国民に人気でも総理になれない石破茂の「ケチ伝説」 | FRIDAYデジタル

国民に人気でも総理になれない石破茂の「ケチ伝説」

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国民の支持率も抜群、そして本人もやる気満々にも関わらず来るべき自民党総裁選挙(8日告示、14日投開票)でも劣勢が確実視されているのが石破茂元幹事長だ。報道各社の世論調査では「ポスト安倍」への大きな期待が34.3%(8月29、30日・共同通信/全国緊急電話世論調査)という数字になって現れてもいた。

70年代に一世を風靡した3人組アイドル「キャンディーズ」推しを何度も公言。鉄道、軍事でも自ら「オタク」と自称するユニークなキャクターで若い世代にも人気がある。これが4度目となる総裁選への挑戦にもかかわらず、今回も総理の椅子には座れない流れがみえてきた。その理由を追ってみると……。

今回の総裁選で、いの一番に立候補表明をしたのが石破氏である。本人にとっては4度目の総裁選。今回の立候補で掲げた政策は「国民の納得と共感」がキーワード。正論と言っていい。

2018年の総裁選の5ヶ月前のこと、地元・鳥取県の「フィギュアミュージアム」で大人気アニメ「ドラゴンボール」の「魔人ブウ」のコスプレで登場するなど、国民的人気とその支持率は今回も根強い。しかし自民党では事実上の〝石破おろし〟となる、両院議員総会で選出することをあっさりと決めてしまった。地方票が命綱の石破氏にとっては落選通告をされたも同然だ。

けれども石破氏その決意は今回も揺るがない。

「誰がどう計算しても、厳しい以外の何ものでもない。ただ圧倒的に厳しいから(立候補を)やらないということを私はしない」(石破氏)

では、なぜ石破氏が党内で支持を得られないのか。理由はもちろんある。1993年宮沢内閣の不信任案に賛成して自民党を離党、そして新進党に入党したことが出発点だ。2009年麻生太郎内閣では自ら首相官邸に乗り込んで麻生氏に「退陣」を迫った。麻生氏との隙間風はこれがきっかけで今も継続中だ。

また第一次安倍内閣時代には幹事長でありながら「派閥政治はもうやめよう」と訴え続けながら、結局は自らの派閥を作った。自民党内部では「石破氏=裏切り者」という方程式が染み付いている。自身が作った派閥は総勢19人、総裁選に出馬するための最低20人の推薦人が必要なのだ。なんとも微妙な数字と言える。しかしそれ以上に石破支持が拡大しない大きな理由が「ケチ伝説」だ。

ケチだから支持が広がらないとは、なんと了見の狭い世界…そう思う人もいるだろう。しかし、同志を集めていく中で「仲間の面倒を見る」「豪快さを見せる」ことは重要だ。それが、どうやら不足している。自民党の取材を続けるライターがこう明かす。

「自民党が野党で、安倍さんが総裁だった頃だと思います。党幹部の石破さんは新聞雑誌の定期購読をやめるべき媒体があると譲らなかった。経費の節減、そして気に入らない論調の媒体があったことが理由でしたが、とある雑誌については断固として購読をやめるべきだ、と主張した。最終的に安倍さんが〝私の方でなんとかするから〟と収める形になりましたが、この話を聞いた当該雑誌の編集長の石破さんへの怨念は今も続いているのは有名な話です」

実は過去にも似たことがあった。民主党政権時代の2012年9月、岡田克也副総理(当時)が全省庁の新聞雑誌の購読の削減を強く訴えた。当時吹き荒れた行政改革の一環だ。「私は自宅で新聞を取っている」という岡田氏の考えだった。これには日本新聞協会が中央省庁の新聞削減計画の撤回を求めた。しかし岡田氏は「このご意見は、正直言ってよく理解できない」と突っぱね、民主党政権時代の首相官邸内では新聞6紙の購読は全て止められた。

そして安倍政権になって各新聞、各雑誌の購読は復活したのである。7月18日に放送された読売テレビ「特盛!よしもと 今田・八光おしゃべりジャングル」で、舛添要一前東京都知事も「俺よりケチだよ、あいつ(石破氏)の方が」としっかり〝証言〟している。

2012年12月、自民党は衆議院議員総選挙に大勝し、民主党政権から政権を奪還。当時、自民党の幹事長だった石破氏は同幹事長代行だった菅氏と握手。その後、菅氏は内閣官房長官になった。今回の総裁選後に「ノーサイド」となるか。
2012年12月、自民党は衆議院議員総選挙に大勝し、民主党政権から政権を奪還。当時、自民党の幹事長だった石破氏は同幹事長代行だった菅氏と握手。その後、菅氏は内閣官房長官になった。今回の総裁選後に「ノーサイド」となるか。

「大の日本酒好き」の石破vs「下戸」の菅⁉

政治家と番記者の関係では「オフレコ会」というものある。また派閥のトップとなれば若手議員と政策論争を繰り広げるもある。さすがに今は新型コロナウイルスの蔓延で行われていないが、それは一般企業の上司と部下によるコミュニケーションと同じ光景と言っていい。4度目となる総裁選に出馬した石破氏の担当記者はこう振り返る。

「オフレコ会のお願いも何度もしてみましたが、結局はNO!でしたね。いずれ総理総裁になられるのならば、政策とか政治信条を我々番記者にも発信した方いい、と話をするんですが、(石破氏の)返答はいつも同じで『地方にいって、地方の声を聞くことが大切。飲みに行くことは嫌いではない。でもいろんな資料が読めなくなるから』と聞き入れてもらえなかったんです」

石破氏は自民党幹事長や防衛大臣など多くの要職についてきた。当時の部下だった面々からは「自分たちの考えを持って行っても、ダメの一点張り。理由も何も言ってくれない、そんなことばかりだった」(防衛省関係者)という。「省内でも石破首相だけは勘弁してもらいたい、という空気ですと苦笑いで続けた。

石破氏の支持率の高さは7年8か月続いた安倍政権に「異議あり」と唱えてきたからにほかならないが、石破氏本人が他人の意見に耳を傾けたという話はほとんど聞こえてこない。同僚や先輩議員からは「もっといろんな人と食事会をした方がいい、コミュニケーションをとるべき」と言われ続けても、石破氏は「そんなことをしたら睡眠時間が減ってしまう」と頑としてうけつけないのだ。

ちなみに石破氏は「辛口が好き」と公言する大の日本酒党として知られているが、今回総裁選で当選が有力視されている菅義偉官房長官は「下戸」で「パンケーキ好き」の甘党なのは有名な話。官房長官時代も時間を割いて「若手議員たちの食事会は行っていて、大きな事件がない限り、その約束をキャンセルしたことは聞いたことがない」(自民党担当記者)。今回の総裁選立候補でも、菅氏から恩恵を受けた派閥に属さない当選4回生以下の多くの若手議員たちが「ぜひ立候補していただきたい」と菅氏に直談判に行ったという。

石破氏は慶大卒業後に三井銀行(現三井住友銀行)へ入行、父の故・二朗氏(元参議員)の「地盤を引き継ぎ、お前が政治家になれ!」とあの田中角栄に口説かれて政界入り。1986年に初当選するまでの3年間は田中角栄事務所で薫陶を受けて、そのいろはを伝授されている。

田中角栄といえば「今太閤」と言われ、東京・目白の私邸にありとあらゆる「陳情」に全国からやってきた。その周辺道路が常に渋滞した、という逸話も残っているほどだが、今の石破氏に田中角栄にあった「包容力」のような器は見当たらない。

菅氏が総裁選に名乗りを上げてからは案の定、一気に「菅一色」になった今回の総裁選。血筋も、実績も申し分なく、田中角栄事務所で下積みを積んだ石破氏だが、いわば永田町の「古い論理」から外れているために、「嫌われている」と言われてしまう。だからこそ、もし彼のような人物が総理になったら、劇的に日本が変わるような気もするのだが…。

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