『ある画家の数奇な運命』批判や脅迫を受けても監督が貫いた信条
『善き人のためのソナタ』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞 ドナースマルク監督が最新作を語る【インタビュー】

「同調圧力」「監視社会」「誹謗中傷」――ぞっとする言葉がネット上で飛び交う、昨今。SNS等で著名人や企業に向けられた悪意の刃を目にする機会は少なくなく、もっといえば個人が個人を容易に攻撃し、陥れられるようになった「不寛容の時代」ともいえるだろう。
もはや我々の生活はネットと切り離しては成立せず、ノーダメージで生きられなくなってきたいまをどう切り抜けるか、つまり他者の悪意にどう立ち向かうかというのは、決して見過ごせない課題として個々人の中にあるのではないか。
そんな折、社会に翻弄されつつも“自分”を貫く芸術家を描いた映画『ある画家の数奇な運命』(2018年制作。10月2日劇場公開)を手掛けた映画監督、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク氏に取材する機会を得た。
彼は、2006年に長編初監督を務めた映画『善き人のためのソナタ』で、33歳にして米アカデミー賞の外国語映画賞を獲得した名匠だ。最新作となる『ある画家の数奇な運命』も、第91回アカデミー賞の外国語映画賞部門において、『ROMA/ローマ』や『万引き家族』と争った力作である。

現代にも通じる「社会や周囲からかけられる圧力」と「個人の生きざま」の闘いを、力強い筆致で描き切ったドナースマルク監督。彼もまた、誹謗中傷や脅迫を含め、様々な試練にさらされながらも、折れずに作品を作り続けている。
そんなドナースマルク監督に、いまの時代のものづくりについて、話を伺った。
<STORY>
ナチ政権下のドイツ。少年クルトは叔母の影響から、芸術に親しむ日々を送っていた。ところが、精神のバランスを崩した叔母は強制入院の果て、安楽死政策によって命を奪われる。
終戦後、クルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリーと恋に落ちる。元ナチ高官の彼女の父親こそが叔母を死へと追い込んだ張本人なのだが、誰もその残酷な運命に気付かぬまま二人は結婚する。
やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に、エリーと西ドイツへと逃亡し、創作に没頭する。美術学校の教授から作品を全否定され、もがき苦しみながらも、魂に刻む叔母の言葉「真実はすべて美しい」を信じ続けるクルトだったが―。

――『ある画家の数奇な運命』、芸術が持つ力を改めて感じられ、勇気をもらえる傑作でした。
ありがとう。深い部分にまで響いてくれて、うれしいです。
――本作は3時間超えの大作で、しかも時代劇で、ロケ地も多く、美術品も用意しなければならないなど、相当資金と労力を要する作品かと思います。日本だと、なかなかこれほどのスケールでこの内容の企画は通りづらいのですが、資金繰りなどはスムーズに進んだのでしょうか?
それが、本当に大変でした(苦笑)。自分が持っているものはすべて投資して、とにかく掛け合って闘って……僕が手掛けた作品の中で、最も複雑な作品でしたね。終わりのない戦争の渦中にいるような気分でした。ただ、その甲斐はあったと思います。
どんな映画作家も、自分が大切だと思う作品のためには何もかも懸けるものですし、「NO」という答えは受け付けないものです(笑)。

3時間という尺も、最初はこんなに長くなるとは思っていなかったんですよ。多少は必要だろうなと想定していたけど、まさか『シンドラーのリスト』や『タイタニック』とほとんど変わらない尺になるとは(笑)。
ただ、あらゆる映画には、その作品に見合った長さがあると思うんです。それより付け加えてしまうと長く感じるし、削ったら物足りなくなってしまう。ちなみに本作は「長すぎる」と感じましたか?
――いえ、むしろ時間の感覚がなくなるくらい没入していたので、観終えて時計を見たら3時間が経過していて驚きました(笑)。
良かった。でも僕も、自分が好きな映画で「長すぎる」と感じたものはないですね。実際に3時間とか、それ以上の作品であっても。
好きになれなかった映画は、どれも「長すぎるな……」と思いますが(笑)。

――映画の中で重要なテーマとなる「真実はすべて美しい」というメッセージも、非常に心に刺さりました。というのも、現在の日本では「真実」を追求しようとすると、つまり己が思うままに生きようとすると、周りから叩かれることが往々にしてあるんですね。そういった状況に対するアンチテーゼ、ある種の社会的な批評性を感じたのですが、監督のお考えをお聞かせください。
幸いなことに、この映画を観てくださった方々の大半は、共感してくださってすごく嬉しかったのですが、かといって何もなかったわけではありません。
脅迫されたり、攻撃を受けたり、考え付く限りの誹謗中傷や批判にはさらされました。
――脅迫まで……。どうしてそんなことをする方が出てきてしまったのでしょうか。
ドイツが今までの自国の歴史に対してどう対処してきたか、ということと関係があると思います。まず本作でやり玉に挙げられたのは、「戦争中の普通のドイツ人の苦しみを描いた」ところ。
というのも、当時のドイツは全部がナチスの思想に染まっていた、という風に捉えている人々がいるから。彼らにとって、「ドイツ人が苦しんでいた」描写はありえないし、タブーなんですよ。

でも実際は、独裁政権国家の中で、苦しめられていた国民もたくさんいるわけです。たとえ「こういう風に描け」と言われようが、彼らのことを無視するのは不健全だと、僕は思います。
ただここも難しくて、戦時中にドイツが行ってきたことに対する「罪の意識」から、いまお話ししたような思想を抱く人も一定数いるんですよ。つまり、ドイツ人を“被害者”として描くことに対する反発ですね。
――なるほど……。
もう1つは、この映画がナチズムを批判すると同時に、その後の共産主義や社会主義も批判している部分。じつは、現在のドイツのメディアはかなり“左がかっている”ところがありまして……。彼らからすると、共産主義や社会主義に対する批判は、裏切り行為。そういったポイントでも、攻撃を受けました。
そして3つ目。ドイツという国は、集団思考が強くて、「みんなと同じでなければならない」という同調圧力が強いんです。ところが『ある画家の数奇な運命』はその逆で、アーティストであれ、ちょっと精神に問題を抱えている人であれ、“個人”を称賛する作品。
「個人を描く」というのは、僕自身の映画づくりにおける信条なのですが、それがけしからんという声はありました。

先ほどお伝えしたように大多数の方は好意的に観てくださったのですが、ごく少数の人々から誹謗中傷を受け、批判され、攻撃されたということも、また事実なのです。
ただ、作り手はそういったものに負けてはいけない。それに、批判や誹謗中傷は、人間におけるプログラムのエラーみたいなものだと、僕は考えています。
――と、いうと?
つまり、人というものは基本的には、自由を愛する生き物だと思うのです。
自由そのもの、或いは自由な表現、また真実を追求することを大切に考えている。暴力的なことを言ったり過激な行動に出る人は、あくまでもエラー的というか、少数派だと信じていますね。

たとえ理不尽な誹謗中傷にさらされても、自分の道を信じ、突き進む。同時に、人間自体への希望を持ち続ける。「人は本来、そういうものではないはず」――この意識は、いまのネット社会に疲弊した私たちに、不足している部分かもしれない。
余談だが、ドナースマルク監督は黒澤明監督の『生きる』がお気に入りで、トム・ハンクスと組んでリメイクしようと考えたこともあったのだとか。だが「好きすぎて、リメイクなんて無理だった」と笑った。
人を愛し、作品を愛するアカデミー賞監督、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。包み込むように柔和な彼の優しさに、救われた思いである。
『ある画家の数奇な運命』
10/2(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督・脚本・製作:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(『善き人のためのソナタ』)
撮影: キャレブ・デシャネル/音楽: マックス・リヒター
<キャスト>
トム・シリング(『コーヒーをめぐる冒険』『ピエロがお前を嘲笑う』)、セバスチャン・コッホ( 『善き人のためのソナタ』『リリーのすべて』『ブリッジ・オブ・スパイ』)、 パウラ・ベーア(『婚約者の友人』)、オリヴァー・マスッチ( 『帰ってきたヒトラー』 )、ザスキア・ローゼンダール(『さよなら、アドルフ』)
原題:WERK OHNE AUTOR/英題:NEVER LOOK AWAY/2018年/ドイツ/ドイツ語/189分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語字幕:吉川美奈子/配給:キノフィルムズ・木下グループ/R-15
©2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG
公式HP:neverlookaway-movie.jp
《映画『ある画家の数奇な運命』ギャラリー》




文:SYO
映画ライター。1987年福井県生。東京学芸大学にて映像・演劇表現について学ぶ。大学卒業後、映画雑誌の編集プロダクション勤務を経て映画ライターへ。現在まで、インタビュー、レビュー記事、ニュース記事、コラム、イベントレポート、推薦コメント等幅広く手がける。