菅義偉=プーチン電話会談「国内向け発表」の驚くべき欺瞞

菅首相も「平気で嘘をつく」?〜ロシアは1島すら返す気がない

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この国を背負う菅義偉首相。外交問題に関する欺瞞は、国内への目くらましでしかないが… 写真:代表撮影/ロイター/アフロ

9月29日、菅義偉首相は、ロシアのプーチン大統領と就任後初めての電話会談を行った。日本側からの要請によるこの会談で、プーチン大統領からは新首相就任を祝う言葉が贈られた。電話会談自体は、セレモニー的なものだ。

注目されたのは、菅政権の対露交渉のスタンスだが、大方の予想どおり安倍前政権の路線をそのまま継承するものだった。

安倍前政権での対露交渉は安倍前首相本人と官邸の補佐官らが主導しており、官房長官だった菅氏はあまりタッチしていなかったようだが、それでも責任者の一人である。前政権の政策を否定するような動きはしないだろう。

それはつまり、北方領土返還に「1ミリも進展がなかった」安倍前政権の対露交渉を反省的に総括することはなく、今後も進展の望めない方向を継続するということだ。

同日の外務省発表文書にはこうある。

菅総理から、日露関係を重視している、平和条約締結問題を含め、日露関係全体を発展させていきたい旨述べるとともに、北方領土問題を次の世代に先送りすることなく終止符を打たなければならず、プーチン大統領と共にしっかりと取り組んでいきたい旨述べました。

これに対しプーチン大統領から、菅総理の就任をお祝いする旨述べるとともに、安倍前総理との関係を高く評価しており、菅総理との間でも二国間及び国際的な課題に関して建設的に連携する用意がある、平和条約締結問題も含め、二国間のあらゆる問題に関する対話を継続していく意向である旨述べました。

この文面からは、日露首脳が今後も北方領土問題の解決のために対話を継続していくことが合意されたかのような印象が強く示されている。実際、多くの報道では、日本政府からのこうした情報を基に、今後も日露間で領土交渉が前向きに続けられることを示唆する記事を大メディア各社の「政治部」が報じている。

また、菅首相自身も、会見で同様の文言で発言をしている。こうした文言は事務方が緻密に作るもので、首相にはそれと齟齬がないようなコメントが要求されるから、それは当然といえば当然だ。

しかし、これはあくまで日本政府の発表でしかない。両者が主にどんな話をしたのかは、客観的にはこれだけではわからない。

ロシア側の発表は「北方領土」にまったく触れていない

そこで、ロシア側の発表をみてみると、以下のとおりだ。

「双方は、近年の日露対話の発展および政治、貿易、経済、文化、人道の分野における協力の進展を評価した。

また、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発を含む医学分野における協力についても話し合われた。

両国の国民とアジア太平洋地域全体の利益のために、すべてにおいて両国の関係を深める努力を継続していくことを確認した。流行状況の経緯をみて、様々なレベルで接触を続けることに合意した」(9月29日、ロシア大統領府発表)

これだけである。領土問題については一文もない。これは互いが、会談のどの部分を重視したかということを表している。

日本の外務省発表も、相手がある外交の問題で「嘘を書く」ことはしないだろうから、ゼロから創作したわけではまさかあるまい。しかし、ロシア側が領土問題にまったく触れていないということは、ロシア側はそれをまったく重視していないことを意味する。

おそらく20分間の電話会談のどこかの部分で、菅首相が一言さらりと「触れただけ」という程度だったのだろう。

日本側の発表には、意図的なごまかしが

しかもさらに、日本政府の発表文には、意図的なごまかしがある。

菅首相は「北方領土問題を次の世代に先送りすることなく~」と語ったとされているが、「北方領土問題」の存在、そして「北方領土」という用語自体を、ロシア側は一切認めていない。仮に菅首相がその言葉を使ったとしたら、プーチン大統領が「あらゆる問題に関する対話を継続していく意向である」などと応えることはありえない。

ロシア側が「領土問題は存在しない」との公式な立場を表明している以上、日本側がもし、そうした文言を持ち出せば、予想外の反応を引き出す可能性がある。そのリスクを避けるため、菅首相に対しては事前に事務方から「北方領土」「領土問題」「領土交渉」は「NGワード」だとレクされていたはずである。

こうした場合には、たいていは相手を刺激しない別の言い方にする。たとえば「北方の島をめぐる双方の立場の問題」などといった曖昧な言い方にすれば、プーチン大統領にも異論はない。そして、そういった言い方を、日本国内用には「北方領土問題と同じこと」とするわけだ。もちろん上記の文言は筆者の推測だが、なんにしても菅首相は「北方領土」という言葉をプーチン大統領に直接ぶつけてはいないだろう。

微妙な文言の問題だが、外交上これは、とても大きな意味をもつ。

もし日本側が、領土問題の交渉を今後も進めていくという話をすれば、ロシア側は拒否することになる。プーチン大統領が言った「二国間のあらゆる問題」には平和条約交渉も含まれるが、ロシア側のいう平和条約交渉には領土問題は含まれない。

このロシアの態度からは、残念ながら北方領土は「1島すら返す気がない」と考えるしかないが、日本政府の発表では「期待大」ということになる。結局、日本政府の発表文で強く示唆されている、あたかも「領土交渉を今後も続けることで両国は合意した」かのような話は、国民世論へのミスリードである。

両者に独自の解釈の範囲を与える「曖昧な文言」は、外交の場ではしばしば交渉の手段として使われるが、今回のことは、日本国内の世論のミスリードを目的にしている点で健全とはいえない。国民に対する欺瞞といってもいいだろう。

前述したように、報道各社の「政治部」が日本政府の発表をそのまま報じていることも、問題を複雑にしている。

そして日本の報道機関は…

たとえば、日露交渉のニュースでは、しばしば「平和条約締結後の2島引き渡しが明記された1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉することで合意」と解説されるが、それによって、ロシア側も2島引き渡しには合意しているかのように強く印象づけられる。しかし、それも虚構である。

実際にはロシアは、日ソ共同宣言を基礎とする平和条約交渉には合意しているが、あくまで基礎にするだけで、2島引き渡しには一切合意していない。日露両国は、「双方に受け入れ可能な新たな解決を目指す」ことでも合意しているのだ。

仮にロシアが2島引き渡しでの決着を希望するなら、それを条件に交渉してくるはずだが、プーチン政権は2島引き渡しの意思を表明したことなど一度もない。常に言質をとられないように注意深く言葉を選び、明言を回避してきたのだ。

それによってロシアは日本に対し、領土で1ミリも譲歩せず、それでいて日本に経済協力させることに成功してきた。もっともこれは、ロシア側が仕掛けた話ではなく、日本の歴代政権がなんとか領土返還交渉を進めたいと希望的観測にすがった結果の話だ。

とくに、2001年、大統領になって間がないプーチン大統領と当時の森首相の「イルクーツク声明」が「日ソ共同宣言が平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認」したことで、日本側では政府も民間の専門家もほとんどが「プーチン大統領は2島返還で決着したがっている」と思い込んだことが、現在まで続く誤謬の出発点になっている。

絶対に2島引き渡しの言質を回避するその後のプーチン政権の言動をみれば、そんな気がないことは明白だったが、そこを日本側はもう19年間も、読み違え続けている。そもそもイルクーツク声明の時点で「相互に受け入れ可能な解決に~」との一文が加えられていて、ロシア側には抜け道がある。

最近、日本の報道解説では、プーチン政権は米露対立のせいで態度を硬化させたとの言説を散見する。もともとは2島引き渡ししたかったのに、気が変わったのだという話だが、そもそもプーチン大統領は一貫して2島引き渡し明言を故意に回避してきている。最初から引き渡す気などなかったと考えるべきだろう。

日本の報道では主に各社の政治部が、ロシア側ではなく日本政府側の情報だけにミスリードされ、あたかもロシア側も領土交渉を希望しているかのように解説し、国民世論もミスリードされ、それがまた逆に政官界にフィードバックするという悪循環を形成してきた。

虚構ニュースに自ら騙されないために

今回の菅=プーチン電話会談にまつわる報道=ミスリードは、その欺瞞のまさに典型例だ。この構図は、今後もおそらく変わらないのだろう。しかしわれわれはそろそろ、これまでプーチン政権は一度たりとも2島引き渡しの意思を明言したことはないという「事実」を直視し、そもそも2001年のイルクーツク声明の時からの「分析ミス」の経緯を検証しなければならない。

それをしないかぎり、対露交渉は今後も失敗し続けるだろう。

 

 

黒井文太郎:1963年生まれ。軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に紛争地を多数取材。ゴルバチョフ~エリツィン時代、モスクワに居住して、北方領土返還問題をロシア政官界側から長期取材した。軍事、インテリジェンス関連の著書多数。

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  • 取材・文黒井文太郎

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