脳科学の研究プロジェクトでわかった「棋士のアタマの中」

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史上最年少で棋聖と王位、2つのタイトルを獲得した藤井聡太氏。AI超えとも言われているが、そもそも棋士というものは、何手先まで考えられるのか? 凡人と脳の構造が違うのか、それとも訓練? 将棋棋士の直観と脳科学の研究・将棋プロジェクトに参加した富士通研究所・人工知能研究所 AIフロンティアプロジェクト 落谷亮特任研究員と、人工知能研究所所長の岡本青史氏に聞いた。 

5歳から将棋を始め、デビュー戦から29連勝。今年8月には棋聖と王位の2冠を獲得した藤井聡太氏。小学生のころから将棋脳を作り上げていたと言われる(写真:アフロ)

自転車に乗るように将棋を指す!?

藤井聡太氏の登場で注目を集めている将棋。次の一手を決めるとき、棋士の頭の中はどのように働いているのか。それを解明するために、理化学研究所と富士通研究所の研究チームが日本将棋連盟の協力を得て、思考の仕組みを脳科学的に理解しようというプロジェクトが行われていた。通称、将棋プロジェクト。

このプロジェクトでは、棋士にfMRI(機能的磁気共鳴画像診断装置)に入って“詰将棋”の次の一手を数秒という短時間で判断する問題を次々と大量に解いてもらい、そのときの脳活動を測定した。

その結果、瞬時の判断が必要な状況でもプロ棋士はほとんど“直観的”に将棋を指せることがわかった。プロ棋士が同時に何人ものアマチュアを相手に指すことがあるが、そんなことができるのは、直観的に良い手を見つけることができるからだという。

「自転車に長い間乗っていなくても、すぐ乗れるようになるのは脳の働きです。運動と同じように思考についても、すぐに結果を出すためのメカニズムが脳には備わっています。プロ棋士の頭の中には『こういう局面では、こう指す』という情報が記憶されていて、盤面を見ただけですぐに良い手がわかるようです」(岡本青史氏)

何時間にもわたる対局で、よく脳がオーバーヒートしないものだと思う。もちろん、初めて出会ったような局面ではこうはいかないだろうが、“定跡”と言われるような局面では、ほとんど無意識に手が動き、いつもいつも脳をフル活動させているわけではないのだとか。

それにしても、自転車に乗れるようになるまでにだって練習は必要だ。

プロ棋士になるような人は子どものころから毎日数時間将棋の勉強を何年間も続けている。こうした継続的なトレーニングによって脳部位のいくつかは将棋を指すために使われるようになり、それが神経回路として効率的に機能することで、棋士ならではの直観が養われるという。

プロ棋士は盤面を見た瞬間に、どのような局面か理解するという。長考するのは、直観的に見つけた指し手が本当に最善かどうか簡単には判断できない場合が多いのだとか

直観力を鍛えることもできる

やはり訓練なのか。しかも、子どものころからの訓練が必要だったら、もう何をするにも遅いかもしれない……。

いやいや、脳の働きを知れば、直観力を磨けるかもしれないと考えたのが富士通だ。富士通研究所が将棋プロジェクトに参加したのも、まさにそこに理由がある。

「大規模なシステムにトラブルが起きたとき、膨大な可能性を一から潰していくのでは時間がかかりすぎる。ところが熟練した技師はトラブルの原因を短時間のうちに見抜きます。そんなとき、脳のどの部位が、どういうときに強く働くのかわかれば、エンジニアの教育に役立てることができると考えたのです」(落谷亮氏) 

fMRIで調べたところ、次の一手を考えるとき、プロ棋士は大脳基底核の中にある“尾状核”という部分が活発化していたことがわかった。ならば、トレーニングにより尾状核の活動は鍛えることができるのか?

そんな疑問に答えるため、ある実験が行われた。

将棋の経験がない20人に将棋を単純化した「5五将棋」を1日平均40分、4ヵ月にわたってコンピュータプログラムと対局させたのだ。

その結果、直観的思考力が上達し、訓練後にはプロ棋士と同じように尾状核の神経活動が活発になり、正答率も上がったという。

このとき将棋を使ったのはfMRIでの実験に将棋が適していたためで、尾状核を活発化させるためには必ずしも将棋でなくてもいいということだが、将棋が直観力を養うことは間違いないらしい。

すべての情報を0と1に置き換えているコンピュータ。人間の脳のように働くためには、ほかの仕掛けも必要なのだろうか

将棋AIは人間の考え方とは異なる方法で指す

ところで、こうした棋士の直観もコンピュータの将棋AIには、なかなかかなわないらしい。プロ棋士が、将棋AIと対局する電王戦は2017年まで行われたが、2016年、2017年の対局ではいずれも将棋AIが勝利を手にした。やはりコンピュータの計算力には勝てないのだろうか。

「コンピュータといえども限られた時間の中で指し手をすべて読むことは不可能です。指すときは、最善の手がありそうなところに絞り込んで答えを出しているんです」(岡本青史氏 以下同) 

将棋には、三手先まで正確に読めれば良い手を指せるということを意味する「三手一組」という格言がある。たった三手先でも、全部の可能性を考えると51万2000通りあり、1秒間に1000局面を分析できるコンピュータでも、すべての局面を分析するのに8分30秒もかかるという。

「将棋AIと人間の大きな違いは、人間は指し手の流れを大事にしますが、将棋AIはそのときどきで、いちばん良いと思える指し方をする。

棋士の方たちは、ある程度筋道を立てて考えたら、それ以外の手は捨ててしまうようです。けれど、コンピュータは一手指したらそれまでの指し手とは無関係に、新しい局面でいちばん良いと思う手を指す。

『この流れで、こうは指さないだろう』と思うところに指してくるのが将棋AIなんです」

人間とは考え方が違う。それが将棋AIに勝てない原因かもしれない。

藤井聡太氏の手を見て、ときどき解説者が驚いていることがあるが、もしかしたら、藤井聡太氏も将棋AIと同じような考え方をしているのかもしれない。

「我々人工知能の研究者は、知能をどうやって人工的に作るかを研究しているわけですが、知能の作り方には2つあります。

一つは人間の脳を真似るというやり方。そのためには、脳科学の研究と人工知能の研究の接点が重要になります。

もう一つは、人の脳を真似ない知能の作り方。人と同じ情報が与えられても、人と同じ解き方をしなくてもいいのではないかという考え方です。

いずれにしろ、脳の仕組みを知ることは人工知能の研究にもとても役立つと思います」

正解を導き出すとき、コンピュータは余計な計算もするし、電力もたくさん使う。一方人間が脳の中で消費している電力はとても少ないのだとか。

「将棋プロジェクトによって、プロ棋士の方たちは直観で正解を導きだす力が非常に高いことがわかりました。こうした直観力は、コンピュータよりも、圧倒的に人間のほうがすぐれています。

人間と協調することで、新たな価値を与えられるAIを作っていきたい。そのために、まだまだ人間の脳に学ぶことはたくさんあります」 

落谷亮 1984年 株式会社富士通研究所入社。機械翻訳システムの研究開発に従事。スタンフォード大学CSLI客員研究員、国際情報化協力センター機械翻訳システム研究所出向など社外連携の研究に従事。2000年以降、自然言語処理、データ分析技術のITサービスへの応用研究を経て、2010年から理化学研究所脳科学総合研究センターなど脳科学との共同研究を担当。2010年-2011年 情報処理学会理事、2016年-2020年 言語処理学会理事

岡本青史 1991年株式会社富士通研究所入社。以来、機械学習、推論、自然言語処理、知識発見などの人工知能の研究開発に従事。2011年より3年間は、富士通株式会社にて、ビッグデータ新規事業開拓およびデータサイエンティスト育成業務に従事。科学研究費補助金 基盤A 研究代表者(2005年~2008年)、東京大学大学院情報理工学系研究科客員教授(2008年~2013年)、JST ERATOパネルメンバー(2019年)。博士(理学)

  • 取材・文中川いづみ

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