯」だった。医師によれば脳がオーバーヒートしているのが原因。薬と「マインドフルネス」という脳を休めるトレーニングが有効だという。
「誰もなりたくて病気になるわけじゃない。だから、治そうとしちゃいけない。むしろ付き合っていく。そのまま置いときゃいいんです。これから日本も選手のメンタルケアが大事になってくる。シカゴ・カブスなんて、チームにメンタルトレーナーが5~6人いますから。僕の大好きなジョー・マドン監督(現エンゼルス監督)はメンタルトレーナーと話をしてからミーティングに臨む。監督の機嫌がよければ、選手は気持ちよくプレーできる。環境を整備しているわけです」
2億円超の高年俸を捨ててまで挑戦したメジャーリーグは学びに満ちていた。たとえばロッカーのイスひとつとっても、後ろに倒して昼寝ができるほど快適。選手が快適にプレーできるような環境作りの技術も世界最高峰だったのだ。
「カブスにいたときかな、クラブハウスで『さすがにここで寿司は食べられないよね?』って聞いたら、『カワ、ここをどこだと思ってるんだい?』って出てきた。世界中の料理や酒が揃っているから、試合後に飲みに出る必要もない。すべて球場で済ませられる。夜中にご飯を作らなくていいから、奥さんもラクだよね」
目を閉じると、いまも思い出す光景がある。ブルージェイズのマイナー時代、試合後にホテルの部屋でベネズエラ人やメキシコ人のチームメイトらと談笑していると、川﨑の携帯が鳴った。
「監督からで『カワ、コールアップ(昇格)だ』って言うわけ。皆に『ビッグ・リーグ!』『コングラッチュレーション!』と祝福されて翌朝、オンボロのホテルを出ると、リムジンがバーンと待ってる。荷物はスーツ姿の紳士が運んでくれて、車内には冷えたシャンパン。『飲んだろかな、でもスタメンかもしれんから匂いだけ』なんてやってるうちに空港に着く。
もちろんビジネスクラスで最前列のシート。で、到着先の空港でまたリムジンが待っていて球場に直行。監督と『カワ、スタメンだ』『OK、ありがとう!』なんて会話をして……天国だったな、あれは。監督やコーチ業に興味はないけど、選手がリフレッシュできる環境作りはやってみたい。動物と触れ合って癒やされるイベントを企画したり、ロッカーの隣にバー『チェスト』をオープンさせたり。ガールズバーにしちゃおうかな?(笑)」
求めているのは常に「新しいもの」。周囲の反対を押し切ってメジャーに挑戦したのも、台湾に飛んだのもそのためだ。挫折や苦労も糧(かて)として、川﨑の冒険はまだまだ続く。
『FRIDAY』2020年9月11日号より
- 取材・文:田中大貴(スポーツアンカー)
- 撮影:小松寛之