岸部四郎さん 資産10億円から”番組スタッフに借金”の波乱人生 | FRIDAYデジタル

岸部四郎さん 資産10億円から”番組スタッフに借金”の波乱人生

芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”㉑

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当時司会を務めていた『ルックルックこんにちは』にベンツで出勤する岸部さん(‘97年)
当時司会を務めていた『ルックルックこんにちは』にベンツで出勤する岸部さん(‘97年)

<芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”㉑>

岸部四郎さんが、8月28日に心筋梗塞による急性心不全で亡くなっていた。71歳だった。

「波乱万丈な人生」と言われるが、あまりにも壮絶な生き方をした人だったと思う。

グループサウンズ「ザ・タイガース」のメンバーとして芸能界にデビュー。グループ解散後はタレントに転向し、‘78年のテレビドラマ『西遊記』(日本テレビ系)の沙悟浄役で人気を博した。飄々とした役が、彼のイメージにぴったりだったからだ。

その後、‘84年にワイドショー『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)の司会に抜擢され、すっかりお茶の間に定着した。その一方で、彼は、財テク本を書くほど金儲けに長けていた。

アンテークなど時価にして10億円を超える資産を手にするお金持ち。司会のギャラは、年間2億円とも3億円とも言われたから、当然と言えば当然だった。

しかし、その裏で借金地獄に追い込まれてゆく。‘85年に離婚した1歳年上の妻と2人の子供に渡した養育費慰謝料がそのきっかけといわれる。月120万円の支払いが続いた。

14歳年下の妻と再婚したのはこの直後で、慰謝料は司会のギャラで賄っていたが、趣味のアンティークなどの買い付けなど浪費癖が始まり、夫婦の生活費は高金利の借金で賄うようになる。たった300万円の借金が4年間で2億円に膨らんだと聞いた。

「本番中に債権者から電話が入り、CMの間にこそこそ電話で内緒話をするようになった。見ていて、債権者からだと分かる内容だったですよ」

とは、当時の番組スタッフ。借金地獄にはまり込んだ岸部さんは、自己破産申請を決める。借金は5億円とも言われた。

‘98年4月3日。その日の夜、テレビ局で制作局会議が行われ、6日を最後に降板することが決まった。13年半も務めた司会だった。

世の中には仏のような人がいて、首が回らなくなった岸部さんのために、無利子で想像もできないような大金を貸した人がいる(金額は聞いたことがあるが言えない)。ある番組スタッフがそうだった。周囲には

「岸部の話はしたくないし、聞きたくもない」

と、言っているようだが、そのスタッフにも当然返済はされていない。借金問題には、岸部さんの元マネージャーも登場。浪費癖を明らかにした。

京都の芸妓、マレーシア航空CA、看護師の愛人らに会えば5万円渡していた話や岸部さんの破産申請の1か月前に岸部さん所有のパリのマンションに数千万円のアンテークを送ったと告白。岸部さんの自己破産が確定し、免責の判決が出たのは‘01年1月だった。

2年後、岸部さんは脳出血で入院。年下の妻が甲斐甲斐しく看病していたが、‘07年に妻が心不全で亡くなってしまう。43歳だった。

心の支えを亡くした岸部さんは「妻の元に行きたい」と、涙ながらに雑誌のインタビューに答えていたこともあった。その後、貧乏キャラ、自虐ネタでブログを開いたこともあったが、長年の不摂生がたたり、糖尿病や視野狭窄などの病気に祟られ、歩行も困難な状況になっていた。

‘13年には、車いす姿で再結成されたタイガースライブツアーに参加したこともあったが、その後姿を見かけることはなかった。千葉県内の病院に入院し、ひっそりと治療していた。

バブルが弾けて、多くの人が地獄を見ることになった90年代。「自業自得」と言う人もいるが、岸部さんはその被害者の一人だったかも知れないな……。合掌。

  • 石川 敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、ラジオは福井放送、ラジオ関西、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • PHOTO森田 真由美

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