ネットの時代に「分厚い東京ガイドブック」が売れている理由

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「書店のオリンピックフェアに参戦したい」そんな思いで出版を決意! が、まさかの延期で窮地に

1979年創刊の旅行ガイドブックの老舗、『地球の歩き方』が「東京 2021〜22」を出した。シリーズ初の国内版となる。今なぜ東京なのか。デジタル情報てんこ盛りの時代、書籍のメリットはどこにある? 『地球の歩き方』編集長の宮田 崇さん、編集部の斉藤麻理さんに出版の経緯などを聞いた。 

「GoToトラベルキャンペーン」は、10月1日から東京除外が解除される(写真:アフロ)

あるようで無かった『地球の歩き方』の東京版

東京版を手に取ってまず驚くのは、通常の海外版の2倍以上はあろうかというその厚さ! この1冊にかける並々ならぬ思いが伝わってくる。出版の経緯はというと、当然ながらこの夏開催予定だった東京オリンピックにあった。

「オリンピックイヤーには、書店にオリンピック関連の書棚ができます。旅行ガイドブックがそこに参戦できるとしたら2020年だけ。創刊40周年を記念して何かやりたいという話が出たのが去年の4月でした」(宮田 崇さん)

そんな空気の編集部に異動してきたのが斉藤麻理さんだった。斉藤さんはインバウンド向けの媒体に5年間携わり、外国人のためのフリーマガジンでは東京を担当。東京にめちゃくちゃ詳しい彼女の登場が宮田さんの思い描いていたパーツにピタッとハマり、東京版の出版が決まった。

『地球の歩き方』といえばこのイラスト。創刊当初から日出嶋昭男さんが手掛けている。ギネスの登録も考えたが、ここまで長くシリーズ本の表紙を描き続けているイラストレーターは他に誰もいないので比べようがなく、申請を見送ったとか

パロディなのかと思わせるほど、微に入り細に入り東京の楽しみ方を紹介

「東京 2021〜22」には、従来の『地球の歩き方』を踏襲した手法が随所に出てくる。

「日本人が国内旅行に使う本ですから、普通に考えればSuicaの使い方、電車の乗り方といったことはわかっています。それを海外版と同じように懇切丁寧に紹介したので、パロディかと思われた方もいるようでした。

でも、エスカレーターひとつをとっても関西は右側に立ち、東京は左側に立ちますし、さらにエスカレーター協会さんによると、本当は左右どちらも歩いてはいけないことになっています。私自身、〝身近な街でも知らないことはあるんだなぁ〟と思いながら作っていきました」(斉藤麻理さん)

確かに「山手線に乗り遅れても、数分に1回は来るからあきらめず次の電車を待とう」といった情報は、山手線に一度も乗ったことのない人は知り得ないものだ。そこに初の国内版ならではの切り口が加えられ、この本はほどよきハーモニーを奏でている。

「最近の傾向として、外国人だけではなく日本人も、日本の良さや江戸文化といった原点に興味を持ち始めていることが挙げられます。『地球の歩き方』も40年続いたシリーズですので、そこをリンクさせたいという思いがあり、最先端や流行を紹介するというよりは、長く愛される伝統や老舗を軸に構成していきました」(斉藤さん)

通常、東京のガイドブックではエリアガイドのトップに新宿といった繁華街が来るが、この本では日本橋が登場する。それは江戸時代に日本橋が五街道の起点であり、今も道路元標にある「東京まで○km」の東京は日本橋を指すことから、〝日本橋は旅人が歩く原点である〟という解釈に起因する。

「エリアガイドの章では、それぞれの街の最初のページに地名の由来や江戸から続く歴史などといった街の説明があります。それこそが〝歩き方イズム〟。その街をよく知る人でも新しい発見があると思います」(斉藤さん)

旅の始まりは日本橋から。コラム〝かわら版〟には、日本橋には自治体のアンテナショップが多いといった、その街のこぼれ話が入る
巻末の「旅の準備と技術」では、東京へのアクセスや乗り換え路線図、観光にかかる費用、旅のシーズンなどをこと細かに紹介。〝習慣とマナー〟の冒頭、「東京には東京生活に慣れていない人も大勢いるので、あまり気にする必要はない」の一文におもわずニヤリ

書籍の強みはネットでは調べない〝それ以外の情報〟が網羅されているところにあり

こうして順調に取材が進む中、『地球の歩き方』編集部に激震が走る。新型コロナウイルスによるパンデミックだ。 

「取材はほぼ去年の秋冬に終わっていましたが、記事の確認をしたくても連絡がつかなかったり、営業時間や予約制度の変更があったりで、訂正箇所の反映が大変でした。オリンピック特集は丸々削除し、発行も3ヵ月ほど遅れてしまいました」(斉藤さん) 

宮田さんが夢見ていたオリンピック関連書棚への参戦は、書棚ごとなくなった。そうなると売れ行きが気になるところだが…。

「それが、都内と通勤圏の神奈川、埼玉、千葉の大型店を中心に、よく出ています。先日も、ある大型書店さんに視察に行ったら村上春樹さんぐらいの勢いで積んでくれていて、おもわず〝いいんですか!?〟と。会社からの帰り道でスキップしたいぐらいです(笑)」(宮田さん)

コロナの影響でマイクロツーリズムに注目が集まり、身近なところで楽しみたいと考える人が増えたのが勝因のようだ。

しかし、情報はSNSでいくらでも手に入るのに、なぜガイドブックが売れるのだろうか。

「『自分はグルメには詳しいけれど音楽のスポットは詳しくない』とか、みなさん得意な分野があると思うんです。違うジャンルのイットスポットは知らないと思うので、歴史もグルメもパワースポットも体験もお買い物も、すべての行くべきところが一冊にまとまっているというのが強みだと思います」(斉藤さん)

子育て世代の読者なら、子どもが単語を調べるのに「電子辞書ではなく、紙の辞書を使え」と言った経験がある人も多いと思う。パラパラめくるうちに、お目当てとは別の情報が飛び込んでくるのは紙媒体ならではのメリットといえるだろう。

寄席、大相撲、東京ゆかりの文学散歩とページをめくっていくと、いい感じの流れで〝サブカルチャーとアニメの聖地〟が出てきたりする。ジャンルに偏りがないので、自分でリサーチしたのでは絶対に辿り着けない情報がゲットできるのも嬉しい

〝攻め〟から〝受け〟に変わっても、旅人を無事に帰らせるという使命は変わらない

法務省出入国管理統計によると、『地球の歩き方』が創刊された1979年の海外旅行者数は約400万人。2019年は約2000万人だから、今の5分の1程度といえる。大学生の卒業旅行といったパックツアーが人気を集め、一人旅はまだ少なかったが、一方では自分の足で自由に旅をするバックパッカーも登場。『地球の歩き方』は旅をする若者たちのバイブルとなる。宮田さんもそんなバックパッカーのひとりだった。

「創刊当時の編集長に〝この本の当初の使命は読者をこの1冊で空港から旅立たせ、再び日本の空港に、きちんと生きて帰すことだった〟と聞いたことがあります。 

『地球の歩き方』は、以前はバレーボールでいうとアタックをするガイドブック。『地球の歩き方』が行けと言うから行ってみようという〝攻めの本〟でした。それが今はレシーブのガイドブックになっていて、改訂版では読者の声を反映し、人気のスポットが必ず追加されます。 

SNSの普及に伴い、壁に天使の羽根が描いてあるというだけで普通の民家がバズったりするようになりましたが、単にインスタ映えするだけのスポットはものすごく行きづらかったり、治安が悪かったりするんですよ。今は現地でもWi-Fiを使えるので迷うことは少ないでしょうが、どんなデバイスを持って旅をするにしても、きちんと日本に帰ってこられる本を作るという編集方針に変わりはなく、情報を追加する際には細心の注意を払っています」(宮田さん) 

来年、もしオリンピックが開催されるとしたら、きっと「東京2021〜22」も改訂版が出されるだろう。そのときに備えて、自分だけの素敵な情報を編集部にアタックしておくのも楽しそうだ。

最後に、こちらは7月に出版された『世界244の国と地域』。「当初は東京版と同時発売し、〝開会式にぜひこの1冊を。東京を歩くならこの一冊を〟と書店展開しようと思っていました」と宮田さん。オリンピックフェアの夢は叶わなかったが、コロナ禍で海外に行けないからこんな本を出してくれたと思ってくれる人も多く、『地球の歩き方』がたくさんの人に愛されていることを痛感したという。

  • 取材・文井出千昌

    フリーライター。ファッション誌・情報誌・音楽雑誌・ウェブなどジャンルはさまざま。海外旅行の度に『地球の歩き方』にお世話になった一人。何年も前の本は情報としては役に立たないかもしれないが、旅の思い出として捨てられず。今回の取材で『ウィーンとオーストリア』(ちなみに新婚旅行)を引っぱり出してみたら、押し花がはさまっていてグッとくるものがあった。

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