「ハマのドン」が明かす菅義偉新首相の素顔と人物像

秋田の農家の息子から叩き上げで総理へ  小・中・高の同級生、恩義ある「ハマのドン」こと藤木幸夫会長が明かす素顔

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自宅の中庭に記者を招き入れ、取材に応じる藤木会長。菅の首相就任について「革命が起きた」と語った

「政治家には2つのグループがある。一方は、親から蝶よ花よと育てられた世襲議員。もう一方は、苦労を重ねて議員になった叩き上げ。後者の最たる例が、菅義偉(よしひで)という男です。彼は『生まれはどこだ』という話になると、必ず『私の生まれは上野駅です』と答える。田舎を飛び出し、何も持たずに降り立った上野駅こそが、菅くんの原点なんです」

そう語るのは、横浜にある港湾荷役業『藤木企業』の藤木幸夫会長(90)。地元企業の役員を多数兼任する「ハマのドン」こと藤木氏は、菅義偉官房長官(71)が横浜市会議員になる前から親交を重ねてきた人物だ。

「影の宰相」「最強の官房長官」など、辣腕(らつわん)ぶりを表す異名は数あれど、普段の無表情ゆえか、その“素顔”はイマイチ見えてこない。菅義偉の人物像を聞きたい――。そう問うと、ドンはこう続けた。

「菅くんの根底には、『銀のスプーン』で生まれた連中への嫌悪感があるんでしょう。有名な高校大学を出て、良い背広を着てるけど、中身は空っぽ。そんな連中は、菅くんにとっては『敵』(かたき)なんだよ」

かくいう藤木氏も父親から藤木企業を引き継いだ2代目だ。同氏は「菅くんからすれば私も『敵』だよ」と笑う。

長年支援を続けてきた藤木氏にすらも隠さない、ボンボン連中への嫌悪感。それほどの感情を抱く背景には、「己の力でのし上がった」という菅の強い自負があるのかもしれない。

’48年、菅は秋田県南部の豪雪地帯、雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市)のいちご農家の長男として生まれた。地元の中学を出て、秋田県立湯沢高校に進学。生家が近く、小・中・高の同級生だった伊藤英二氏が振り返る。

「小さいときからリーダーシップはありました。いじめっ子といじめられっ子の間に入って、よく仲裁していた。いじめられっ子を守るために一緒に帰ってあげたりね。運動神経は良かった。中学では野球部に入っていて、4番でサードでした。相撲も強かったですね。勉強しているところはあまり、いや、まったく見たことがない。それでも、成績は150人の中学でいつも10番以内。

私たちの中学では、文化祭の演劇に成績優秀者しか出られなかったんですが、『レ・ミゼラブル』を上演したときには、義偉は主人公のジャン・バルジャンを追うジャベール警部の役を演じていました。高校でも成績は良く、3年生のときには400人くらいのうち30番以内に入っていました」 

高校卒業後、実家の農家を継がず、菅は家出同然で上京した。段ボール工場で働きながら受験勉強をし、法政大学を卒業。電気設備会社勤務を経て、一念発起して’75年に小此木彦三郎元衆議院議員の秘書として政界入りすると、’87年に横浜市議となり、’96年には衆院選で初当選を果たした。国会議員になり大物と呼ばれる立場になった後も、その働きぶりは極めてストイックだ。

「菅さんには休みという概念がないんです。毎日、朝6時半に家を出て、帰るのは早くて夜10時過ぎ。移動中の車内もNHKのニュース以外、一切流さない。酒もたばこもやらず、唯一の楽しみはお台場の『ホテル日航東京』に小一時間行くくらい。おそらくスパにでも入っているんだと思います」(菅の元運転手)

ボンボン嫌いの叩き上げは、総理となり、どんな政治を行うのだろうか。

’14年の内閣人事局の設置は、菅官房長官が主導したとされる。人事権を掌握し、官僚からも畏怖されている
中学時代の文化祭で『レ・ミゼラブル』のジャベール警部役を演じる菅。寡黙だがクラスのまとめ役だったという
中学時代は野球部に所属。長嶋茂雄のファンだったようで、自身も「4番・サード」の強打者だった
本誌未掲載カット 「ハマのドン」藤木幸夫会長が明かす菅義偉の素顔 

『FRIDAY』2020年9月25日号より

  • 撮影等々力純生(藤木氏)鬼怒川毅(菅氏)

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